今回はなにぶん地味なキリスト教の話なので、スルーされたほうがいいかも
しれません。さて、キリスト教の教義の根本になっている概念の一つに、
「原罪 original sin( 英語) peccatum originale(ラテン語)」
というものがあります。

フランス ルルドの泉
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原罪は、ひとことで言うと「アダムとイヴから受け継がれた罪」のことです。
『旧約聖書』の創世記では、神が創った初めての人間、アダムとイヴを楽園におき、
あらゆるものを食べてよいと命じましたが、善悪を知る「知識の木の実」だけは、
「取って食べると死ぬであろう」として禁じました。しかし、蛇にそそのかされた
イヴが木の実を食べ、イヴに勧められたアダムも食べてしまいます。

これによって、アダムとイヴは楽園を追放されてしまうわけですが、
その罪は、神に命じられたことに背いた「不服従の罪」なんですね。
ここでイブは、あくまで蛇に食べることを勧められただけであって、
強制されたわけではありません。また、アダムも同じで、
自らの意志で神の言いつけに背いてしまったと、一般的には解釈されます。

楽園からの追放
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このため、われわれ、アダムとイヴの子孫である人間は、
等しく原罪を背負うことになってしまうわけです。ただまあ、それだと、
キリスト教徒ではない人間も原罪を持つことになってしまいますが、
そのあたりのことは、あいまいにして避けられる場合が多いですね。

さて、救い主イエス・キリストは原罪を持たないのはご存知だと思います。
イエスは、神の意志によってこの世に送られたのであり、
形としては聖母マリアの「処女懐胎」ということになります。現在では、
イエスの存在は、「父・子・精霊」の三位一体説がとられています。

大工であったヨセフは、婚約者のマリアが結婚前に身ごもっていることを知り、
当時のユダヤ法にしたがえば、マリアを不義姦通として世間に公表し、
石打ちの刑にしなくてはなりませんでしたが、マリアの話を聞いて
すべてを受け入れ、マリアと結婚します。

マリアへの天使ガブリエルによる受胎告知
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ということで、キリスト教の初期には、原罪を持たないのは
イエスだけだったんですが、カトリック派において、だんだんにマリアに対する
聖母信仰が高まってきました。9世紀頃から、マリアもまたイエスと同じく
無原罪で生まれたという説が唱えられるようになりました。

ですが、その説については否定的な意見が多かったんですね。
13世紀の神学者トマス・アクィナスも、はっきりと否定しています。
マリアも無原罪だったとすれば、イエスの特別性が失われるからです。
しかし、イタリアやスペインなどのラテン地方では、ますますマリア信仰が高まり、

ついに1854年、教皇ピウス9世の回勅によって、
マリアの無原罪説が認められました。マリアもまた、
神の特別なはからいによって母親の胎内に宿ったのであり、マリアのことは、
「無原罪の御宿り Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae(ラテン語)」
と呼ばれるようになったんです。 

さて、「ルルドの泉」の話に移ります。

1858年、フランス・ルルド村の14歳の少女
ベルナデッタ・スビルーが、郊外の洞窟のそばで薪拾いをしているとき、
若い女性が出現したとされます。ベルナデッタは最初、
自分の前に現れた女性を聖母とは思わず、「あれ(アケロ)」と呼んでいました。

ルルドの泉の水質 かなりの硬水
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当然ながら、この話を聞いた、教会関係者はじめ多くの人々は疑いを持ちました。
その女性はベルナデッタにしか見えなかったからです。ベルナデッタが、
「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、
神父はその女性の名前を聞いて来るように命じます。

そして、何度も名前を尋ねるベルナデッタに、「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」
であると告げたとされます。これを聞いて周囲は驚きました。ベルナデッタは、
ラテン語どころか母国フランス語の読み書きも満足にできなかったからです。
このことを証拠として、聖母出現は真実とされることになりました。

聖母は、ベルナデッタに「顔を洗いなさい」と言い、近くに水がなかったので、
聖母が洞窟の岩を指さすと、そこから水が湧き出し、最初は泥水であったのが、
だんだんに澄んできて、飲めるようになりました。そこに聖堂が建てられ、
次第に多くの参拝者が訪れるようになり、やがて重病人が泉の水を飲むと、
病気が治る「奇跡」が起きると言われるようになっていったんです。

この奇跡の認定基準はかなり厳しく、「医療不可能な難病であること、
治療なしで突然に完全に治ること、再発しないこと、
医学による説明が不可能であること」となっていますが、現在まで
68例が奇跡としてローマ教皇から公認されています。
その中には、1879年(明治12年)、悪性腫瘍で余命いくばくもないと
医師に宣告された、弘前市に住む新谷雄三少年が快癒した例も含まれます。

聖ベルナデッタの不朽体
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ベルナデッタは修道女となり、肺結核で35歳で亡くなります。
自分には泉の効果がなかったのか。それとも神が早くに天に召されたのか・・・
遺体は聖人として保存されており、腐敗しないとも言われます(不朽体)。
ただし、上の画像では、遺体の顔と手指にには
ロウ製のマスクが被せられています。

さてさて、ここまで読まれてどう考えられたでしょうか。
1854年に「無原罪の御宿り」の教義ができ、そのわずか4年後に
ルルドの泉の聖母出現が起きる。不信心な自分なんかは、かなり怪しいなあと
思ってしまいます。まるで新教義の宣伝みたいじゃないですか。
とはいえ、ルルドの泉の治癒例には、現代医学で説明ができないものが
あることも確かなんですね。では、今回はこのへんで。

エステバン・ムリーリョ『聖母マリア』
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