今回はこういうお題でいきます。これは何でしょうね? UMAとも
言えないし、変質者の話でしょうか。ちなみにバネ足ジャック事件が
起きたのは1830年から40年にかけてのイギリス。
弥五郎の話は江戸時代、徳川家光が将軍の頃ですから、1600年代
前半のことでしょうか。

 



バネ足ジャックは英語で spring heeled Jackです。Jackというのは、
名前がよくわからない人物に使われる仮名で、日本だと名無しの
権兵衛という感じです。この事件の概要を説明すると、1837年

メアリーという女の子が郊外を歩いていると、突然奇妙な格好の人物に
襲われ、衣服を切り裂かれています。またその翌日もジャックは出現し、
別の女性の衣服を切り裂き、3m近い高い壁を乗り越えて姿を消しています。
 
また、ロンドン・タイムズの報道によると、1838年、ジャックは口から
青と白の炎を吐きながら、18歳の女性を襲って自宅から彼女を拉致しようと
したとなっています。1845年、ジャックは13歳の娼婦を襲い、恐怖から
彼女は錯乱して橋から落ちて亡くなったとされます。

この他にも馬車のまわりをピョンピョン飛び跳ねて回ったとか、
目撃例はまだあるんですが、全部は書ききれないのでこのくらいで。
このバネ足ジャックが実在したことは、当時の新聞報道や警察の声明書が
残っていることから、まず間違いないと思われます。

 



ジャックの風貌は、背が高く痩せており、耳が尖り、目は赤い火の玉のよう。
黒いマントに、当時の警官のようなヘルメット、手には金属製の鉤爪を
はめ、ものすごい跳躍力を持っているというものですが、足には金属製の
バネがあったという証言は確認されていません。

で、これらの一連の証言を総合すると、強姦されたと主張する少女一人以外、
ジャックは人を驚かせる以上の悪さはしていないんです。川に落ちて
亡くなった娼婦も、ジャックが殺人を意図していたわけではないようなんです。

で、これらの事件の犯人として、風貌がよく似たアイルランド貴族の
ウォーターフォード侯爵が疑われました。公爵はギャンブル好きで、負けると
人に当たり散らすことがあったため、この噂が出たようです。ただ、
侯爵の死後もバネ足ジャックはロンドンで目撃されているため、複数人による
犯行という説もあります。

うーん、自分の見解は、悪ふざけ説ですね。人を殺害するなどの凶悪犯罪は
意図していなかったが、奇妙な行動で世間を騒がせたかった。
この時代は産業革命の最中で、労働者は強い酒で疲労をまぎらせており、
娼婦や浮浪児もたくさんいました。またジャックがジャンプしたというのも、
当時スポーツをやってるのは貴族しかいなかったので、
ウォーターフォード侯爵説も十分ありえるかなと思います。

 



さて、次は弥五郎について、江戸時代初期、酒井忠勝著の『仰景記』によると、
「抱きつき弥五郎」と呼ばれる乞食が往来で町人の女性などに抱きつき、
金を無心する。それ以外にはとくに悪いことをしないが、困り者だとして
町奉行に訴えられた。しかし適当な処分が見つからないので、

将軍家光まで話が行ったところ、「天下太平の印だ」と一笑された。という
話が載っています。まあ、これだけのことなんですが、
その後、明治末期から大正にかけて活躍した小説家・江見水蔭の短編小説に
『鯉を抱く男』があり、

そこでは弥五郎は、体から電気を出すことができ、水中の鯉を抱き取りで
つかまえたり、人の腕をつかんで病気を治したり、相撲取りに抱きついて
動けなくしたなどのことが載っています。ただ、これは創作と考えられ、
実際には、最初に書いた乞食の話程度のことだったと思われます。

 

弥五郎を記念した乞食祭り



さてさて、ここで何が言いたいかというと、こういうそこまで悪意の
ない悪ふざけ、愉快犯は長い歴史の中でもあり、当時の人が珍しく思って
書き残したことが、時代を経てオカルトとして甦ってきたんではないかと
考えています。

自分は「オカルトはどうやってできのか」を研究しているので、こういう
事例が結構あったと考えています。最初はたいしたことのない話だったのが、
だんだんに尾ひれがつき、創作も加わってオカルトとして語り継がれる・・・
ということで、今回はこのへんで。

 

徳川家光