これな、うちの実家にあった池の話なんだよ。それと、俺には3つ
上の兄がいたんだが、その兄の話でもあるんだ。
うちの実家は、場所ははっきりは言えねえが九州の某県だよ。
でな、そこの町では、うちはかなりの旧家だった。
戦前は町長とかも出してるし、さかのぼれば、江戸時代には
領内を巡回してる藩の役人が泊まったりしてたってことだ。
そんなだから、家の建物は古くてだだっ広い。藁葺きじゃなく
瓦屋根の平屋。もちろん、建物は江戸の頃ものじゃなく、
基本構造はそのままで、明治や大正の時代に何度か改築してある。
で、俺はその家、好きじゃなかったんだよ。友だちの新築の
家に遊びに行けば、いつもうらやましく思ってた。

うちには洋間ってなかったんだよ。全部が和室で、俺の部屋もそうだ。
畳の上にカーペットを敷いて、そこに学習机を置いてたし、寝るときは
ベッドじゃなく布団。ドアではなくフスマと障子だから
プライバシーも何もないだろ。そのうえ冬場はすきま風が入ってくる。
ああ、兄の部屋も同じだったよ。俺と兄はあんまり仲が良くなくってな。
ケンカしてたというか、俺がいつも一方的にやられてた。
兄は気が強かったし、俺はどっちかといえば大人しいほうだったから。
ただ、早く独立してこの家から出たいって気持ちは一致してた。
あとな、便所が母屋とは別棟だったんだ。便所に行くには、いったん
家の裏口から外に出なくちゃならない。そんなに離れてるわけ
でもねえが、子どもにとっちゃ、暗い外を通るのは気味悪いよな。

ああ、スマン、池の話だったな。うちの庭は高い塀に囲まれてたが、
その裏手、方角でいえば北東、つまり鬼門にあたるところに池が
あったんだ。そうだなあ、細長いんだが、広さは畳20畳はあったと思う。
もちろん自然の池じゃなく、ずっと昔に職人に掘らせたものだ。
でもよ、そんな敷地の薄暗い隅に池を造るって変だろ。
ふつう、旧家の池ってのは渡り廊下に面して造られるもんだ。
鯉とか飼って、縁側から眺めることができるようにな。
ところがそうじゃない。池はどんな天気がいい日でも真っ黒に見えた。
いや、これは水が濁ってるということじゃない。池の水は近くの
山から樋で引いてきたかけ流しで、いつも澄んでたし、夏でも
びっくりするくらい冷たかった。生き物は何も入れてなかった。

入れてもおそらく住めないんじゃないかと思う。コケなんかも
ほとんど生えなかったし。水の深さはせいぜい30cm、深いところでも
50cmはなかったろ。だから落ちても特に危険はないと思うんだが、
うちのジイ様からは近づくなって言われてた。ジイ様ってのは祖父のことで、
当時はまだ、その家の当主って言い方があって、70歳を過ぎた
ジイ様がそうだったんだよ。これは親父が入婿だったせいもある。
親父は、旧家に婿入したせいか、いつまでたっても実権を渡してもらえず、
親戚づきあいでも小さくなってて、子どもの目からも頼りなく、
また気の毒な感じがしたな。ああ、スマン、池の話だった。
それで、池はくの字型に曲がってたんだが、その曲がるところに
水の中からお社が立ってた。大きいもんじゃない。

40cm四方くらいだな。黒木で造られた神棚のような形だったが、
いつも正面の扉は閉められてた。母親が毎朝、その前に張り出した板に
酒ともち米を供えてたよ。いや、屋敷稲荷ってのとは違う。
うちのジイ様は、そのお社のことを「ご不徳様」って呼んでた。
子どもの頃は、どういう漢字をあてるのかわからなかった。
ジイ様の話では、家の中に不浄不徳のものが持ち込まれた場合、
その池が取ってしまうってことだった。え、不浄不徳って何かって・・・
それを今から話すんだよ。あれは兄が中学2年のときだな。
ほら、俺も兄も団塊の世代だろ。小学校も中学校も、ものすごく
生徒の数が多かったし、また荒れてもいた。暴走族が盛りの頃だった。
体の大きかった兄は、中学に入ってから不良とつき合うようになってな。

そのグループで、自転車の窃盗事件を起こしたんだよ。
それも1台や2台じゃなく数十台。停めてあるスポーツ車のクサリ鍵を
ペンチで切って持ってきて、分解して仲間内で売るんだ。
結局は警察沙汰になったけどな。で、兄が戦利品として自転車の
サドルとドロップハンドルを家に持ってきた。自分の自転車に
つけようってことだったんだが、自分の部屋に置いてたのがいつの間にか
なくなって、俺が取ったんじゃねえかって兄に疑われた。
けど、俺のは子ども用の自転車だったからつけようがない。
結局、そのハンドルとかは、裏の池に沈んでるのを朝に母親が見つけて
ジイ様に知らせた。これは兄の仕業だろうってんで、兄はジイ様に
呼び出され、仏壇の前でそれらが盗んだ物だってことを白状させられたんだ。

いや、ジイ様は歳だったけど、剣道七段ってことで、まだまだ腕っぷしも
強く、声も大きくて恐ろしかった。あ、勘違いされると困るが、
その部品、兄が池に捨てたってことじゃないんだ。盗品だから
不徳の物ってことで池が取ったんだ。そんな馬鹿なことがあるはずない、
って思うかだろうが、本当のことなんだよ。
でな、うちから学校に連絡して、自転車泥棒のグループが
芋づる式につかまった。中学校では、兄のヘマのせいでバレたってことで、
それからはずいぶんヒドいイジメを受けたんだよ。え、俺?
・・・俺は気が弱かったから万引なんてしたことはないが・・・
1回だけ池に物を取られたことがある。テスト用紙なんだ。たしか数学
だったと思うが、返ってきたテストが39点だった。

さすがにヒドい点数で怒られる。それでな、Xになってる記号を一か所、
正しい答えに書き換えて教師のとこに持ってったんだよ、採点ミスだって。
そしたら、教師は疑いもせず○に直して点数を上げてくれ、
41点になった。たいして変わらねえが、30点台よりは格好がつくだろ。
ところが、家に帰ってきてカバンを開けたらそのテスト用紙がないんだ。
他の教科のはあるのに数学だけない。これは兄の自転車の件の後だったから、
あわてて池に行ってみると、底に俺のテスト用紙が沈んでたんだよ。
濡れてたから捨てるしかなかった。もうわかっただろ、その池が
どういうものだったかってことが。でな、イジメのせいもあって兄は
勉強しなくなり、中3の面談のときに公立高校は無理だって言われ、
家に戻った夜に、シャベルを持ち出して池に庭の土を入れたんだよ。

いや、大きい池だから埋めきれるわけはねえ。そのことはジイ様には
わからなかったが、翌日から兄は熱を出して3日間寝込んだんだ。
何も食ってないのにゲエゲエ黒いものを吐いてたな。で、結局、
兄は不良が集まる私立高校に入ったものの、そこでもイジメられ、2年の
ときにやめて家も飛び出してしまったんだ。親は警察に届けようとしたが、
ジイ様がやめとけって言い、そのままになった。当時はそういう
家出人は多かったんだよ。兄は東京に出て、最初はパチンコ屋の
住み込みで働いてたが、その後ヤクザとかかわるようになったらしい。
そんなだから、俺はジイ様に兄のかわりに家を継ぐようにって言われた。
それから5年後だな。俺は地元の大学に入ってた。消息不明だった兄が
夜中にひょっと帰ってきたんだよ。母親には連絡してあり、

どうしても必要なことがあって金の無心に来たらしい。そのころには
さすがのジイ様も弱って、寝つくことが多くなってた。ところが、
裏口で母親が用意した金を渡そうとしたとき、そこに見えてた兄の姿が
ふっと消えたっていうんだ。夜のことだから探してもわからない。
でな、翌朝、兄は池にうつ伏せに浮いた状態で見つかった。
警察の検死では溺死。兄の体は左手の小指が欠けてたが前のもので、
それ以外に傷はなく、覚悟の自殺ってことになった。でもよ、
家族はみな池に取られたってわかってたよ。それから年月がたち、
実家は市の文化財として買い取られた。ジイ様が生きてたら絶対
ありえないことだが、他界して何もかも変わった。そんとき池は
埋められたんだが、簡単な工事なのに複数死人が出たって話だよ。