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今回はこういうお題でいきます。ここでいうヨーロッパ哲学は、
古代ギリシア・ローマ時代のものではなく、17世紀を中心とした
近代の話です。哲学が取りあつかう対象は膨大ですが、
その中心にあったのは神です。もちろん、キリスト教の神
ということですね。

ですから、ヨーロッパ哲学の多くの部分は神学、宗教学と
重なっています。各時代の哲学者は、それぞれ神をどう解釈するか
悩み、自分なりに神との折り合いをつけようと苦心してきました。
そういうエピソードを積み重ねて書いていきたいと思います。

アイザック・ニュートン
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神の使命
アイザック・ニュートンというと、微積分法の開発、万有引力の
法則の発見などから「最初の科学者」というような評価がなされて
いました。ですが、ニュートンの業績を調べていくにつれ、そうでない
ことがわかってきたんですね。ニュートンの神秘学的な研究は膨大で、
むしろ「最後の錬金術師」と言ったほうがふさわしいんです。

また、ニュートンは熱烈な神の信者で、自分は神に選ばれた
特別な人間であると考えていたようです。神がニュートンに対し、
神が創ったこの世界の法則を明らかにするよう使命を与え、
特別な才能を授けられたと自覚していたことが、その著作から伝わって
きます。彼は使命を達成するため、結婚もしませんでした。

ニュートンの聖書研究はよく知られています。ニュートンは聖書、
特に『旧約聖書』には神の預言が含まれていると考え、ひっちゃきに
研究していました。現在も「聖書の暗号」というのがオカルト分野に
ありますが、そのはしりだったわけです。研究の結果、「この世界は
少なくとも2060年までは滅びないだろう」と書いています。

ブレーズ・パスカル
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パスカルの賭け
ブレーズ・パスカルは17世紀のフランスの哲学者で、「人間は
葦のように弱い。しかし考える葦である」と述べたのは有名です。
パスカルは神について、「パスカルの賭け」と呼ばれる考察を行っています。

パスカルのころは、人間の理性を重視する研究が主流でした。


パスカルは、「神の存在は理性によっては決定できないが、
もし賭けをするなら、神が存在するほうに賭けるのが明らかに
得である」と、その主著『パンセ』の中で述べています。
この意味はおわかりですよね。神が存在するとして、信仰に生きる

人生をおくった人が亡くなると、天国に迎えられるし、

 

もし神がいなかったとしても、特に損をすることはありません。

逆に、神がいないほうに賭けて悪逆な生涯をおくった者は、

神がいた場合は地獄に堕ちる。これと似たようなことは、

日本の浄土真宗の開祖である親鸞も述べてますし、

現代の新興宗教でも使われます。


ルネ・デカルト
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神の存在証明
神の存在を論理学的に証明しようとした哲学者は多数おり、
パスカルと同時代のフランスの哲学者、ルネ・デカルトもその一人です。
デカルトには、「我思う故に我あり」という言葉が残っています。
では、デカルトの神の証明はどういうものだったでしょうか。

デカルトの考察はたいへん複雑なんですが、ごく単純化していうと
こんな感じです。「人間は不完全であり、完全な存在である神の
概念を自分でつくることはできない」「人間の外部に存在する
神が、その概念を人間に与えたのだ」「ゆえに神は存在する」

これ、みなさんどう考えられますか。なんかこじつけみたいに
聞こえませんか。実際、同時代の哲学者からの批判も多かったんです。
「不完全な存在(人間)は完全な存在(神)の概念をつくれない」
そもそもこの前提が正しいと証明されてないですよね。

バールーフ・デ・スピノザ
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スピノザの神
やはり17世紀、オランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザは
「汎神論」という概念を唱えました。スピノザは人格神を否定し、
それは人々を教え導くための方便であると述べます。
ただし、神はいないということではなく、無限の形で
あらゆるところに存在する。

これは一つの神です。それが地球だけでなく、宇宙の隅々まで
広がっている。あらゆるものに神性がおよんでいるということで、
汎神論と呼ばれました。この論法だと、たしかに宇宙は存在
してますので、神もまた存在するということになります。

フリードリヒ・ニーチェ
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神の死
19世紀になり、神の存在を信じる人はだんだん少なくなって
きました。こうした風潮を、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは、
「神は死んだ」という衝撃的な言葉で表現しています。
「神の死」は人々にニヒリズムをもたらしがちです。

そこでニーチェは、神が思想から失われた時代になっても、
神にかわって人々に生きる意味を与えてくれるような思想を
打ち立てようと試みました。哲学者がキリスト教の神の影響下から
離れ、独自の価値観による考察を展開し始めるんです。

ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン


沈黙
20世紀、オーストリア出身の哲学者ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、
著書『論考』の最後に、「語りえぬものについては沈黙しなくてはないらない」
と書き、「語りえぬもの」とは神についてだけではなく、霊魂や精神なども
入るんでしょうが、形而上にあるものへの決別を告げました。

さてさて、では、ニーチェに神は死んだと言わせた最大のきっかけは
何だったのか。これは当ブログで何度も述べているように、
チャールズ・ダーウインの「進化論」です。進化論がヨーロッパの
思想界に与えた影響は、ものすごく大きんですね。
では、今回はこのへんで。

チャールズ・ダーウイン
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