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プラトンとアリストテレス

今、哲学が密かにブームだという人もいるようですが、今日は
怖い話はお休みして、それ系の話です。まず、表題にある思考実験とは、
「頭の中で想像するだけの実験。科学の基礎原理に反しない限りで、
極度に単純・理想化された前提(例えば摩擦のない運動)により遂行される」

こんな感じでWikiには書かれていました。技術的、あるいは
倫理的な問題(その実験が被験者の人権無視や虐待にあたるなど)で、
実際には行えないことを、頭の中だけで行うわけですね。
哲学で用いられることが多いのですが、理論物理学でも使われます。
アインシュタインがさまざまな思考実験を駆使して、

相対性理論を完成させたことは有名ですね。光速に近いスピードで
飛んでいる宇宙船からさらに光を発射するなどというのは、おそらく、
これから100年たっても実際の実験は不可能でしょう。あと、
「過去へ遡るタイムマシンを作れるか」(未来へ行くことは理論的に可能)
などの話でもよく出てきます。

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哲学的な思考実験では、近年は「心の哲学」に関するものが
よくとりざたされます。心の哲学とは「心、心的出来事、心の働き、
心の性質、意識、およびそれらと物理的なものとの関係を研究する学問のこと」
これは当ブログのテーマである心霊の話とも密接な関係があるんです。

例えば、人間の心、意識はすべて脳が作りだしているものである、
という考え方があります。これは心脳一元論ともいわれて、
もしこのとおりだとすれば、死によって脳が停止してしまえば、壊れた
コンピュータと同じことで、人間には魂(あるいは霊)などというものはなく
あの世も幽霊もない、ということなってしまうかもしれません。

『トータル・リコール』
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また、もし脳とは別に人間に魂というものがあるのであれば、
ある人の肉体的な死後においても魂は残り、それが霊界へと旅立ったり、
この世に残って幽霊になったりするのかもしれません。
この立場は、心脳二元論と呼ばれることが多いです。

臨死体験などで、宙に体が浮いていてベッドに横たわる自分の姿を見ていた、
などの、いわゆる体外離脱現象というのもこの立場からの話です。
思考実験の中でも「スワンプマン」 「マリーの部屋」 「哲学的ゾンビ」
などは有名ですので、知っておられる方も多いでしょう。
「スワンプマン(沼男)」というのはこんなテーマです。

スワンプマン
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「ある男がハイキングに出かける。道中この男は不運にも沼のそばで、
突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの
沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を
引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。」

このスワンプマンは体も脳も原子レベルまで完全に死ぬ直前の男と
同一であり、記憶も知識も死ぬ前の男と同一です。
スワンプマンは立ち上がり、スタスタ歩いて、死んだ男の職場や
家族の元へと帰っていきます・・・この実験で何が問題かといえば、

はっきりと、死んだ男とスワンプマンは別の存在であるのに、
だれもそれを明らかにすることができないということです。
もし全知全能の神がいるとすれば、死んだ男とスワンプマンは
別のものであるとわかっているわけですが、

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この世の人間はだれも、スワンプマン自身をも含めて、
それに気づきようがないんですね。つまり、この問題を考える人に、
「私とは何か」といったことを問いかけているわけです。
興味を持たれた方は、他の思考実験についても検索してみてください。

さて、自分がこの哲学的思考実験の中でも難しいなあと思うのは、
「経験機械」という思考実験で、ロバート・ノージックという哲学者が
考案しました。内容はこういうものです。「これは、脳に電極を差し込む
ことにより、あなたが望むあらゆる体験をバーチャルに経験できる
機械の話だ。この機械による副作用などはなく、

使用中も健康状態はモニタリングされ、機械につながれなかった場合と同じ
健康状態が保たれる。そこであなたは上で述べたような「快適な意識状態」
を好きなだけ楽しむことができる。(例えば、何の心配もなく一生甘酸っぱい
恋愛ゲームの世界に浸っていられる状況)また、心配性の人のために、
数年に一度、現実世界に戻ってくることもできる。」

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ここまで読まれた方は、なんだか聞いたことのある話だなと
思われるかもしれません。シュワルツェネッガー主演の映画、
『トータル・リコール』の内容によく似ています。(『トータル・リコール』の
原作は、SF作家P・K・デイックの『追憶売ります』)

また、同じく映画の『マトリックス』にもよく似ています。
ちなみにマトリックスの発想は、やはり思考実験である
「培養液の中の脳」がもとになっています。では、この思考実験が
どのような問題を含んでいるか考えてみましょう。

ちなみに、バーチャル世界での体験は、五感すべてが
現実世界のものとまったく変わりがないものと仮定します。
また体験している本人は、それがバーチャル世界ではなく、
完全な現実であると思うように設定します。また、体験機械の費用は
誰が払うのかといった経済的な面は棚上げしときます。

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(『マトリックス』では、夢を見させられている人間が、コンピュータの
動力源になっているという、経済的?な側面がありました。)
自分が考える一つ目の問題は、「幸福状態」とは何かということです。
これは単に脳の幸福感や快感を司る中枢を、
電気などで刺激し続けることではないでしょう。

快感神経をずっと刺激し続ければ、脳の中の他の部分が、
「これは異常な状態だ」と気がついて、平常に戻るよう動き始めると
思われます。つまり、快感が持続しなくなるということですね。
そのへんの技術的なことをクリアしたとしても、快感を与え続けるだけなら、
バーチャル世界を見せる意味もあまりないように思われます。

では、容姿に恵まれた自分が人生の中で成功し続けるといった体験を
作って見せてやればいいのでしょうか。しかしこれも、
人間は目的意識を持ち、ある程度の挫折を経験しながらも、
最終的に目的を達成することで喜びが強くなるという考え方もあります。



あるいは社会に貢献することが幸福だと考える人もいるでしょうし、
人間はさまざまだと思うんですね。ですから、体験をさせるにしても、
その人がどういう経験をすれば最も幸福を感じるかという点を、
詳細に分析する必要が出てくるのではないでしょうか。
これはかなり難しいことです。

二つ目の問題点は、「現実とバーチャル」の接点ということです。体験機械に
かかった人間は、その人自身は実際に有意義な一生を送ったと考えたまま
死亡にいたるわけですが、はたから見ればただ体中に電極を刺し、
ベッドに寝て一生を機械につながれたまま終わるわけです。

例えばバーチャル世界の中で、地球を宇宙人の侵略から守り、
世界中の人に感謝されたとしても、現実世界の中では何一つなしえて
いないわけですね。人の一生としてそれが果たして有意義なもので
あるのか?人間の尊厳はそのどこにあるのか?
このような疑問が出てくるのではないでしょうか。

さてさて、長くなってきたのでいったん終わりますが、この他にもまだ
問題点はあるでしょう。ここまで読まれたみなさんは、
もし体験機械が完成すれば、そこで一生を送りたいと思われるでしょうか?
では、今回はこのへんで。


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