今回はこういうお題でいきます。どんなことが書けるでしょうか。
幽霊の概念・・・ちょっとネット辞典を引いてみます。
「死んだ者が成仏できず姿をあらわしたもの・死者の霊が現れたもの」
これがWikiで、簡潔ですね。
 

「この世に怨恨や執念を残して死んだ者の霊が成仏できずに,

この世に現す姿のこと。幽霊とは元来死霊を意味する言葉であるが、

まれには生者の生霊が遊離して幽霊となることもある。この点は、

物の怪と類似する。現今では、幽霊とおばけ(化け物)は混同されているが、


幽霊は生前の姿または見覚えのある姿で出現してすぐにだれとわかるし、
また特定の相手を選んでどこにでも出現するのに対し、
化物は出現の場所や時間がほぼ一定しだれ彼れかまわず出現する」
これがコトバンクで、かなり専門的というか
民俗学的な解釈が含まれているような気がします。

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自分としてはどちらの解説にも「成仏できず」
という語が入っているのが、理解の鍵になると考えます。
「成仏」は仏教用語ですから、幽霊は仏教的な要素を多分に含む
概念なのではないでしょうか。

また、江戸時代頃の幽霊は、ほとんどが因果物として描かれています。
『四谷怪談』 『番町皿屋敷』 『小幡小平次』など、
まず恨みがあって、その結果が祟りとなって表れます。
『牡丹灯籠』はちょっと異質ですが、これは元来が中国ネタだからでしょう。

この当時の幽霊の条件として、
・はっきり身元が特定されている。(どこの誰の幽霊かわかる)
・幽霊になってもしかたのない(と周囲が納得する)恨みを持っている。

この二つのことが重要であると思います。

江戸時代の幽霊は死装束
キャプチャ

江戸時代は檀家制度というものがあり、これは寺請制度ともいい、
江戸幕府が宗教統制の一環として設け、
寺請証文を受けることを民衆に義務付けたものです。
キリシタン対策として始まったのだと思いますが、

これにより、檀家は檀那寺の統制下に入り、縛りつけられることに
なりました。当時の江戸や大坂など雑多な町人が暮らす地域以外、
農村などはきわめて閉鎖的な社会であり、
その中で幽霊が簡単に出てしまうのは非常に困った事態でした。

なぜなら、その地域の寺に死者を成仏させる力がなかったことに

なってしまうし、家の中のすったもんだも明らかになって

しまうからです。ですから、幽霊が出る場合というのは、

「ああ、あの人なら成仏せず迷って出てもしかたがない」と

周囲を納得させるだけの強い恨みの存在が必要であったのです。
勧善懲悪の観点からも幽霊の祟りを受けるのは、
悪党でなければなりませんでした。むろん江戸時代にも、
ちょっとした怪異、不可思議事はないわけではありませんでしたが、

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そういうのは妖怪、狐狸のしわざとして語られることが多かったんです。
実際、狐狸の話というのは多く、しかも明治時代になっても
語られていました。『明治妖怪新聞』という本がありますが、
これは明治時代に新聞に載った怪異譚を集めたもので、
狐狸の話は実に多種多様に採録されています。

例えば、現代では夜道を歩いていて、目の前を人型の白い煙(霧)が
漂い去った場合、「幽霊を見た」という人も多いと思います。
しかし歴史的には、このような正体不明のものは、「妖怪が現れた」
「狐狸(ムジナ)に化かされた」となることが多かったでしょう。

ところが現代では、妖怪や狐狸というのはすっかり廃れてしまって、
その分幽霊の概念が広がってきているのだと思います。
なぜこのようになったか、原因はいろいろあると思います。
科学的な教育が浸透して、狐狸をただの動物と考えるようになったこと。

幻覚や錯覚、あるいは記憶の改変のメカニズムが解明されてきたこと。
寺に力がなくなり、成仏するとかしないとかを真面目に考える人が
少なくなったこと。それからメディアの力があるでしょう。テレビの
『あなたの知らない世界』、それから心霊写真を特集した番組などでは、

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とりあえず人の姿をしていれば、それが生前がどこの誰とは
知られていなくても、幽霊として扱っています。
この頃には、江戸時代にあった概念がだいぶん崩れて
きているのだと思います。

またこれには、テレビ番組制作側の事情もあったのではないかと思うんです。
昔のテレビはあまりやらせなどにうるさくなかったので、
『川口探検隊』など、何でもありの状況でしたが、それでも、
さすがに「〇月〇日に亡くなった、住所□□の〇△さんの幽霊が出ました」
と放送するには、いろいろさしさわりがあったと思うのです。

ちなみに、『あなたの知らない世界』の最恐エピソードといわれる
『恐山の怪』では、日本三大霊場の一つ恐山で、
白い着物のお歯黒の女を目撃した主人公一家が
何の因縁もないのに祟られてしまうという内容です。

また水子の霊、守護霊、地縛霊、浮遊霊など、本来の仏教にはない
さまざまな霊の形も考え出され、「生首が飛んでいた」という目撃に対して、
「それは妖怪〇〇だ」「狐が化かしたんだろう」ではなく、
「幽霊だね」 「地縛霊じゃないか」というような状況に
なってきているんだと思います。では、このへんで。

『明治妖怪新聞』湯本豪一