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今回はこういうお題でいきます。さて、みなさんは伊勢神宮にお参り

されたことがありますでしょうか。伊勢神宮は第二次世界大戦以前は

日本の神社の総元締めとして皇室による祭祀の中心になっていましたが、

敗戦によって国家神道が崩壊し、現在では一宗教法人となっています。 

 

しかし、現在でも総理大臣等による参拝が行われており、特別な存在の

神社と思われています。神宮は内宮と外宮に分かれており、主祭神は二柱。

正式名は内宮が天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)

外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)です。

 

うーん、何から書けばいいでしょうか。まずは歴史かな。内宮の御神体は

八咫鏡なんですが、鏡は皇居の中にもあり、合わせて2つあることになるん

ですが、この2つは同一の格であり、不可分のものと考えられています。

 

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内宮は第10代崇神天皇の時代に八咫鏡が皇居の外に祀られ、

第11代垂仁天皇の第四皇女である倭姫命がそれを携えて各地をめぐり、

鎮座するにふさわしい地を探し、最終的に伊勢の地に落ち着くことに

なりました。

 

この、臨時に八咫鏡がとどまった地は、元伊勢と呼ばれています。さらに

雄略天皇の時代に、天照大神から雄略天皇に「食事を司る神としての

豊受大神を近くに置きたい」というお告げがあり、

豊受大神は、丹波国から伊勢の地に移されたとされます。

 

ただ、このあたりのことは神話上の話で、どこまで真実かはわかりません。

実際に伊勢神宮での祭祀の形が整えられたのは、第四十代の天武天皇の

頃ではないかと考える研究者が多いようです。

 

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さて、内宮と外宮は、現在では同格と考えられることが多いですが、本来、

豊受大神は天照大神の食事を準備する神であり従属的なものであった

はずです。それが現在のようになったのは、主に外宮側の働きかけに

よるものです。

 

歴史的に外宮と内宮は、神様同士はともかく、神官同士は仲がよくなかった

んですね。これは主に経済問題によります。伊勢神宮への参拝者は、地理的に

外側である外宮に先にお参りすることになりますが、それまでに旅費や

遊興費でお金をかなり使ってしまっていたんです。

 

ですから、外宮に参拝すると、内宮に参拝するときに、帰りの旅費などを

考えれば、どうしても使うお金は少なくなります。そのため、経済的に

潤うのは外宮のほうで、内宮はずっと利益が少なかったんです。

 

そのためたびたび、内宮のほうから外宮の利益をこちらにも回すように

という訴えが行われています。その他の理由でも両宮の争いは何回も

起こってるんです。さて、伊勢神宮は内宮も外宮も、同じ建物を

隣に作って御祭神に移っていただく式年遷宮が20年ごとに行われて

います。その歴史は古く、第62回目の式年遷宮が平成25年に終了

しています。

 

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ではなぜ式年遷宮するのか?よく「木造建築は20年もすると社殿が

傷んでしまうから」などと言われますが、これには根拠はありません。

木造建築でも、20年程度で朽ちることはないので、それよりも、

20年のうちに神が疲労するからという理由のほうが大きい。

 

神には、つねに清新な気持ちで世の中を守っていただく必要があり、

その力が弱ったのを回復していただくために、新しい建物にお迎えする

ことになるんです。伊勢神宮の正殿、床下中央部分に建てられる柱を

心御柱といい、神が依り憑く神籬 (ひもろぎ)とされています。

 

また、社殿の建物は仏教寺院の建築の影響を受けておらず、唯一神明造

という古代の建築様式を受け継いでいて、これは弥生時代の高床倉庫が

起源で、神へのお供え物をする特別な建物だったといわれています。

唯一とついているのは、伊勢神宮が他の神社と一線を画す存在であるため

です。

 

伊勢神宮のお使いである鶏

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いやあ、書くことがありますね。ここまででもうこんなに字数を使って

しまいました。伊勢神宮は皇室のご先祖と考えられるため、現代でも

天皇・皇后が御参拝するほか、神宮の神嘗祭(年1回、新穀を捧げる)

に際しては毎年天皇から勅使が派遣され、神宮の祭主を元皇族の

女性が務めるなど、天皇と神宮の繋がりは深くなっています。

 

さてさて、ということで、伊勢神宮について見てきましたが、とても

1回で書ききれるものではないですね。歴史の部分だけでも様々な

論点があり、今後も書き継いでいくことになりそうです。では、このへんで。

 

伊勢暦

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