俺が中学生時分だから、そうさなあ、昭和30年代の話になる。
うちは漁師家だったのよ。近海で、サケ、マス、サンマ漁。
当時は獲物も豊富で、それなりに暮らしは成り立ってたんだ。
漁船のローンを払いながらも生活してくことができた。それが今じゃあね。
重油も高いが、何より獲物が寄らなくなった。
ああ、でもよう、俺は漁師になったわけじゃあないんだ。
いや、もちろん親父の後を継いでなるつもりだったんだが。
俺は長男だったしよ。それが、高校は自動車科のある工業に行って、
ずっと整備工やってきたわけ。ま、夢がかなわなかったんだな。
うん、だから、何でそうなったのかって話をこれからするわけ。
磯神神社ってのにまつわる話なんだ。

場所は言わなくてもいいよな。まあ九州のどっかってことにしといてくれ。
海は磯浜で、そこらは堤防からすぐ、急速に深くなったいい

漁場だったのよ。でな、家から1kmくらいのところに、
「入らずの浜」って言われてるとこがあって、そうだなあ、
海岸線のさしわたしが100mばかり、禁足地になってたんだ。
神域の浜ってわけだ。で、そこの沖合150mばかりのところに、
磯神神社ってのがあったんだ。うん、神社って名前はついてるが、建物が

あったわけじゃない。鳥居もない、賽銭箱もない・・・ただの岩なんだよ。
それが海中から水面上2mほどに突き出ていて、そこに注連縄がまいてあった。
これが磯神神社だ。うん? 人が2人立てるくらいの足場はあったが、
登ったやつはいねえな。なんたって神社だから罰あたりだ。

その岩は不思議なことに、水中から何十mも突き立ってるんだよ。
水の中で見れば大木がそびえてるようだったな。ああ、潜ったことはあるよ。
今その話をしてるんじゃねえか。満潮になるとてっぺん近くまで水没して、
注連縄もすぐダメになってしまう。2ヶ月に1ぺんくらいの割で、
漁師仲間で順を決めて、取り替えることをやっていたな。
それで、毎年の旧盆のあたり、8月の中旬だ。
このあたりの日に、地元の漁師のせがれが集められるんだよ。15歳以下の

ガキがな。でなあ、この日にちってのは決まってるわけじゃあねんだ。
そこらへんの時期に、ぽっかりと凪いだ日ってのが必ずあるんだよ。
そういう日は、海の青さが色あせた感じで、ずっと深場まで見通すことができる。
浜の長老、引退した漁師だが、その人が毎日海の様子を監視してて、

これはってときに、朝の有線で放送が入って、
15歳以下の浜の男児が集められる。でな、白褌一丁に白い半纏を来て、
親に連れられて浜に行くわけよ。そうすると神主はじめ、
地域の区長とか、組合関係とか主だった人らも集まってて、
子どもら・・・全部で20人前後かなあ、が神妙に海に向かって立った前で、
神事が始まるのよ。といってもたいしたことをやるわけじゃあねえ。
神主が磯神様の岩に向かって祝詞をあげ、それから酒樽を開けて、
海に向かって流すってだけのことだ。踊りや鳴り物なんかは使われない。
それから、磯神様の岩に向かって泳ぐんだよ。
それをやるのは、10歳から14歳までの子たちだな。
いやあ、泳げないなんてやつはいねえよ。

そこらの子は、まだ幼児の自分から、親父が漕ぐ小舟に乗せられて、
沖合で海に放り込まれるとかして鍛えられているからな。
別に水泳競技じゃねえから速く泳ぐ必要もねえ。
漁師だから、万一のときのために、ゆっくり長く泳ぐことが大事なんだ。
だから、そこらの子はみな、やらせたら何kmも泳げたはずだよ。
磯神様まで往復の300mなんてわけはねえんだ。
まして海は鏡のように凪いでるんだし。念のため、大人が小舟も出してた。
でな、14歳以下のその子らは、おのおのの速さで岩まで行って、
タッチして戻ってくるだけだが、その年15歳の俺らは違うわけ。
岩まで着いたら、その手前で潜るんだよ。そうだなあ、海面から2mほどの深さに、
岩にぽっかり穴が開いてるんだ。いやいや、自然にそんなのができるわけねえ。

大昔・・・たって江戸後期ごろらしいけどな。往時の人の手で開けたものだ。
さあなあ、なぜそんなことをしたのか。いわれは伝わってねえんだ。
2mまで潜るのもわけはねえよ。そして体が完全に穴から出たところで、
沖側の海の底を見るんだ。これな、試験みたいなもんなんだよ。
何のって、そりゃ漁師になれるかどうかの。最初にそう言っただろう。
でな、その年の15歳は、俺を入れて4人。神主の合図でいっせいに海に入って、
俺がたしか2番目で岩までたどり着いた。そこで大きく息吸って、
海中の穴から向こうに出た。その間数秒ってとこだ。
それで目を開けると、見えちまったんだよ・・・
海の底数十mだから、普段ならどうやっても見えねえが、その日は見通せた。
したらそこに、かなり朽ちた沈没船があったんだ。

水車の輪みたいなのがついてたから、大昔の外国の蒸気船だ。
ほら、ペリーが日本に来たときに乗ってたようなやつ。まあでも、
ここまでは実際にあるものだから誰にも見える。でなあ、船底を下にして沈んだ
その甲板から、磯上様の岩に沿うようにして、太い綱が立ち昇ってたんだ。
ああ、今思い出してもぞっとするよ。その綱は太いところで直径4mほど。
先細りになってて、先端が海面下10mほどまで達してたが、人間の体でできて

るんだよ。海の溺死者ってことだ。人数にしたら百じゃきかねえ。それが上に

向かって這い上がる形で、びっしりとからまって綱のようになってたんだよ。ああ、

当然、実際にあるもんじゃねえ。幻覚と言えばいいのか、そのへんはわからないが、
重要なのは俺にはそれが見えちまったってことだ。息を飲んで海面に顔を出し、
磯神様を回って浜に戻ってきた。でなあ、神主に「見えました」と正直に報告した。

うん、エビス様の柱って言うんだな。どうしてこれがわかったのかは知らんが、
15の歳に磯上様の御穴をくぐって、その柱が見えたものは漁師には

なれない定めなんだ。海に関係した職業にもつけねえ。なんでかっていうと、
将来必ず海で死ぬことになるからだよ。ああ、間違いはないらしい。だからよ、

そこらの近海で漁をしてるかぎりは、地域で死んだ漁師はずっといないんだよ。
ま、遠洋はそのらち外なんだけどもな。ない頭をしぼって考えたんだが、あれは

一種の浜の守り神なんだろう。将来海で死ぬはずのものを知らせてくれてるんだ。
だから俺は親父の後を継ぐのをあきらめて、海とは関係ない自動車の仕事に

ついたわけ。親父の船は弟が継いで、今もう60過ぎたけどまだ漁師をやってる。
うん、やつにはあの綱が見えなかったんだなあ。
こんな話だが、どうだあんたらの役に立ったかい?

実に興味深い? そらよかった。だけどよ、磯上様はもうねえんだ。
岩が折れちまったんだな。今から14年前に、あのあたりで地震があったろう。
その前の晩だよ。これは俺はもう町出てたから、弟から話に聞いただけだが、
夜の10時過ぎに、沖が薄ぼんやり白く光ってるって話が弟の家に伝わってきて、
急いで行ってみたら、もう浜にはたくさん人が集まってた。
磯神様の海中あたりから、白い光が出てたそうだ。何事かと思ってると、
急にそのあたりだけ波が高くなって、大きな船が浮き上がってきた。
これはほとんどの人が目撃してるんだ。海の底に200年近くあったポルトガル船。
それが完全に壊れ果てているのに、沖に向かって進んでいったそうだよ。
翌日の昼に震度5の地震。いや、被害はほとんどなかったんだが、磯神様の岩が
ぽっきり折れちまった。だから、もう神事はやっていないんだよ。

はなななかいうr