あ、じゃあ話していきます。僕、実業団で野球をやってるんです。
いちおう中学から、高校、大学と続けまして、大学時代は
外野手としてそれなりに注目されて、何球団か、
プロ野球のチームのスカウトが来たりもしたんですよ。
でもね、プロにはなれないだろうと思ってました。
大学あたりまでくると、自分の実力ってだいたいわかるもんなんです。
スカウトの人たちも、必ずとるって確約はしてくれませんでしたし。
それでもね、ドラフトのときはそこそこ期待はしてたんです。
でも、あんのじょう指名はなくて。それで、大学の監督の紹介で
実業団チームに入ったんです。ノンプロってことですね。
今は、昔と違ってノンプロに力を入れてる会社って多くないんです。

だから平日は普通に仕事をこなしてます。練習量も多くないですよ。
給料も、試合に出た分の手当てが出るくらいで、
他の社員と大きくは違わないんです。けど、社会人なっても
好きな野球ができるってことで、それなりに生活には満足してました。
で、先週の月曜日のことです。会社あてで、僕に訃報が届いたんです。
葬式の案内のハガキですね。誰が亡くなったんだろう、
そう思って見て、あっと思いました。それね、僕の中学校のときの
チームメイトだったんです。学年が同じだから、
僕と歳も同んなじで26歳、若いなあって驚きました。
「病気療養中のところ」とハガキにはありましたけど、
何の病気かは書いてなかったんです。

中学では、そいつがエースで、僕が抑えのピッチャーだったんです。
2人がかりで相手チームを完封したことが何試合もありました。
3年のときに県大会の準決勝で負けて、あと一歩で全国には
行けなかったんです。その後、お互いに推薦で
別々の高校へ行きまして、同じ県内だから、甲子園をめざす
ライバルになると思ってたんですが・・・ そいつは肩壊して、
2年のときに野球やめちゃったんです。僕のほうもね、
ピッチャーに限界を感じて野手に転向し、甲子園には行けなかったけど
そこそこ活躍して推薦で大学に入りました。こうやって考えてみると、
ずっと2流の中くらいの野球人生を歩んできてるんですよね。
才能はそいつのほうがあったんじゃないかと思います。

僕より身体が大きくて球も速かったし。でも、ケガしないってのも
才能のうちですから。ああ、すみません、思い出話が長くなってしまって。
でね、知らせを見たときは葬式に行こうと思ったんですよ。
けど、日時がちょうど試合の日と重なってて。
それで、返信用のハガキには欠席に印をつけました。
でも、お線香の一本もあげたいとは思ったんです。だから、
余白のところに、後日訪問させていただきますって走り書きをして
出したんです。で、先週の日曜です。練習が終った後、
電車で郷里に向かいました。そいつはまだ結婚してないみたいで、
ハガキの住所は実家になってたし、喪主はお母さんみたいでした。
郷里にはちょくちょく帰ってたんです、うちの実家もありますし。

駅についたのが5時ころです。いちおうそいつの家には電話してみました。
そしたらすぐお母さんが出たんで、名前を言って、「葬式には出られません
でしたが、これからお線香をあげに行ってもいいですか」こう聞いたら、
すごく喜んでくれて、「今は私しかいませんから、どうかいらしてください。
息子も喜びます」って。でね、駅からは歩いていくつもりでした。
中学校のとき、何度か遊びに行ってたんで、だいたいの場所はわかる
つもりだったんです。10分ほどで、そいつの町内に入りまして、
確か家の近くに大きなお寺さんがあったよなあ、と思ってると、
お寺らしいとこに出ました。片側にずっと黒い塀が続いてる道。
中は墓地になってるんです。これを曲がったあたりが家だったよなあと
考えてると、急にあたりが暗くなったんです。

「え?」って空を見てしまいました。そしたら空もかなり暗くて。
そんなはずないですよね。だって今は1年でいちばん日が長い時期だし、
時間はせいぜい5時半ですから。それで、ずっとまた黒い塀が続いてて。
わけわからないながらも前に進んでくと、また曲がり角にきて、
その先は黒い塀。でね、そんときおかしなことに気がついたんです。
かなり長時間歩いてるのに、僕の他に通行人を見なかったんです。
たしかに過疎が進んでる市なんですけど、そこは街中だし、
誰も通らないなんてことはありえないですよね。不安になってきて、
スマホでそいつの家にもう一回かけてみたんです。
そしたら、ずっと呼び出し音が続いてたんですが、やっと出て、
前に話したお母さんだと思いました。けど・・・

今思うと、なんか声が変だったというか、うまく言えないけど、
洞窟の中で響いてるような声で。「今、お宅の近くまで来てるんですけど、
場所がわからなくなてしまって」そしたら、「・・・」
しばらく沈黙があって、「そのまま塀にそって進んで、
曲がり角の向かいに理容店がある3軒隣がうちです。
門柱に忌中の札を出してますので、すぐわかると思います。
息子が会いたがってるので、ぜひ」こういう返事だったんです。
床屋なんてあったかなあ・・・そのうち、ますます暗くなってきて、
でも、道にある街灯はつかないんです。少し小走りになって
塀の角に出ると、道をはさんだ向かいに床屋が見えました。
「ああ、ここだ」一安心してそっちに向かいました。

そのときにはもう、夜みたいにあたりは真っ暗でした。
床屋は閉まってて、何軒か隣の家にそいつの名字の表札と忌中の札。
ああ、やはりここだと思ったものの、気味が悪かったんです。
この暗さが変だし、それ以外も。でも、2度も電話したんだし、
ここまで来て入らないわけにいかないですよね。インターホンを押すと、
すぐ「どうぞ」という声があって、ドアを開けて玄関に入ると、
奥から黒い着物の女の人が出てきました。いや、そいつのお母さんには、
会ったことがあるはずですが、見覚えがあるようなないような。
名前を告げて上がって、1階の和室に通されました。
入ってすぐ「えっ」と驚いたんです。白い布のかかった簡素な祭壇に
位牌と遺影。それはいいんですが、その手前に棺があったんです。

ありえないですよ。僕の実家のある地域では、まず火葬をして、
それから葬式なんです。だから骨壷はあっても棺なんかあるはずがない。
「野球のときのお友だちが来てくれて息子も喜んでますでしょう。
息子はずっと病院のベッドでも、また野球やりたい、
キャッチボールだけでもやりたいって言ってたんです」そう言われて
言葉を返せず、棺ごしにロウソクから火を借りて線香を燃やし、
線香立てに差しました。「今、お茶でも持ってきます」
お母さんは立っていなくなり、部屋に一人残されて・・・
部屋は電気がついてたと思いましたが、やはり薄暗くて、
心の中で「ちがう、何か違う」そういうふうに思ったんです。
お母さんはなかなか戻ってこず、不安になってきたとき、

突然、棺の蓋がバンとはね上がったんです。「うわー」大声を上げて
しまいました。棺の中には人は入っておらず、ちらっとバットとグローブが
見えた気がしました。立ち上がって逃げ出そうとしたとき、
「ちょっとあなた、どうしたの?」という声が聞こえ、そっちを見ると、
お坊さんが立ってたんです。「ええ?」あたりは明るく、外で、
僕、墓地の中にいたんですよ。はい、その亡くなった友人の家の墓の前に。
バットとグローブが供えられてました。その坊さん、お寺の住職にそれまでの
ことを話すと、住職は少し考えてから、「それは友引だなあ。けど、仏さんは
あなたを本気で引くつもりはなかったようだね」そんな話をされたんです。
はい、その後にそいつの家にも行きました。見たとおりの祭壇はありましたが、
棺はなかったです。お母さんと長話をして、たいへん感謝されましたよ。