
今回はこういうお題でいきます。ひさびさの怪談論になりますね。
さて、まず伝奇小説とは何か、ということですが、本来は
中国の唐の時代に隆盛した小説の形式を言います。もともと
中国では詩と経が尊ばれてきました。
経は仏教のお経のことではなく、『論語』など、儒教において
規範として認められる道徳などを説いた典籍のことです。
で、『三国志演義』 『水滸伝』 『封神演義』などの小説は、
知識人の教養の書ではなく、一段も二段も低いものとして
扱われてきました。要は、士大夫の読むものではない。

この傾向はずっと続いて、清代の魯迅の頃でもあまり変わりは
なかったんです。そもそも小説という言葉は、
国家や政治についての論である大説に対して できてきた言葉
なんです。さらに、小説の中でも、怪異を扱った作品は、
小馬鹿にされるような対象だったんですね。
理由はおわかりだと思います。孔子が『論語』の中で、
「子不語怪力乱神 子、怪力乱神を語らず」と述べている
からで、中国では、儒教は各王朝で国教としての扱いを受け、
その権威はきわめて大きかったんです。

さて、中国の六朝時代(3世紀から6世紀)に「志怪小説」と
いうものが登場します。基本的に、短い文章で世間で
噂になった超自然的な怪異譚や逸話を記録したもので、
現代の怪談に近いと言っていいかと思います。
唐代に流行した伝奇小説は、それよりも長く、内容もはっきりと
作者の創作したものでした。裴鉶 (ひけい)という人物が
『伝奇』3巻を著し、その題名が一般化して、伝奇小説という
言葉ができ、それが日本にも取り入れられたわけです。

さて、ここからは現代日本の伝奇小説の話をしていきますが、
この「伝奇小説」という言葉の意味内容はきわめてあいまいで、
定義がはっきりと決まってはいません。Wikiでは、
「中国や日本の古典的な伝承や説話等にある怪奇な事件や、
作者独自の想像による史実とは異なる歴史を題材にした小説」
となっていますし、多くの国語辞典では「伝奇的な事柄を
主題とする小説」と記されています。伝記的な事柄って何だよ、
とつっ込みたくなりますよね。こっちはそれが知りたくて辞書を
引いたのに。しかたなく伝奇の項を見ると、上で書いたような
中国の話が出てくる。

また、伝奇推理、伝奇SFといった言葉もありますね。
自分は、伝奇小説はやはり「歴史的」である必要があるんじゃ
ないかと考えています。はるか古代や中世、江戸時代とかでも
いいんですが、その頃から続いている秘密があって、
主人公らが、それを探っていくという形の内容。
あと、伝奇SFはいいと思いますが、伝奇推理というのはちょっと
どうでしょう。よく横溝正史氏の作品群が伝奇推理と
言われたりしますが、ほとんどのものではきわめて理知的に
謎が解かれており、伝奇と言っていいのは、落武者伝説と
宝探しがからんだ『八つ墓村』くらいじゃないでしょうか。

伝奇小説には「超自然」という要素も必須だと自分は考えます。
ですから、そもそも本格推理小説との相性はよくないんですね。
ただ因習的・閉鎖的な田舎を舞台にしただけの作品に、
あまり物を知らない編集者が「伝奇推理」という惹句をつけてしまう。
あ、スペースが残り少ないですね。自分が考える現代の典型的な
伝奇小説は、高橋克彦氏の『竜の柩』シリーズなどです。
ちなみに、竜の柩とは、古代に墜落した異星人のロケットのこと。
それを手に入れるため、さまざまな組織が争うストーリー。

推理小説では、第26回江戸川乱歩賞を受賞した井沢元彦氏の
『猿丸幻視行』。これは歴史推理でもありますし、
主人公が明治の民俗学者 折口信夫に、新薬の力を借りて
サイコダイブするという、超自然的な要素も満たしています。
あとは、半村良氏の『石の血脈』 『産霊山秘録』などの作品群。
たくさん書かれており、一時期、自分は続けて読んでましたね。
『英雄伝説』 『戸隠伝説』などの伝説シリーズもなかなか
面白かった記憶があります。夢枕獏氏の一部の作品も
伝奇小説と言っていいかなと思います。

それと、伝奇小説は冒険小説としての要素も重要だと考えてます。
主人公が、ふとしたことで歴史的な秘密を知ってしまい、
謎を追求していくうちに秘密組織などとの戦いになり、
埋蔵金や宇宙人などもからんだ大冒険になる。
そういうものじゃないかと思うんです。
さてさて、伝奇小説はホラーとの相性も悪くはありません。
自分が書いた話の中では、そうですね、「氷穴の話」
なんかは伝奇小説に近いかなと思います。下にリンクを貼って
おきますので、よろしければご一読ください。では、このへんで。
