これなあ、どれも戦前から戦後すぐの話でな。俺が子ども時分のものだ。
だから、あんたらにはぴんとこねえところもあるかもしれん。
まあ、わからないことがあったら、何でも途中で口はさんでくれよ。
俺が生まれた町は、今はさっぱりダメだが、当時は林業が盛んでな、
木材の集積地になってた。町のあちこちに太い丸木が積み上げられた
場所があってな。子どもの目には、いかにも登って遊んだら
面白そうに見えるんだが、これが厳禁でな。
あたり前だわな、大事な木を傷つけられちゃかなわねえ。
もし入り込んだのがわかれば、何発も拳固をくらったもんだ。
今とは違って、あの頃の大人は、他人の家の子でも容赦しなかったよ。
それに比べれば今の子どもは、ちょっとでも話しかけりゃ不審者扱いだ。

たらいに入る
あ、すまんな、年食ったせいか、近頃は口を開けば思い出話ばかりだ。
もうすぐお迎えが来るってことだろう。でな、そこの町は、
ある川の中流で、ちょうど支流が始まるところなんだ。
だから当時としては立派な橋があちこちにかかってて、
それによって町全体がいくつかの集落に分かれてたんだよ。
俺の住んでた地区は、荷沢って言ったな。その地区ごとにしきたりも
違ってて、他のところには対抗意識を持ってた。秋の氏神祭りには
地区ごとにお神輿を出してぶつけ合う。あとは小学校の走りっことかでも
町をあげて盛り上がったもんだ。それでな、俺のとこでは年に一度、
「防火の日」ってのがあったんだよ。時期は、さっき話した氏神祭りのちょうど
1週間後、まあな、木材の町なんだから、火事を起こしちゃいけねえ。

今のような消防車があるわけじゃねえし、一度火事が起これば、
消し止めるのは容易じゃなかったんだよ。ああ、すまん、
話があちこち飛んじまって。防火の日っても、何も難しいことをやる
わけじゃねえ。ただ、家ごとに、玄関前に径4尺ほどのたらいを置いて
水を張っておくだけだ。夕刻になったら家長がそれを用意し、
翌日の朝一番に片づける。たったそれだけ。決まりごとは2つで、
一つ目は、住人はその日の夜から朝にかけて、絶対に家の外に
出ないこと。これはどんな用事があってもダメだ。もう一つは、
家の神棚にお灯明と餅を供えて一家そろって拝み、その日は夕食抜きで
早く寝ることだな。子どもには夕食抜きはきついが、
一晩だけだし、昼飯をたくさん食べるようにしていた。

でな、夜明けとともに、家長が家の外の玄関に出てたらいを見る。
何事もなければ、まあそれはそれでよし。普通は何も起きんな。
俺はその防火の日を10回以上は経験してるんだが、
家のたらいに何か入ってたことはない。だが、そうだな、毎年
20軒に一軒くらいの割で、たらいに魚が入ってる家があったんだ。
魚は大きな鯉の場合もあれば、まるまる太ったへら鮒のときもあった。
それらが入ってた家では、区長にそのことをまず報告する。
それから、その魚を料理して一家でいただくんだ。他の家に分けるのは
厳禁されてた。いや、聞いた話だと泥臭いなんてことはなかったようだ。
まあ、今とは違って川の水もきれいなもんで、ゴミや洗剤の泡が
浮いてるなんてことはなかったしな。

で、そのたらいに魚が入ってた家では、必ず1年以内に慶事があるんだ。
一番多かったのが惣領息子の結婚、次が嫁の妊娠、
あとは家を建て替えたり、山仕事でおもわぬ大金が入ったりとかいろいろだ。
ああ、必ず何かしらがあるんだよ。ま、くじを引くみたいなもんだから、
みなその日を心待ちにしてたよ。もしたらいに何も入ってなくても、
それはそれで悪いことが起きるわけでもないしな。
でな、あれは昭和10年代に入る前のことだ。たらいに張った水に、
四軒に一つくらいの割で入ってた年があった。ただ、それは生きた魚じゃなく、
ちきれた魚の尾、手長えびのハサミだけたくさん、中にはよくわからない
腹わたのようなものがたらいに沈んでた家もあった。
さすがにそんなものは食えない。地区の有力者が区長の家に集まって

相談したが、どういうことなのか答えは出なかった。で、その翌年から、
どこの家のたらいにも何も入らなくなったんだよ。
それから日本は、中国での事変が激しくなって太平洋戦争に突入。
町の若い者も大勢召集されてな、たらいに何か入ってた家の息子らは、
一つの例外もなく、みな戦死してしまったんだよ。
うちには兄がいて召集されたが、防火の日に何も入ってなかったから、
げっそり痩せてたが生きて戻ってきた。まあ、こんな話なんだ。
あと、田舎の町だから空襲なんてことはなかった。ああ、町そのものは
戦争の爪痕は受けなかったってことだ。戦後の昭和20年代は、
復興による木材需要で景気がよかったが、それも長くは続かず、
日本の林業は終わりを迎えた。町の人口は最盛期の3割まで減ったよ。

金庫に入る
あれは俺が10歳くらいのときだったなあ。尋常小学校の4年のときかな。
その夏休みだ。当時の子どもは、どんなに暑くてもみな外で遊んだもんだ。
そりゃあ、今みてえにゲーム機なんてものはないし、それどころか
自分の部屋もない。家にいれば、まだ小さい弟妹が泣いてるし、
何かしら用事を言いつけられるから、外に出るのが一番だ。
でな、学校の校庭に行けば、たいがい子どもらが集まってて、
その中で6年生がリーダーでその日の遊びを考える。
時局が時局だから、水雷艦長とか戦争ごっこが多かったが、
チャンバラや忍者ごっこをやるときもあった。あとは水遊びだな。
川を少しさかのぼって、水が浅い流れの速いとこに皆で入る。
ああ、パンツ一丁のやつもいれば、フルチンのやつもいた。

水はカッキーンと冷えてて、今のプールよりずっと気持ちがよかった。
大人ものんびりしたもんで、川で泳いでる子どもを叱るどころか、
木材を流してる筏の上から声をかけてくれたりしてな。
ああ、すまん、水泳の話じゃないんだ。でな、その日来てる6年生によって
遊びの種類が違うし、中には意地悪なやつもいた。
そんときは、山根って6年が中心だったが、あんまり下のやつらには
好かれてなかった。で、最初はみなで棒を持ってチャンバラやってたんだが、
2時ころになって、あまりの暑さに音を上げた。で、山根が泳ぎに行こう
って言うのを待ってたんだが、山根は「金庫やろう」って言い出した。
俺は初めて聞いた遊びで、どういうものかわからなかった。
山根は、「ガネいるか?」って3年生を呼んだ。

ガネってのはあだ名で、たいがいの子は家が農家か林業なんだが、
そのガネの家はクズガネ屋をやってた。今で言えば、金属回収業ってことに
なるかな。ガネの家の敷地は広く、いろんな鉄クズが積み上げられててな。
中には当時町では珍しい、乗用車の残骸もあった。そこに入ると
ガネの親父に怒られる。これは当然で、クズ鉄が崩れてくれば危険だ。
ガネは体の小さい弱々しいやつでな。前に出てくると、
山根が、「お前んとこ、家に親父いるか?」って聞いた。
「朝に出かけた」ってガネが答え、山根はさらに「あの金庫、まだあるか」
って聞くと、ガネがこくこくとうなずいた。「よし」山根はそう言って、
みなを引きつれてガネの家に向かったんだよ。そうだなあ、
そんとき子どもは、12、3人はいたと思う。

でな、ガネの家のクズ鉄置き場に入り込んで、少しうろつくと、
立派な黒塗りの防火金庫があった。今のスチールロッカーくらいの大きさだ。
で、金庫って遊びは、山根の話じゃ、みなでかわりばんこにその金庫に
入るってものだった。いや、鍵は壊れてて、閉じ込められるおそれはないという
ことだったが。でもよ、そんな遊び、何が面白えかわからねえよな。
とにかく金庫の中に入って扉を閉め、30数えたらドンドン中から叩く。
そうすると開けてくれるんだよ。それを順繰りにやる。5、6番目だったかな、
俺も入らされた。中はまあ、子どもならせまくはないが、
何しろ暑い。たった30秒と言えども苦痛だったよ。あと、やっぱり怖い。
もし外から開けてくれなけりゃ、すぐに脱水で死んでしまうだろ。
鍵がないとは言っても、金庫の扉は子ども一人の力じゃ開けられない。

でな、10番目くらいだったか、俺と同じ4年の三河ってやつが入った。
ところが30秒過ぎても中から叩く音が聞こえねえ。山根が、
「あ、これは行ったか」そう言って、みなで扉を開けると三河の姿がなかった
んだよ。まるで手品、マジックショーだろ。山根が、「さあ、神社に行くぞ」
そう叫んで、先頭を切って氏神神社まで走った。そっからは15分くらいも
かかったかな。みな汗だくだったよ。神社に人はおらずしんとしてた。
社殿の裏に回ると、高床の回廊の上に、三河が仰向けに寝転がってたんだ。
なあ、不思議な話だろ。ガネの家の廃金庫と神社がつながってるのか、
なんともわからねえ、だが、実際にこの目で見たことだよ。三河はすぐに
目を覚ましたが、ガチガチ震えてて、体にさわると氷のようだった。
まあ、こんな話なんだ。面白かったかい。

ああ、そりゃよかった。で、その金庫をふくめて、ガネの家にあった金属類は、
戦争が激しくなるとお国に供出させられてしまった。金属類回収令ってやつだ。
ほら、お寺の鐘とかまで取り上げられて、戦闘機の材料になったなんて話は、
あんたらも知ってるだろ。戦争が終わって、ガネの家はクズガネ屋を再開し、
一時期は羽振りもよかったんだが、その後、他の商売にも手を出して破産し、
一家してどっかに引っ越してったな。あと、山根も三河もとっくの昔に死んだ。
当時のガキの中で、まだ生きてるのは俺くらいだ。
介護施設のご厄介になって、もう車イスじゃないと長い距離の移動はできねえ。
齢をとるって何なんだろうな。だんだんできねえことが増えていって、
記憶もあいまいになってくる。それが自然なのかもしれねえが

俺にしてみれば一番不思議だよ。