こんばんは、中村と申します。さっそく話を始めさせていただきます。
でもこれ、ずいぶん古い話で、唱和の40年代はじめのことなんです。
当時、私は8歳かな。小学校の3年生でした。それで、父親は
公務員で郵便局勤め、母は専業主婦でした。当時は今と違って、
専業主婦はすごく多かったんです。まあ、平凡な家庭だったと思って
たんですけども・・・実際はそうじゃなかったんですね。どういうことかは
あとでわかります。家は一戸建てで持ち家でした。せまいけれど庭もあり、
父親の趣味が日曜大工だったので、庭には木材加工の道具や木材をしまっておく
小さな小屋もありました。ええとこの出来事が始まったのは春だったと
思います。まず最初はいい知らせから始まったんです。母親から、
「お前に兄弟ができるよ」って教えられたんです。

病院で確定診断されたんですね。いや、大喜びしましたよ。前々から母に
そんなことを言ってたんです。弟だったらいいなと思いましたが、
当時は男女の判定があいまいで、はっきりしたことは
生まれてこないとわからなかったんです。それでですね、まだ母親のお腹も
目立つほどふくらんでない頃に、強風の日があったんです。
シーズンじゃないから台風ではないんだけど、それと同じくらい風が
強い日。庭の小屋は手製のものだったので、父は屋根部分にコンクリブロック
を載せてたんですが、風で落ちると危ないってことで強風の中で下に
下ろしたんです。それでね、その翌日はすっかり風はおさまって、
快晴だったんです。でね、気がついたらいたんですよ。屋根の上のその鳥に。
大きさは鷺より一回りくらい小さいかな。もちろん小鳥よりはずっと大きい。

羽はくすんだ茶色で首が細くて長い、全体的に地味な色合いの体だった
んですが、とさかの部分だけいろんな赤い色が混じってました。
鶏じゃないです。鶏は飛べないけど、そいつは近くの電線に飛び移ったり
してましたから。それでね、私が最初に見つけたんだけど、家族に言っても
誰も関心を持ちませんでした。まあ、すぐに逃げ去ると思ってたんでしょう。
ところがそいつは逃げる様子もなく、ゆうゆうと屋根を歩いて、小屋の
雨どい部分に居座ってしまったんです。父がコンクリブロックを屋根に
乗せ直すとき、手で追い払ったんですが、そのときは逃げたものの、
すぐまた戻ってきてしまったんです。まあでも、最初のうちは特に
実害はなかったんです。そこいらじゅうに糞をまき散らすとか、
大声で鳴くなどのことはなかったんです。それと、いつだったか
その鳥の種類を調べようと、学校の図書館から鳥類図鑑を借りてきた

ことがあったんですが、それには載ってなかったんです。まあでも、そのときは
小学生用のちゃちい図鑑だからだろうと思ってたんです。それでね、3ヶ月、
4ヶ月とたつにつれ、つわりはほとんどなかったものの、母のお腹は
次第に大きくなっていきました。不思議だったのは、子どもができるのに
父があんまりうれしそうに見えなかったことです。このことも、今となっては
理由がわかる気がしますけどね。それと、春から夏に季節が変わっても、
あの鳥はあいかわらず小屋の屋根にいました。それだけじゃなく、雨どいの端に
巣のようなものまで作っていたんです。観察していると、鳥は午前中よく
どこかに飛んでいってて2時間ほど留守にするようだったので、一度、
いない間にはしごで巣をのぞいてみたことがあったんです。そしたらね、その巣、
髪の毛みたいなのでできてたんです。ええ、人間のだと思いました。それでね、

巣の中には卵があるわけでもなく、赤黒い木片みたいなのが置かれてたんです。
斜めから巣に埋まったのを見ただけだから確かじゃないけど、その木片、どことなく
目鼻があるように見えたんですよ。気持ち悪いので動かしたりはしてないから、
見間違いかもしれないですけど。そしてさらに季節は夏から秋に移り、その鳥が
渡り鳥ならそろそろ飛び立つかなとも思ってましたが、そこから動く様子が
なかったんです。家族ですか? もちろんその鳥の存在は知ってて、面白がってる
ような感じでした。赤ちゃんが生まれる前に家族がもう一人できたみたいな
感じで。でね、ある日の夕方のことです。庭からうわ~っという叫び声が
聞こえてきたんです。父の声でした。どうしたのかと庭に出てみると、小屋に
はしごを架けていた父が、あとじさりするようにはしごを降りてきたんです。
「どうしたの?」と聞くと、「あの鳥、贄のつもりなのか、雨どいの中じゅう、
 
トカゲやカナヘビだらけだ。みなすっかり干からびてる」って言ったんです。
臭いもなかったし、私が前に上ったときには見つけられなかったんですね。
父は竹ぼうきを出してきて、「こら!」と怒鳴りながら鳥を追いましたが、
何度追ってもまた戻ってきて、とうとう根負けしてしまったんです。
で、秋から冬になっても鳥はずっとそこにいました。私らの地方は雪は降らない
ですが、寒さにも耐えられるんだろうと思いました。そういえば心なし、
羽毛がふわっとしたようには見えました。でね、冬も半ばになり、
いよいよ赤ちゃんが生まれるということで母が入院したんです。
その頃には、買ったものや贈られてきたもので、家の中はベビー用品で
いっぱいになってたんです。で、予定日の前日でした。
その日、また強い風が吹いたんです。鳥が来たときと同じように。
 
でね、私は鳥のことが心配で、サッシの内から庭の鳥の様子をうかがって
たんです。鳥はいつものように屋根の端に凛と立ってましたが、ひときわ
強い風が吹いたとき、よろめいて塀のほうまで飛ばされたんです。
私は驚いて庭に出ましたが、鳥はまたもとに戻って、屋根の端にいてケガを
した様子はなかったです。すごい風雨だったので、家に駆け戻ろうと
したとき、「クワーッ」と鳥が一声鳴いたんです。思わずそっちを見ると、
鳥はまっす私のほうを見て、しわがれた声で語り出したんです。
「これから三つのことがこの家に起きる。一つ、この家は滅びる。
二つ、赤ん坊は曲がっている。三つ、赤ん坊はこの家の子ではない。
こうなったのはわしが来たからではないぞ。こうなることがわかって
いたからわしが来たのだ」・・・たしかに聞いたんですが、

自分の耳が信じられませんでした。だって、鳥がしゃべるなんて。重々しい、
老人のような声でした。私は家に逃げ込み、今聞いた内容を考えました。
この家は滅びる・・・そうかもしれない、と思いました。外面はとり繕って
いましたが、父と母の仲は悪かったんです。ケンカが絶えませんでした。
それにしても、赤ちゃんが曲がっているってどういうことだろう?それと、
この家の子ではないって・・・様子を伺っていると、鳥は大事そうに木片を
咥えて飛び立ち、それっきり二度と戻ってくることはなかったんです。
でね、翌日、予定どおりに母は出産しました。赤ちゃんは男の子でしたが、
重い障害があったんです。無脳児と呼ばれる症状だったんです。事前の
検査ではわかりませんでした。赤ちゃんは生まれて3日後に死にました。
それ以来、父と母はますます仲が悪くなり、とうとう離婚することに
 
なったんです。私は父のほうに引き取られました。それとね、あの鳥が
言った三つ目の言葉、赤ん坊はこの家の子ではないというのも、じつは
心あたりがあったんです。というのは、ある日私が早く帰ってくると、
その日休んでいるはずのクラスの担任が2階から降りてきたんです。その
後に母・・・今となっては、どうしたって疑ってしまいますよね。
ですから、家が滅びるというのもしかたがなかったのかなとも思います。
その後、私は何度か母と会っていますけど、このことについて聞く
ことはできませんでした。まあ、こんな話なんです。あの鳥とは、その後
一度も出会っていません。私も家庭を持って二人の子を育てましたので、
それはよかったと思います。あとね、あの鳥には出会ってないと
言いましたが、テレビで見たと思ったことはあるんです。

中国での話です。ドキュメンタリー番組でやってたんですが、海に面した
切り立った断崖に高級食材のツバメの巣があり、取ろうとして過去に何人も
命を落とした人がいるということでしたが、そこを飛んでた鳥が、あれに
そっくりだったんです。その鳥についての説明はなかったので、ただ似ている
だけかもしれないし、詳しいことは何もわかりません。一度、仕事上の中国人の
知り合いにこの鳥のことを聞いたことがあるんです。その中国人は話の
意味がわかると顔をしかめ、「それは仏様の臓器を食う鳥だ」みたいな
ことを言ったんですよ。それだけでした。だから仏様というのも、
仏教の仏のことなのか、それとも死者のことなのかわからないんです。
でもね、またもし会うときがあるとしたら、それは私が死ぬときじゃないか
とも思うんですよ。これで終わります、ありがとうございました。