さdさd
上御霊神社

さて、どっから書いていきましょうか。
あ、そうだ。わかりやすくするためにQ&A形式でいった
ほうがいいかな。

Q1: 御霊(ごりょう)と怨霊(おんりょう)はどう
違うのですか?


A: これは特別な違いはないと言っていいように思います。
御霊は高貴な身分の人が多いので、怨霊という言葉を使うのが
はばかられた。それと、御霊のほとんどは身分と名誉が
朝廷によって回復されて神となっていますので、
そのことを表しているとも考えられます。

Q2: 御霊には、どのような方がおられるのですか。

A: 京都にある上御霊神社、下御霊神社の御祭神が御霊と
考えていいと思います。具体的に名前をあげていくと、
上御霊神社が「崇道天皇(早良親王)」 「井上(いのえ)皇后」
「他戸(おさべ)親王」 「藤原吉子」 「橘逸勢」
「文室宮田麻呂」 「吉備真備」
の7柱。

下御霊神社


下御霊神社が、「吉備真備」 「崇道天皇(早良親王)」
「伊予親王」 「藤原吉子」 「藤原広嗣」 「橘逸勢」
「文屋宮田麻呂」
の7柱。多くがダブっているので、
両神社を合わせて、9柱ということになります。

もちろんこの他にも、菅原道真、崇徳上皇が御霊とされますが、
道真の場合は天神さまとして独立した神社に祀られています。
崇徳上皇も白峯神社などに祀られています。

菅原道真
キャプチャ

Q3: どのような方が御霊になるのですか。

A: これは、① 高貴な人物であること。② 政争により冤罪を
受けて憤死した人物であること。この2つが御霊となる条件と
言われることが多いですね。ただし、別の見解もあります。

Q4: なぜ高貴な身分の人しか御霊になれないのですか。

A: 難しい質問です。御霊信仰は平安時代に始まったと
されますが、その当時は身分制度が厳しく、貴族と
庶民には大きな違いがあると考えられました。もちろん
庶民も怨霊になりますが、祟るのは特定の個人に対して。
御霊の場合は、疫病や飢饉、天変地異を起こして国そのもの
にも祟ると考えられたからです。

崇徳上皇
キャプチャcc

Q5: 冤罪に落ちた人が御霊になるというのは本当ですか?

A: うーん、これも難しいですが、上記の人物たちの
ほとんどが冤罪によって左遷、刑死、流罪、暗殺されており、
さらに、後に冤罪が明らかになって名誉回復されています。
ですから、おおむね正しいと言ってよいと思います。

Q6: 日本三大怨霊とは、どのような方ですか?

A: 一般に、「菅原道真」 「平将門」 「崇徳上皇」を
指す言葉です。



Q7: この中で平将門は条件に合わないのではありませんか?

A: よいところに気がつきましたね。将門は桓武天皇5世の孫
とは言っても、当時の朝廷には名前も知られていませんでした。
それに、朝廷に反旗を翻した謀反人であるという、
はっきりした罪もあります。

将門のことが知られるようになったのは江戸時代、
それも、読本や歌舞伎などの内容が大きく影響を与えています。
また、将門は関東の人間であり、将軍家のお膝元である
江戸では、関東の守り神として信仰されました。
京都とは事情が違うんですね。

吉備真備
吉備真備

Q8: 吉備真備は憤死した人物ではないのに、なぜ御霊と
されるのですか?


A: これも鋭い質問ですが、じつはよくわからないんです。
真備は77歳まで官職にあり、その後引退して81歳という
当時としては珍しい長寿で亡くなっています。ですから
御霊になる理由はないと思われますが、たくさんの怨霊を
出した第49代光仁天皇の時代の人物ですので、

御霊たちをおさえる要として祀られていると考えられる
ことが多いですね。ただ、もしかしたら、歴史上に
明らかになっていない何かの事実があるのかもしれません。
煮えきらない答えで申しわけないです。

将門の首
あsっc

Q9: 御霊を祀った神社に参拝するとき、何か留意点などは
ありますか。


A: いや、特別はないと考えていいでしょう。建前として、
御霊は神となって、その怨念は浄化されていると
思われます。ですから普通の神社にお参りするのと
同じでいいと思いますよ。では、今回はこのへんで。