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今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論ですね。
「外法(げほう)」というのは、簡単にいうと「外道」が使う法術のことです。
じゃあ、外道って何でしょうか。これは仏教用語です。
悟りを得るためにお釈迦様が定めた方法を「内道」と言いますが、
その道に外れたやり方、また、それを使うものが外道です。

現代でも外道という言葉は生き残っていて、「腐れ外道」などと使いますが、
「卑劣な者、人の道や道徳から外れた者」という意味です。
で、外法は外道が使う妖術なんですが、仏教以外の術って、神道とか陰陽道とか、
日本にはいろいろありますね。しかし、それらは外法とは言いません。

日本は仏教国として分類されることが多いですが、神道も仏教と並行して、
長い年月、信じられてきました。それは、多くの神社が仏教と習合しながらも、
古くから存続していることでわかると思います。
ですから、神道系の力を外法と呼ぶことはできません。

じゃあ、外法とは何かというと、基本的には、「天狗が使う力」なんです。
天狗の別名を「外法様」と言います。ここで、天狗って何かというと、
これは前に一度考察したことがありますが、いろいろな概念が混じり合った
すごく複雑で難しいものなんです。

言葉自体は中国から来たものです。ですが、中国でいう「天狗」は、
「天を疾(はし)る狗(いぬ)」つまり、流星のことを指しています。
中国の古書『山海経』に出てくる天狗は、犬とも猫ともつかない獣が、
口から蛇を吐いている姿で描かれています。

『山海経』の「天狗」
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『日本書紀』の舒明天皇9年(637年)の記事に、都の空を巨大な星が

雷のような轟音を立てて東から西へ流れる物があり、

人々はその音の正体について「流星の音だ」と言ったが、

遣唐使から帰国した学僧の旻が、「流星ではない、これは天狗である。
天狗の吠える声が雷に似ているのだ」と言った、と出てきています。

ここでは、中国本来の天狗の意味で使われているようです。
ただの流れ星ではなく、地上に落ちてく途中の隕石のことを天狗と言っていた
のかもしれません。しかし、天狗という言葉は、この記事から、
平安時代まで文献の中に出てこなくなるんですね。

役小角
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で、平安時代に出てきたときには、山伏の格好をして、顔が赤く、鼻が長い、
現在の天狗のイメージに変わっていたんです。これには、
山岳信仰の隆盛が関係しているのだと思います。山岳信仰は、7世紀の呪術者、
「役小角 えんのおづぬ 」が始めたとされます。
ただ、役小角が実在の人物かどうかはかなり疑わしいですね。

ともかく、その流れをくんで成立したのが「修験道」です。
山伏として高い山の中で修行をし、岩から岩へと飛び歩く中で心身を鍛えて
不思議な力を身につけた者。このイメージが、天狗の外見として取り入れられたと
考えられることが多いんですね。それと、天狗の鼻が高いのは、
内面の高慢を表しているとされます。

現代でも、「天狗になる」 「鼻が高い」という言葉は、

自慢をするときに使われます。これは、里に下りてきた修験道の者たちが、

驕り高ぶった言動をすることが多かったところから来ているようです。

まあこうして、山の中に住む妖術使いとしての天狗のイメージが

できあがっていったわけです。

修験道
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なかなか外法にまで進まないですね。ここからは、『今昔物語』から、
外法の出てくる話をご紹介します。・・・あるところに、外法を使って人を集め、
見物料をとって暮らしている法師がいた。この法師の術は、下駄や草履を
子犬に変えたり、また立っている牛の口から入って尻から出てくるなど、
たいそう不思議なものばかりだった。

近くに住んでいる男がそれを見て、自分もやってみたいと思い、法師に

弟子入りを申し込むと、法師は「私は山の中で師匠からこれを習っているのだ。
もしお前が本気で習いたいなら、7日間精進潔斎してから、新しい桶を作って
その中に念入りに炊いたまぜご飯を入れ、もう一度訪ねてくるがよい」
男がそうすると、法師は「では、これから師匠に紹介するが、
けっして身に刃物を帯びていてはならない」こう言った。

男は承知し、飯が入った桶を背中に背負って、法師とともに山中深く入っていた。
すると、山の中とは思えない立派な僧坊があり、中にはまつげの長い、
いかにも徳の高そうな老僧がいた。法師が老僧に男を紹介すると、老僧は男を
じろりとにらみ、「まさか刃物は持っておらんだろうな」と言った。
じつは男は、何かあってはと思い、法師の言いつけに背いて、

密かに小刀を隠し持っていたので、内心あせった。
老僧は人を呼んで「この男が刃物を持ってないか調べよ」と命じ、男はこれは
見つかってしまうと思い、意を決して刀を抜き、老僧に斬りつけた。
すると老僧も、僧坊も一瞬にして消え失せてしまった。男を案内してきた法師は
「なんということをしてくれたのだ。これで私は一巻の終わりだ」と泣きわめいた。

大天狗と烏天狗


男は、法師に申しわけないことをしたと思いながら、法師は泣き泣き、
それぞれ家に戻ったが、法師は3日ほどして頓死してしまった。
男のほうには何の祟りもなかった。おそらく、この山の中にいた老僧は
天狗だったのだろう。また、天狗から術を習った法師のような者は、
「人狗 じんぐ」と言うのだ。・・・こんな話が載っています。

さてさて、現代の作家で、「外道」や「外法」という語をよく使われるのが、
夢枕獏氏です。「外法絵」とか「外法爺」なんて言葉が作品の中に

出てきてますね。ということで、だいたい外法のイメージが

つかめましたでしょうか。では、今回はこのへんで。

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