※ 骨董屋シリーズです。

 

あ、前に何度か おじゃまさせていただいた元骨董屋です。

ここの世話人の方に、まだ話があるだろうって言われまして。それで

また来てしまいました。ただ、今晩する話は、あまり怖いものじゃないんです。

それでも、よろしければってことで。あれは、わたしが50代に

入ったばかりの頃でしたね。ええ、骨董屋としても脂の乗り切った時期です。
そのくらいの齢になれば、仲間内の信用もできますし、馴染みのお客さんも増え、
鑑定眼も培われて、まず贋物をつかませられるってことはないんです。
だからねえ、何であんな買い取りをしたかいまだによくわからないんです。
ある日ですね、店じまいしようかという時間に、若いお客さんが来たんです。
で、ひと目で買い取りのお客さんだってわかりました。
少し話をしたら、案の定、これはいくらで売れますかって、

バッグから、年代がかって黒くなった木彫りの人形を一体取り出しまして。
高砂人形の片割れでした。ああ、高砂人形はご存知ですよね。
翁媼(おうおう)人形とも言います。熊手を持ったおじいさんと、
箒を持ったおばあさんの人形がセットになってるものです。
これは縁起物で、おじいさんが持つ熊手には、財をかき集めるという意味、
おばあさんが持つ箒には、邪気を払うという意味が込められています。
また、2体そろって夫婦円満、長寿息災の願いが込められているんです。
で、そのお客さんが持ってきたのは、熊手を持ったおじいさんのほうだけ。

ああ、これは買えないと思いました。2体セットでないと

価値がないものなんです。ただ、ちょっと心惹かれるところもありました。

すごく彫りが精緻だったんです。たんなる土産物のレベルではない。

木彫りで、どこにも銘などは入ってなかったので、時代はわかりません。
けど、かなり手ずれで黒ずんでましたので、古いものなのは間違いない。
でね、高いお金は払えませんでしたけど、買い取ることにしたんです。
いちおういわれは聞きましたが、お客さんは「わからない」
片割れの人形はどうしましたかと尋ねても「わからない」と答えるだけで。
まあでも、犯罪がらみのものとも思えませんでしたので、それで。
店の人形などを集めてある棚の奥のほうに置いておきましたよ。
で、その日以来です。店の売り上げがぱたっと止まっちゃったんですよ。
その頃の売り上げは、サラリーマンの方の年収の3倍近くあったんです。
これ、高いと思うかもしれませんが、骨董屋の場合は、
買い取りで払う金額もそこに含まれてますから。

ええ、わたしらの商売は、売って儲け、買って儲けの2段になってるんです。
同業者の中には、「往復ビンタで儲ける」なんて言う人もいるほどで。
それが、店の品がパタリと売れなくなってしまってね。
お客さんはそれなりに来て、ケースの中の品を出して見せたりもするんですが、
最終的に買ってくれないんです。あともちろん、カタログ商売もしてましたが、
そちらのほうの注文も一切なし。それとね、店に品物を持ち込んでくるお客さん、
これが1人も来なかったんです。そんな状態が2ヶ月も続きました。
原因は、考えたんですけどわかりませんでした。
あの高砂人形のせいだなんて、思ってもみませんでしたよ。
それで、わたしらは、仲間内で市をやってるんです。
ここまで現金収入がないと手詰まりで、

ああ、いくつかの品を市に出さなくちゃならないなあ、って思ってたんです。
市に出せば、必ず買い手はつきます。ですが、お客さんに売るより、
ずっと儲けは少なくなっちゃうんです。最終手段なんですよ。
で、市に出す品を選んでいるとき、迷ったんですが、
あの高砂人形も箱に入れたんです。その夜、夢を見ました。
わたしは一人、明るい白い砂の浜辺にいて、一本の松の木を見上げてる。
その松は盆栽のように曲がりくねった枝ぶりで、
樹齢数百年はあるように思えました。松の向こうは海で、
遠くに白い帆をはった舟が一艘浮かんでまして、ちっとも怖いところのない夢で、
むしろお目出たいような心持ちでいるとき、
どこからかわたしの名前を呼ぶ声が聞こえる。何度も何度も聞こえる。

そこで目が覚めまして、居間にある電話が鳴ってるんだってわかりました。
ええ、当時は携帯電話なんてなかったですし、家族は全員寝ている。
それで、わたしが起き出して出ると、実家にいる兄貴からでした。
同居しているわたしの母親が、急に具合が悪くなって入院した。

医者は家族や親戚を呼びなさいと言ってる、お前今から来れるか、

そんな内容でした。もちろん行くしかないんですが、真夜中でしたので、

夜明けを待って家族を起こし、事情を説明して、一番の電車で出かけたんです。

兄貴が言ってた病院に着くと、母親はたくさんの管がついた状態で、今日、

明日が峠だろうって話でした。それで、兄貴の家族とともに見守ってましたら、

午後になって血圧が上がってきたんです。それと心電図の動きもよくなって、
医者は、「これは持ち直したようです」って言いました。

まあ、一安心ですよね。それから1時間ほどたって、母親はぱちりと目を開け、
酸素吸入器を振り払って、「〇〇いるか?」って聞いたんです。
〇〇は私の名前です。「ああ、母ちゃん、ここにいる」そう言うと、
「仙台、骨董市場、すぐいけ」こうつぶやいて、また寝入っちゃったんです。
わたしに言ったのは間違いないですが、意味はわかりませんでした。
それから、もう1日母親のそばについてまして、意識は戻りませんでしたが、
「容態は安定している」という医者の言葉を信じて、
いったん帰ることにしたんです。その途中、ちょうど同じ方向でしたので、
仙台に寄りました。何度か来てましたし、知ってる同業者もいたんで電話すると、
その日、人形会館というところで骨董市場が開いてるって話を聞きました。
ええ、行ってみました。その地方の同業者だけの会です。

わたしはよそ者でしたが、訳を話すと仲間に入れてくれました。
そこで・・・ここの方々ならもうおわかりかもしれませんが、

あの高砂人形の片割れらしきものを見つけたんです。箒を持った

おばあさんの人形。値は安かったし、競り合う人もいませんでした。

で、手に入れたそれを店に持ち帰って、適当な台座を見つけ、
おじいさんの人形と並べて飾りました。するとね、気のせいかもしれませんが、
店の中がぱっと明るくなった感じがしたんです。
その夜、また夢を見ました。前に見た夢と同じ場所、
白砂の敷かれた浜辺の松の木の前に立っている。
ただ、前と違うのは、松の木の根本に小さなおじいさん、おばあさんがいて、
わたしのほうを向いて何度も何度も頭を下げる・・・そんな内容だったんです。

あと、話すことはあまりないですね。1週間ほどして、
わたしの母は意識を取り戻し、容態はどんどんよくなって、
歩いたり食事をとったりできるようになったんです。
兄貴たちもすごく喜んでました。それで、母に
「最初に病院に来たとき、俺の名前を呼んで、
仙台の骨董市って言ったのを覚えてるか?」って聞いてみたんです。
母はかぶりを振って、「仙台なんて行ったこともないし。ただなあ、
寝てる間、じいさん、お前の父さんが出てきて、こっちに来るなって言ったのは
覚えてる」こんな話をしました。まあ、俗に言う臨死体験なんでしょうねえ。
ちなみに、わたしの父は当時から30年前、まだ若い50代で急死してるんです。
「まだあの世にくるなってことだな」そう笑って帰ってきました。

まあこんな話なんです。ああ、もう一つだけ不思議なことがありました。
店に飾ってあった2体の人形、ほこりをはたいてるときに気がついたんですが、
両方の足元から、細い根っこみたいなのが数本出て、つながってたんです。
うーん、何十年、ひょっとしたら100年以上も前に伐採された木ですから、
そんなことはありえないと思うでしょうが、骨董の世界では、

その程度のことは、ない話じゃないんですよ。ええ、高砂人形は、二度と

離れ離れにならないよう、蔵のほうに移動させまして、わたしが店をたたむときに、

ある神社にお預けしたんです。今もそこにあるんだと思います。
それから、店の売上は回復して、前以上に繁盛するようになりました。
母はその後、10年以上生きて92歳で亡くなりました。

父が迎えに来たんでしょうかねえ、そのあたりはなんともわかりません。