今晩は、今日はよろしくお願いします。私、経理代行の会社で働いています。
これは、企業からの委託を受けて経理業務だけを行う仕事なんです。
月次決算や伝票の整理、消費税計算や給料計算などなど、その企業の

経理部門を外注の形で行います。今は、自社の経理部門を持たない企業も

多いんですよ。一番のメリットは、社外委託なので不正がないことですね。
私は毎日、エクセルとにらめっこして複雑な経理計算をこなしてます。
・・・なぜ、仕事の話をしたかっていうと、今回、私の身に起こった出来事と、
何かの関係があるかもしれないからです。
2週間ほど前のことですね。その日、私の住んでるとこでは珍しく、
朝から雪が降ったんです。天気予報では、8cmの積雪ってなってました。
雪国の方なら、8cmなんてたいしたことないだろうと思われるでしょうが、

私のとこは積雪に対応できなくて、朝の電車が止まっちゃったんです。
幸い、バスは動いてましたので、急遽バスでの通勤に切りかえました。
バスはかなり混んでましたね。それで、バス停から会社まで、
けっこう歩かなくちゃなりませんでした。幹線道路の雪は解けかかってって、
路肩にシャーベット状になってたまってました。
ブーツをはいてきたものの、慣れてないので歩きにくかったです。
そろそろと歩いてると、横を宅配便の小型トラックが通ったときに、
盛大にしぶきを跳ねかけられてしまいました。はい、運の悪いことに、頭から

足先までずぶぬれになったんです。「うわーっ」と大きな声を出しちゃいました。
すぐに手でほろったんですが、それだけではどうにもならず、
氷水がブーツの仲間で入り込んでる感じがしました。

頭にきたんですけど、そのトラックはもう行ってしまってるし、どうにもならず、
いったん近くの銀行の前に避難しました。ほら、よくあるじゃないですか。
土が入った大理石のプランターがあり、常緑樹が植わってる。
そこで、まずバッグからハンカチを出して、頭や肩をぬぐいました。
でも、水はもう中の服のほうまで染みてきてました。それから、ブーツに入った
氷を出そうと、片手で木につかまりながら右のブーツを脱いで中をほろい、
手を持ちかえたとき、指先に針で刺されたような痛みを感じたんです。
「あ、あ」私はブーツを下に落とし、指を口のほうに持っていくと、
右手の人差指の腹に血の玉が吹き出ていました。
「何か木のトゲが刺さったのか」そう思ったとき、耳元でささやくような声が
聞こえたんです。「わたあし・の・こおどもを・とうかかん・あずかてくだし」

女の人の声だと思いましたが、あたりには誰もいませんでした。
妙に間のびした、外国人のような発音だったけど、
「私の子どもを10日間、預かってください」そう言ったことはわかった

んです。「あれ、おかしいな。遠くの声が流れてきたんだろうか」
指先はズキズキと痛みました。もう散々だなと思いましたが、
それ以上ぐずぐずしてると会社に遅刻してしまいそうでしたので、
テイッシュで指先をくるんで歩き出したんです。会社に着き、
更衣室に入ってコートを脱ぐと、幸い、服はそれほどよごれてませんでした。
テイッシュをとると、血は止まっていましたが、指が紫に

腫れ上がっていました。まずいな、と思いました。私の仕事は

ずっとパソコン作業なんです。これだと、キーを打つのにさしつかえる。

まだ時間があったので、とにかく手当しようと思いました。
会社には医務室はないんですが、更衣室に救急箱があったので、
中からカットバンを出して指に巻きました。ああ、運が悪い日だなあと
思いながらエレベーターに乗って自分のデスクに向いました。
私の会社はかなり自由な雰囲気で、朝の打ち合わせのようなものは
ありません。社員のデスクはブースの中にあり、
自分のペースで仕事ができます。連絡などもすべて社内メールで。
ためしにキーボードを打ってみました。右手の人差指はかなり使いますし、
キーを打つとズキンと痛む。ただ、その時期、
私の担当はそう忙しくなかったんです。給料計算を始めるまで、
10日以上ありました。ひとつため息をついて、

「まあゆっくりやるか」そう考えながらエクセル画面を出しました。
そして保存してたデータを開いたとき、急に画面が動き出したんです。
はい、私が何もしていないのに。マクロの計算が始まって、
次々にディスプレィに数字が打ち出されていく。
「え、え、え!?」ほんとうにあっという間、3分ほどで給料計算が
できちゃったんです。でも・・・その計算というのは、依頼先の会社から
勤務時間などの、データが送られてこないとできないものなんです。
そもそもパソコンが勝手に動くはずがないし・・・
私の会社は、パソコンのメンテの専門の係の人がいます。
その人を呼んで見てもらったんですが、異常はないということでした。
念のため、それ以後は会社のノートパソコンを持ってきて仕事を続けました。

勝手にできたデータは、どうせ使い物にならないんだから消去しようと
したんですが、ふと思い直して保存をしておきました。
指の痛みはいつまでも消えることがなく、これは会社を早退して、
病院に行ったほうがいいかなと考えてました。昼休みになり、
私は同僚と外食することが多かったんですけど、その日は一人で外に

出ました。思えば、あのときもおかしかったんです。気がつくと、
近くのスーパーに入ってて、ニンジンを2本買ってたんですよ。
しかも、レジを済ませてすぐ、歩きながらニンジンをポリポリかじって・・・
ビルのガラス壁に映ってる自分の姿を見て我に返りました。「え、

何やってんだ私?」って。午後になって、指の痛みは我慢できないほどになり、

やはり早退して外科の開業医に行きました。年とった先生が指を見て、

「ははあ、これは化膿してるというより、中に異物が入ってますな。トゲかなんか」
切開する、ということになってしまいました。消毒して局所麻酔を打たれ、
「何、ちょっと切るだけです」と言って医師がメスを入れると、
そこからピューと緑の液体が吹き出しました。医師は驚いた顔になり、
そのとき、どういうわけか私、空いてる左手で医師の顔を思いっきり引っぱたいて、
走って処置室を飛び出しちゃったんです。そのまま部屋に戻りました。
指はもう傷まず、メスの傷はほとんど消えてました。
その上に軽く包帯を巻いて、買った残りのニンジンを食べてから寝ました。
もう、完全におかしくなっていたというか、精神を支配されていたんでしょうけど、
自分ではわからなくなってました。すごい幸福感があったんです。
どう言えばいいでしょうか、近い未来にとてもいいことが待っているみたいな。

それから、会社にはちゃんと出ていました。指は腫れているものの、
もう痛みはなかったので、仕事もふつうにできたんです。
そしてお昼休みにニンジンを買って食べる。会社の帰りにもニンジンを買い、
生のまま部屋でポリポリ食べて寝る。そのくり返しでした。
指の腫れはそれ以上は大きくならず、そのかわりと言うか、
緑と紫の混じった色に変わってきました。そして、10日目の会社帰り、
電車の駅には行かず、前に指を刺した銀行の植え込みの前に来てました。
時間は6時くらいでしたか。そうですね、そのときは、
「預かった子どもを返さないと」みたいなことを考えてましたね。
「返すのが残念」とも。植え込みに向かって、右の人差し指をつき出しました。
そのとき、指全体の皮がめくれるようにはがれ・・・

ほら、指キャップを取るみたいにです。それは少しだけカエルに似た小さな

生き物の形になって、植え込みの中に跳んで消えていきました。
そのときまた、「どうもお、ありあと・あんしたあ」という声が聞こえたんです。
・・・これでだいたい話は終わりです。人差指はなんともなかったんですが、
つめが、赤ちゃんのつめみたいに柔らかくなってました。会社に行くと、上司に、

「最近顔色が悪くて気になってたが、もとに戻ったみたいだね」って言われました。

あとですね、勝手にパソコンが動いて、保存してたデータがあったでしょう。
あれ、依頼先から資料が届いたんで出してみたら、入力されてたのがぴったり
同じだったんです。ありえない未来予知です。おかげで、その仕事はしないで
済んだんです。あとは・・・変な話ですけど、ニンジンを生で食べるのが

好きになってしまって・・・今も1日、5・6本は食べてるんです。