米国の神経科学者チームが首を切断したブタの脳を,
36時間生存させることに成功し、倫理的な問題を提起した。
テクノロジーメディア「MITテクノロジーレビュー」によると、
この実験を行ったのは神経科学者のネナド・セスタン氏率いる米エール大学の
研究チームで、食肉処理場から入手した100~200頭のブタを対象とした。

セスタン氏は3月下旬、米国立衛生研究所(NIH)主催の会議で首を切断した
ブタの脳への血液循環を回復させることに成功したと発表した。
MITテクノロジーレビューによると、研究チームは「ブレインEx」
と呼ばれるポンプ装置を使って酸素と、
体温と同じ温度に保たれた血液をブタの脳細胞に届けることに成功。
無数の脳細胞が健康な状態を保ち、正常に機能したという。(AFP)




今回は科学ニュースから、この話題について書いてみます。
これまでも、当ブログでは積極的に医学・生理学のニュースを取り上げ、
ある場合には、警鐘を鳴らしたりもしてきました。
では、この実験、倫理的な問題はないんでしょうか。

ちなみに今回のお題は、ロシアの作家アレクサンドル・ベリャーエフ
による1925年のSF短編小説『ドウエル教授の首』から取りました。
有名な古典ですのでご存知と思いますが、内容は、人間の頭部だけを
切り取って生かしておくという禁断の実験をあつかったものです。

さて、これはあくまで自分の考えですが、豚であれば問題はないのかなあ
と思います。このケース以外でも、さまざまな実験が実験動物に対して
行われていて、それらに倫理的な問題は発生していないので、
このケースを「けしからん実験」と言うことはできないという気がします。



当ブログで警鐘を鳴らしてきたのは、あくまで「ヒト」に関する実験。
ヒトゲノムの編集や、ヒトの受精卵を使用した研究、
人間同士の頭部移植などについてで、このケースが学問の進展や、
臨床医学への応用に貢献するのであれば、豚さんはかわいそうですが、
人類全体に対する益を考えると、やむを得ないかなと思います。

さて、この実験ですが、わかりにくい部分がいくつかあります。
まず、「ブタの脳への血液循環を回復させることに成功」とありますが、
これは豚の本物の血液ではなく、酸素が溶けた人工血液だったようです。
その中には、本来の血液が持っているはずの成分はほとんどありません。

それと、「無数の脳細胞が健康な状態を保ち、正常に機能した」の部分。
これはあくまで、脳細胞が死滅せずに存在していたというほどの意味で、
脳が正常に活動していたということではありません。
もしそうであれば、実験の意味はまったく違ってくるでしょう。



研究チームは、脳波などの測定では、豚の脳に意識が生じていた兆候は、
一切なかったと認めています。これは、とにかく脳を生かしておくことを
重視したため、人工血液の中に、脳の膨張をふせぐなどの
化学成分が含まれていて、そのせいも大きいようです。

さて、ではもし、これが人間で、脳だけの状態で意識が
生じていたとしたら、それはどういうものになったでしょうか。
想像するだけで恐ろしいですよね。だって、脳からの神経は、
人体のどこにも、いっさいつながれていないんですから。

つまり、目も見えない、音も聞こえない、においも、味も、
皮膚感覚もない・・・ そういう状態におかれた意識って、
どういうものになるんでしょう。
みなさん、今現在の自分の体を考えてみてください。

背中がかゆかったり、タバコの吸いすぎで喉がいがらっぽかったり、
昨日の夜に食べたとんこつラーメンが胃にもたれたりしていませんか。
今は季節の変わり目で寒暖の差があるので、暑さ寒さを感じれば、
われわれはエアコンの温度を調節したりします。人間の思考・行動は、
そのほとんどが、人体各部からの情報に基づいて起こっているんです。

感覚遮断実験


ですから、それらの情報がまったく遮断されてしまった場合、
はたして意識はどうなってしまうのか。正常に保つことができるのか。
それを人間の意識と呼んでいいものなのか。
このことについては、ほとんど研究データが存在しないんです。

心理学では、感覚遮断実験という、視覚・聴覚・触覚刺激の入力を
制限して、意識がどうなるかを調べる実験がありましたが、
視覚や聴覚などは、脳に入力される情報の、ごくごく一部でしかありません。
脳には内臓や骨などからの、膨大で多様な情報がつねに届いているはずです。

あと、「幻肢痛」などの問題も考えられます。これは、事故などで切断されて
無くなったはずの手や足が痛むという現象ですが、脳だけの意識は、
もしかしたら、全身からの、気が狂わんばかりの痛みに
さいなまれてしまうかもしれません。そう考えると、これも怖い話です。

幻肢痛の治療


さて、これまでの西洋医学・西洋哲学では「心(意識、精神)」と
「体(肉体)」を分けて考える場合が多かったんです。
ところが、最近の研究で、心と体はどうやっても切り離せないものである
ことがわかってきました。人間の意識というのは、体全体を維持する
ための数多くの機能の一つとして存在している可能性が、強く示唆されています。

つまり、「意識が人間の主体である」 「脳が人体で最も主要な器官である」
という考えは、いったん捨てたほうがよさそうなんです。
人間の体のあらゆる部分が協調して情報をフィードバックし合い、
一つの人体、一個の人格を構成し維持しているということなんだと思います。

さてさて、では、脳だけを培養して、そこに意識が生じている場合、
これは人間と言えるんでしょうか。それは「生きている」ものなんでしょうか。
それに人権はあるんでしょうか。脳だけを培養しているのは、
例えば、胃だけを切り取って培養しているのと、どこがどう違うんでしょうか。

こう言えば、「脳には記憶が詰まっている、脳にはその人の人格が入っている、
脳がなければ思考することはできない」と答えられる方が多いと思います。
でも、本当にそうなんでしょうか??? この実験は、そういう問題を、
われわれに投げかけているんだと考えます。では、今回はこのへんで。