西村と申します。介護士をしていて、現在はある老人施設で
勤務してるんです。名前は出さなくてもいいですよね。
そこはいわゆる介護つきの老人ホームで、すべて個室です。
看護師が数名常駐していますし、入居者に異変があれば、
日中であれば、すぐに医師がかけつける体制になっています。
はい、毎月の入居費はかなり高額です。だから、入居しているのは
いわゆるお金持ちのお年寄りなんです。まあでも、
お金があるから幸せだとはかぎらないんですよね。
入居者と家族の面会は随時なんですが、中には一月以上も
誰も訪ねてこないお年寄りもいます。年をとると、お金ももちろん
大事ですが、やはり家族とどう絆をつくってきたかが大きいんですね。

あ、すみません、話がそれてしまって。その施設に、山田さんという
おばあさんが入居してきたんです。はい、山田さんには娘さんが2人
おられて、どちらも教員をされているそうですが、
その方たちが入居させたんです。それで、私が山田さんの担当になりまして、
何度かお話をしました。施設の入居者の方の中には、
認知症を患っている方も多いんですが、山田さんはご自分や娘さんたちの
こともしっかり認識しておられて、ボケているわけではないと思いました。
お体のほうは、足が少し不自由でしたが、ご自分でトイレに行くことは
できました。で、山田さんのほうから、施設に入居することになった
事情を少しずつお聞きしまして。はい、山田さんはご自宅の一軒家に
一人で住んでおられたんですが、ノラ猫の餌づけをされていたんですね。

ほら、よくニュースで話題になっているじゃないですか、
お年寄りが自宅の庭などでノラ猫に餌をやって、何十匹も集まってくる。
でも、去勢などをするわけではないのでノラ猫は増えるいっぽうで、
隣近所の庭に侵入して荒らしたり、トラブルになる。
山田さんのケースがちょうどそれだったんです。
これは娘さんの一人から聞いたことなんですが、地域の代表の方が山田さん宅を
訪問して苦情を述べると、山田さんは激高してわめきちらし、
その方を杖で叩いたりしたため、娘さんに連絡がいき、
娘さんのほうでは山田さんに同居をすすめたものの断られ、
しかたなくこちらの施設に入居させたということだったんです。
そんな事情でしたから、山田さんは施設にいることをとても嫌がっていました。

入居したての頃は、「私がいないと猫たちがみな死んでしまう」
そう言って外に出ようとされたんです。私たち介護士でとめまして、
娘さん方に連絡をしなくてはなりませんでした。
そういうことが何度かくり返され、娘さん方も困ってしまって、
とうとう山田さんが住んでいたご自宅を売却されたんですね。
そのことを聞いた山田さんの落ち込みようは大変なものでした。
もう帰る場所、猫たちと会う場所がなくなってしまったからです。
それと同時に、やはり足が悪いため、ご自分一人ではもう何もできないと
思い知らされたんだと思います。それからは、テレビを見るでもなく、
食事もホールではなく自室でとるようになり、
ほとんどベッドに寝たきり状態になってしまったんです。

はい、私たち介護士にとっては手がかかりませんので、
同僚の中には喜んでいる者が多かったんですが、
私は、なんだかかわいそうだなあと思っていたんです。それから1ヶ月
ほどして、朝、私が山田さんの部屋に入っていきますと、
山田さんはもう起きていて、横になったまま携帯を操作されていました。
はい、うちの施設はスマホなどを持っておられる入居者の方は多く、
それでご家族と連絡をとっておられたりしました。
私があいさつをすると、山田さんはぱっと顔を輝かせ、
「心配してたけど、猫たちと連絡がついいたから。まだ全部じゃないけど」
こんなことをおっしゃったんです。最初、意味がわかりませんでしたが、
どうやら山田さんは、携帯で猫と話してるつもりなんだと思いました。

でも、そんなことはありえないですよね。ああ、家がなくなって
しまったショックでボケが始まったと考えたんです。
そういうことはよくあるんですよ。私が困惑した顔をしていると、山田さんは、
「あんたちょっと出てみなさい。この猫はジロっていう三毛だから」
そう言って携帯を渡され、耳にあててみました。もちろん猫が電話に出ている
とは思いませんでしたし、携帯の向こうからは「ジジジジ」という雑音が
聞こえてくるだけでした。はい、それ以来、

山田さんの精神状態は安定したというか、いつもベッドで携帯を

耳にあててるようになったんです。ときおりはご自分から
何かを話したりもしていました。それから3日後のことですね。
その日、私は夜勤だったんです。夜勤は看護師の方とペアで行います。
私たちは医療行為はできませんが、交代で各部屋の見回りにはいきますし、

病院と同じようにナースコールもあります。はい、お年寄りの方ばかりですので、
いつ容態の急変があってもおかしくはないですから、
その場合、ご家族に連絡したり、救急車を呼んだりしなくてはなりません。
気が抜けないんですね。時間は午前1時ころでした。看護師が見回りに出ていて、
私はナーステーションにいたんですが、「リリリリ」と電話が鳴る音が
聞こえたんです。でも施設には、そういう旧式の着信音の電話はないはずです。
あちこち見回すと、音はエレベータ付近から聞こえているので、
立って見に行くと、そこにある公衆電話が鳴っていたんです。
はい、携帯を持ってない入居者の方が外部と連絡するためのものです。
「え?!」と思いました。その電話に着信があったことなんてなかったからです。
呼び出し音は鳴り続けているので、不思議に思いながら受話器を取ると、

「ジジジジ」という音が聞こえました。ああ、故障か何かなんだろう、
朝になったら電話会社に連絡しないと、そう思ったとき、
声が聞こえたんです。男か女かもわからない幼児のような声でした。
「ソチラニ山田○○サン、イマスネ。スマセンガ、シュウゲキ、セイコウシタト
ツタエテクダシ」それだけ聞こえて切れてしまったんです。
はい、公衆電話ですから、向こうの番号などはわかりません。
それからは、朝まで鳴ることはありませんでした。ペアになっている
看護師に話したんですが、やはり「何かの間違いじゃないかしら」
という答えが帰ってきました。ただ・・・意味はわからなくても、
「山田○○サン」の部分だけははっきり聞き取れたんです。
その後、私も見回りに出ましたが、山田さんはよく眠っておられました。

翌朝ですね。勤務は8時までですので、7時20分になったら
各部屋を挨拶に回ります。山田さんの部屋に入ると、山田さんは起きていて、
窓のほうを見ておられました。山田さんの部屋は1階で、
窓の外は植木と塀が見えるだけです。殺風景なのでカーテンを閉めていることが
多かったんですが、その日はカーテンはすでに開けてありました。
あと、部屋は全室エアコン管理なので、窓は少ししか開きません。
迷ったんですが、昨夜の電話の話を、冗談めかして出してみました。
「昨日、夜中に山田さんに電話がかかってきましたよ。何かが成功したみたいな
内容の」そしたら山田さんは、窓のほうを向いたままにっこり笑って、
「今さっき、サブローから聞いたよ。いい気味だねえ。私にあんなことを言って、
あんなしうちをして。バチがあたったんだよ」

ますますわけがわかりませんでした。私も窓のほうを見ていると、
植え込みの下から一匹の猫が塀に跳び上がったんです。
猫はこちらをふり返り、山田さんは「サブローだよ」と言って手を振りました。
・・・その日のテレビで、ある男性が自宅の前で瀕死の重傷を負ったという
ニュースが出たんです。警察では傷の様子から、

野生の動物に襲われたんじゃないかと調べているということでした。

でも、その場所は住宅街で・・・前に山田さんが
住んでおられた近くだったんです。それから2ヶ月ほどたって、山田さんは
亡くなられました。ナースコールもなく、朝に死亡した状態で見つかったんです。
前日には何の兆候もなかったんですが、急な心臓発作ということでした。
その日の担当は私ではありませんでしたが、聞いた話では、
窓のカーテンを開けると、塀の上に猫が鈴なりになっていたそうです。