滝不動
妻と離婚してね。何もかも嫌になって会社を早期退職したんだよ。
離婚の原因は俺のせいじゃないし、幸いにして子どもがいなかったから思い切れた。
で、山村の廃屋を買ったんだよ。まあ昔から山暮らしにあこがれてたってのもある。
小さい畑を作って、あとは山菜、キノコ、魚釣り・・・
それだけで暮らしていけるわけじゃないが、貯金の節約にはなってる。
もうネットも見ないし、タバコもやめた。急に欲というもんがなくなって、
さばさばした気持ちになった。もういつ死んでもかまわないようなもんだよ。
今年の春、裏の山に山菜を採りに行ったときのことだ。

もう何度も入ってるから迷うことはないよ。よく山菜採りで遭難って話が

報道されるのは、それこそ、「もっと採りたい」という欲に駆られて、

自分の知らない場所にまで入り込んで行くからなんだよ。

渓流沿いの小道を登っていると、曲がり角の前の草地に白いもんがあった。
人、だと思った。それで慌てて駆け寄ると、白装束のジイサン・・・
年の頃は70過ぎに見えたけど、うつ伏せに倒れていたんだよ。

恰好から見て、山岳修行者じゃないかと思った。そこの奥の山地は霊山の一部を

なしてて、けっこうな数の修験者が入り込んでいるようなんだ。

まれに里に下りてくる人もいるよ。急病とかじゃないかと思って、

「どうしましたか?」と声をかけた。そしたらジイサンは顔を上げ、

「体がしびれて動かん。やられてしもうた」と小声で言った。

「里に下りて助けを呼びましょうか。救急車も」ジイサンは首をかすかに

横に振り、「病気じゃないんだ。敵(かたき)に呪詛されたから

医者などどうにもならん。それよりあんた頼まれてくれんか」 「はあ」


「この先に渓流が小滝になってる場所があるのがわかるか?」
「わかります。400mほど先でしょう」
「そうだ。その滝でたまさか水浴びをしたんだが、罠がかけられてた。
どうか滝の裏を覗いてみて、そこに何かがあったら滝壺に放り投げてくれんか」

「かまわんですけど、人呼んできたほうが・・・」 「いや、それを

やってもらえれば嘘のようにおさまるはずだ。礼はするからなんとか頼む」

こんなやりとりをして、ジイサンがあまり真剣だったので承知してしまった。
息をきらして小走りに滝のある場所まで登り、渓流に入っていった。
そこの滝は落差は2mもなく、水の量も少なかったんで、
濡れるのは覚悟で横から首を突っ込んで裏を覗いてみた。
そしたら、岩が40cm四方ほどに箱形に掘られてあり、
そこにちょこんと金属の仏像らしきものがのってたんだよ。

「これのことか」と思って手に取るとずっしりと重かった。小さな剣を

持ってたから、俺は詳しくはないけど、不動明王というやつじゃないかと思った。
でね、その表情がスゴイしかめっ面で、額に墨で梵字のようなのが

書かれてたんだ。かりにも仏像だからね、ためらいはあったけど、
ジイサンに言われたとおりに、そのまま滝壺に放り込んだんだよ。
特に何が起こるということもなかった。
さっきの場所に引き返したら、ジイサンの姿はなくなっていて、
地面に和紙を二つ折りしたのが石の重しをのせて置いてあった。

開けてみると、中にはしわくちゃの千円札が一枚、それと和紙に黒字で、

「世話になった。今はこれしかないが後でもっと礼をする」みたいなことが

書かれてたんだよ。昔の言葉遣いと達筆でちゃんと読めたわけじゃないけど。


山光
それから季節がかわって秋に入り、そろそろ茸狩りのシーズンになった。
俺はもうすっかり、春の頃の修験者のジイサンのことは忘れてたんだ。
でね、「ちょっと早いが明日あたり山に暖房用の薪を拾いに行こうか」

と考えた晩に、ジイサンが尋ねてきたんだよ。
コンコンと表戸が叩かれたんで、出てみるとあんときのジイサンが、

春の頃より重装備をして立ってた。ジイサンは「こないだは世話になった。

あんたがこなければあのまま野垂れ死んでたかもしれん。

恥ずかしい話だが、このような世渡りをしてても、敵というもんはいるんでな」
仏頂面でこう言って、下に置いてあったザルを持ち上げた。
ザルには見事な栗が山盛りに入っててね。
「これを」と言って渡してよこしたんだ。ありがたく頂戴したよ。

それから続けて、ジイサンは「こないだの敵といよいよ決戦が近くなった。
あんた山に入る予定を立ててるだろうが、ここ4日くらいが山場になる。
恩人に万が一のことがあってはいかんから、山に行くのは遠慮しててくれ。
それと・・・」ジイサンはここまで言ってから、アゴの先を奥の山地のほうに

向け、「夜になったら見ててみな。面白いことがあるかもしれんぞ」
「それはどんな・・・」こう聞いたけど、それには答えず、

後ろを向いてスタスタとスゴイ速さで歩き去って行ったんだよ。でね、何となく

面白そうだから夜になったらしばらくの時間、山のほうを観察してたんだよ。

1日目、2日目の夜は特に何事もなかったな。
ところが3日目の夜、小一時間ばかり見ていて何も起きなかったから、
もう寝ようかとひき上げかけたんだ。

そしたら、奥の山地の一つの峰で、ボウッと緑の閃光が弾けたんだ。
もちろんずっと遠くのことだから光そのものは小さいけど、

閃光と同時に山肌の広範囲が同じ色に染まった。「おっ、これのことか」

そう思ったとき、今度は隣の峰の頂で赤い光が閃いたんだ。

赤、緑、赤、緑・・・こんな具合に何度も光って、
花火ほど大きくはないけど、そりゃあきれいな眺めだったよ。
「すげえな、修験者の戦いってミサイル戦争みたいなもんなんのかな」
変な感想だけど、そんな風に思ったんだ。
光の炸裂は2時間近く続いたかな。最後に緑の光が大きく山を照らして、
それきりおさまったんだ。いやもちろん、どっちが勝ったかなんてわからないけど、
なんとなく緑のほうがあのジイサンなんじゃないかと思ったよ。

六臂
その夜からまた2日して、そろそろいいだろうと思って山に入ったんだよ。
本気で寒くなってきて、薪もどうしても必要だったし。

さすがに薪はリュックに入れてくるわけにはいかないんで、ねこ車を押して

登ってったんですよ。あちこちに拾った薪を積み上げながら奥まで行き、

順繰りに回収してくるんです。もちろん何度も往復しなきゃいけません。
でね、ねこ車が入れないあたりまで来たら、悪臭が漂ってきたんだ。
肉が腐ったときの臭いで、野生動物の死体が近くにあるんだと思った。

そこで退散すればよかったのかもしれないけど、好奇心を出して

見にいったんだよ。手ぬぐいで鼻を押さえながらね。

そしたら、薮を下っていく白いもんが走るのがちらっと見えた。
そうそう、ちょうど最初に話した渓流の滝壺が下にあるあたりだった。

でね、崖の突端まで行って見おろしてみた。
高さはたいしたことがなくて、谷の流れまで40mといったとこだったな。
修験者の服装をした人が、渓流の中の大岩にすっくと立ってたんだ。

あのジイサンだとわかった。向こうは俺がいるのを知ってるらしく、

上を向いて手招きしてた。「何ですか~」と叫んだら、ジイサンは

大笑いしながら小滝のほうを指さし、それからパンパンと2度拍手をした。

すると、ゆっくりと滝の後ろから水を跳ね上げながら何かが出てきたんだよ。
最初は何だかわからなかった。晒されて白くなった流木のようにも見えたが、

流木が動くわけはない。それはやがて全体の姿を現して・・・上からだから

丸いものの天辺が目に入った。巨大なひとつながりの骨だったんだよ。

水の中の足の長さを考えると、身長は2mを超えていたはずだ。

しかもね、シルエットが不自然で、蜘蛛か蟹みたいなのが混じってる気がした。
滝から完全に出てしぶきがかからなくなると、どうなってるのかが理解できた。
その全身骨格には腕が左右に3本ずつあったんだよ。
しかもその腕は肩のところから出てるのは人間と同じに2本だけで、

中の2本は肋骨の下のあたりから、最後の2本は骨盤のとこから左右に

生えてたんだ。人間のムカデといった感じだ。ジイサンは大声を出して

罵るような言葉を吐くと、また手を合わせて2度拍手をした。

そしたらあっというまにその骨格は崩れて、滝壺のほうに流れ落ちていった。
ジイサンは上を向いて高らかに笑い、ひと跳びで数m離れた岩にうつり、
そのまま近くの大木を猿のように登っていなくなってしまった。
俺は呆然と見てたが、ふと気がつくと、さっきまでの臭いはなくなってたんだよ。