渓流を下に見る、散歩道のようなところを歩いてたんです。
朝方・・・なんだと思いました。日差しが柔らかく澄んだ感じがして

ましたから。白い細かい砂利を敷いた道で、幅は1mもなかったです。
木立の中をずっと続いてるんですね。で、道の両脇には

竹を簡単に組んだ低い柵、これもどこまでも道に沿って・・・
自分は浴衣を着ているようでした、足元は下駄です。
しばらく歩いていると・・・やがて木立が途切れ、
小高い山の端にいるのがわかりました。
下に温泉宿らしき建物が見えました。湯煙が上がっていたんです。

石段がありまして、やはり竹の高い手すりがついてました。
かなり急なので、手すりにつかまってゆっくりゆっくり降りていくと、
やっと平地に出ました。そこもやや大きめの白っぽい砂利が敷かれて

いまして、乾いた音を立てながら下駄で歩いていくと堰がありましたが、
どうやら温泉が流れているのではないようです。
ためしに手を入れてみるとびっくりするほど冷たい。
渓流から引いた用水のようでした。深さは30cmもあるか

どうかで、ゆっくりと透明な水が流れていました。

立ち上がり、堰に沿って歩くとだんだんに宿のほうに近づいていきます。
板で水路に屋根がかかったところを過ぎると、
堰の水の中から鮮やかな赤い色が目に飛び込んできました。
一つだけではなく、点々とあります。何だろうと思い、

屈んで目を近づけると・・・どうやら生き物のようです。
長さが10cmくらい、幅は大人の親指よりちょっと太いくらいですか、
全体が赤で、両端がオレンジ色。背中に1cmほどの

突起がたくさんついていて、その先は黄緑になっていました。
それがその場で伸び縮みするように動いていたんです。

「うわ」と思いました。なんて不気味な生き物なんだろう。

それに見たこともない。芋虫を大きくして赤く染めたものと

言えばいいか・・・ナマコにも似ていました。
しかしこれは淡水の中だし、芋虫でもナマコでもないんでしょう。
1歩進む間に3、4匹、底にいるものや側面に張りついているものと、

様々でしたが、どれも同じように、頭と思えるほうを流れの上流に

向けていました。頭には黒いイボのようなものが一つだけありました。
見ていると背筋がぞくぞくし、腕に鳥肌がたってきました。なんて気持ちの

悪い生き物・・・このあたりにしか生息しない特殊な生物なのだろうか。
あとでネットで調べてみよう、と思いながら宿へと入りました。

「お客さん。朝食の支度ができていますよ。部屋じゃなくて下の大広間です」
半纏を着た若い人に声をかけられました。
「ああ、自分はこの旅館に泊まって、起きがけに散歩に出ていたんだ」
と思い出しました。下駄を脱いで黒光りする廊下を通っていくと、
同じ絵柄の襖がずっと続いているところがあり、
その前にスリッパがいくつか並んでいました。
ここが大広間なのだろうか、そう思って開けてみると、
老人の団体が御膳を前にして、陰気臭く黙々と料理を口に運んでいました。

御膳はたくさんありましたので、団体から離れた場所に襖を背にして

座りました。中居さんが近づいてきて、ご飯と味噌汁を

よそってくれました。山菜の煮つけ、やはり山菜のおひたし、
味噌汁の中身はタケノコで、山の温泉宿らしい献立でしたが、
ただお膳の真ん中に朱塗りのフタつきの椀がありまして、
何だろうと思いフタをとってみると、
湯気の立つ椀の中には、さっき外の堰で見た赤いナマコが、
一匹まま平べったく二つ開きにされて汁につかっていたんです。
「それはこのあたりの名物の蒸し物です。お熱いうちにどうぞ」

ここで目が覚めました。どうやら夢を見ていたようです。
現実が微妙に入り混じった夢です。たしかに出張中で、
浴衣を着て寝ていましたが、そこは温泉宿ではなく山間の民宿でした。
山あいを縫って県道を通す計画のため、数人の地権者に会いにきていたのです。
起きてテレビをつけ、お茶を入れてボーッとしていると中居さんがきて、
「朝食はお部屋でいいですか」と聞かれました。
夢のことを思い出し「そうします」と答えると、
中居さんが「布団をかたずけます」と言ったので、
縁側の籐椅子に座って外を眺めていました。

渓流の流れる音がガラス戸ごしに聞こえてきました。
「この音を聞きながら寝ていたので、あんな夢を見たんだろうか・・・
しかしあのナマコ状の生き物は・・・」やがて朝食の御膳が

運ばれ、おそるおそるその上を見ましたが、どこにでもある

質素な料理で、夢の中で出てきた朱塗りの椀はついていませんでした。
「そりゃそうだよな。あんな生物がいたら天然記念物なんかになって

知られてるはずだ」ためしに中居さんにも聞いてみましたが、
「そんな気味の悪いものはおりませんよ」と言われただけでした。
しばらくゆっくりしてから身支度を整え、10時少し前に宿を立ちました。

ジムニーを運転して林道を通り、
山中に埋もれるようにして住んでいる集落にいくためです。
15分ほど運転すると、胃がむかむかして、吐き気がしてきました。
今朝も、昨日の夜もあたるようなものは食べていないはずです。
自分の運転ですが、未舗装路で酔ったのかもしれないと思いました。
吐き気を我慢しながら進むと、道に沿って点々と家が見えてきました。
さすがに藁屋根ではないものの、粗末な木作りの小屋のような家です。
前に一度だけきてましたので地権者の住居はわかっていました。

横の空き地に車を止め、板戸を叩くとすぐに気難しい顔をした

ジイサンが出てきて、開口一番「山は売れんよ、

いくら貧乏しても売る気はない」こう言われました。
「まあ、まあ。まだ諸条件もお話していませんし、けっして悪い内容

ではないんです」まず家の中に入れてもらおうと思ったんです。
そのとき、さっきからの吐き気が急に発作のように強くなって、
思わず下を向いてその場でえずいてしまいました。
胃液の臭いが鼻をつき、喉を・・・長いものが通っていく感触がありました。

「あああ、すみません」と言ったつもりでしたが

言葉にならず、下の地面を見ると、夢の中で出てきた赤ナマコが、

体を丸めたり伸ばしたりしてうごめいていました。
これは・・・今、自分が吐いたのか、まさか、どうして・・・
ジイサンもそれをのぞき込み、
「あんた、赤ナマコ食わされたのか、これは、こりゃまた」
ジイサンの言葉の最後のほうは哄笑に変わりました。「あんた赤ナマコ食った、

わはははははははははははははは、食った、食った・・・」
ジイサンの嗤い声を聞きながら自分は吐き続け、赤ナマコは何匹も、何匹も、
不気味な感触を残して喉から出てきたんです。

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