あ、どうも。俺、山本っていいます。高校を中退してから、
ずっとプー太郎をしてたんだけど、最近、就職したんです。
といっても、自動車会社の期間工だから、いつまで仕事あるか
わかんないですけどね。まあでも、俺ももう25過ぎたんで、
そろそろ真面目にやんなきゃマズいと思い始めて。
気持ちが変化したきかっけですか。この間、同居してた
じいちゃんが亡くなったんです。死因は肺炎でしたけど、
86歳でしたから大往生って言っていいかと思います。
はい、入院してた先の病院で。それでね・・・これから話を
するのは じいちゃんのことじゃなく、その連れ合いだった
ばちゃんのことです。ただ、ばあちゃんは、俺が生まれる前、

30代で病気で他界してるんですけどね。だから顔は遺影でしか、
見たことがありません。昔の白黒写真だけど、きれいな人だった
ってことはわかります。和裁の先生をしてたんです。
もう壊しちゃったけど、じいちゃんが建てた家の一間に
お弟子さんを集めて。あ、じいちゃんは大工でした。
ほら、大工仕事は安定しないから、ばあちゃんの収入でずいぶん
家計の助けになったみたいです。それで、話はね、ばあちゃんの
湯呑のことなんです。どこにでもあるような白地に花の模様の
ついた湯呑。いつもそれでお茶飲んでたみたいです。
この湯呑、ばあちゃんが急死して、葬式なんかのどさくさのときに
見えなくなっちゃったんです。ひと段落してから探したけど、

どっからも出てこない。だから、ばあちゃんがあの世へ持って
いったんじゃないかって、当時は話してたそうです。
けどね、それ、ときどき出てくるんです。はい、俺も見てます。
恥ずかしい話だけど、そのことも後で言いますよ。
最初に湯呑のことが出てきたのは、ばあちゃんの弟子の
お針子さんのところからです。その人、いき遅れたっていうか、
30歳過ぎても独身だったんですが、縁談が来たんです。
で、飛びついちゃったんだけど、それね、結婚詐欺だったんですよ。
恋愛結婚が少ない昔のほうが多かったみたいですね。
相手の詐欺師の男が、お弟子さんの家に来て両親にあいさつした。
そのとき、ガラスコップでサイダーかなんかを出したのに、

見ると白い湯呑を持ってる。でほら、そのお弟子さん、
通いだったから、家でばあちゃんがそれでお茶飲んでるのを何度も
見てるんです。「え、あれ?」と思ってるうち、
男は中のものを飲み干し、そしたらトロンとした目になって
呂律が回らなくなり、そのまま家を飛び出していったそうなんです。
それからどうなったと思います? そいつ、駅前で路面電車に
飛び込んだんです。まあ、死ぬまではいかなかったみたいですけど、
それまでの悪事が露見して、警察病院に入院です。
その後、湯呑は、どこを探しても見つからなかったということです。
うちの母親は、この話をお弟子さんから聞いても信じなかったそうです。
まあ、そんなことがあるわけはないと思いますよね。

なんかの間違いだろうと。ところが、次にその湯呑を見たのは
母親自身なんです。今の自宅になってからのことです。
その日はじいちゃんも父親も仕事で、俺はまだ生まれてまもなかった。
母親が赤ん坊の俺と家にいた午後に、訪問販売が来たんです。
当時はまだ押し売りって言葉があって、風体が悪い相手なら
母親も警戒したんでしょうが、びしっとスーツを着たサラリーマンで、
居間に上げてしまった。言葉もすごい巧みで、催眠術にかかったように
高価い仏具を買わされそうになったって言ってました。
でね、お茶は出してたんです。でも、そういう訪問販売は
出されたものに手はつけないですよね。ところが、ふっと見ると、
白い湯呑を持ってる。母親はすぐにばあちゃんのだって思ったそうです。

青い水仙の花の模様でわかったって。で、訪問販売はのものを
一口飲むなり、ぎょっとしたような顔になって、パンフレットだけじゃなく、
自分のバッグまで置いたままにして、急に出ていったんだそうです。
いや、その後どうなったかまではわかりません。ただ、その会社は
ひじょうに評判の悪いとこだってのが判明しました。それで、しばらく
間があって、次が俺です。最初にずっとプー太郎をやってたって言ったでしょ。
高校中退してから、たちのよくない仲間とつき合ってました。
ほら、定職についてないもんだから、みんな金なくてピーピーしてて。
で、ある日ね、俺と仲間の数人が金融業者から高いクラブに誘われたんです。
金融業者っても、筋者です。そこで出た話が、オレオレ詐欺メンバーの勧誘。
俺、そんなとこに来たことなくて、きれいなオネーチャンはいるし、

ぼうっとなって話に乗ってしまうとこだったんです。もちろん仲間も
同じですよ。筋者もそのときは愛想がよかったし。で、グラスで
シャンパンを飲んでたんですけど、ぐっと飲んだら味が変わってたんです。
なんと言えばいいかなあ、あの世を覗いたような味って言えば
わかってもらえるか。いや、変な例えだけど、そうとしか表現できないです。
「ええ?!」と思って手の中を見ると、青い花の模様のついた茶碗。
その後のことは記憶にないです。俺、ぶっ倒れたみたいですから。
タクシーで家に送られて、それから3日くらい気分悪かったです。
オレオレ詐欺の会社は俺が寝込んでる間に発足して、結局、
メンバーにはならなかったんです。よかったですよ。1年たたないうちに
摘発されましたから。ああいう犯罪は判決が厳しいんですよね。

で、そんときは俺、あの湯呑がばあちゃんのだって知らなかったんです。
だんだん話を聞いてるうちに、ああ、あれがそうだったんだなって
納得したっていうか。これが最後の話になります。3ヶ月前、
じいちゃんが起きてこなかったんです。いつもは朝早くに新聞を
取りに行ってたのに。母親が見に行くと、大汗をかいててすごい熱。
意識もなかったんで、救急車を呼びました。肺炎はかなり進んでて、
年も年だし、危ないってことだったんですが、一時は回復して
意識が戻ったんです。それで最初に言った言葉が、
「俺の湯呑を持ってきてくれ」・・・最初、言い忘れてましたけど、
ばあちゃんの湯呑って、夫婦湯呑だったんです。模様が同じで
大ぶりなのをじいちゃんは持ってて、ふだん使わずしまってたんです。

それで、病院にじいちゃんの湯呑を持ってたんですが、
やはり使わないで病室のテレビ台に置いてたんです。俺が見舞いに
行ったとき、「じいちゃん、これ使わないのか」って聞いたら、
「いや、まあ、準備しとく」みたいなことを言いました。
意味わからなかったけど、酸素の管つけてるし、それ以上は
聞けなかったんです。で、俺が帰るとき、じいちゃんはボソッと、
「俺が浮気しようとすれば、民子の湯呑が出てきてなあ」って。
民子ってのはばあちゃんの名前ですよ。ただ、浮気と言っても、
ばあちゃんは亡くなってるわけだし、じいちゃんが再婚しなかったのは
そのためかって、これも後になって考えたことです。
じいちゃんはそれから、お粥を食べられるようになって

退院が見えてきたんですけど、ある晩、胃液を誤嚥しちゃったんです。
それで肺炎がもっとひどくぶり返して親族が呼ばれ、
翌日亡くなったんです。入院の荷物を整理してて、一番最初に
気がついたのは母親でした。「あっ!」って。もうわかりますよね。
テレビ台の上に夫婦湯呑が2つ揃ってあったんです。
はい、ばあちゃんの湯呑はもう消えたりしませんでした。それでね、
じいちゃんの火葬のとき、陶器だからいいだろうってことで、
セットで棺に入れてもらったんです。お骨上げのときには、
どっちもほぼ灰になってました。まあ、こういう話なんですよ。
で、家に戻る途中の車の中で母親が、「お義母さまは情の
強(こわ)い人だったから・・・」ぽつりとこう言ったんです。