これ、昭和30年代の、私が6年生のときの小学校最後の夏休みの話です。
当時は、絵に描いたような田舎に住んでましてねえ。ええ、

ゲームなんてない頃で、子どもは外で遊ぶのが当たり前でした。当時はほら、

少子化なんてこともなく、兄弟が5人ぐらいいるのも珍しくなかった
ですから、家にいても自分の部屋はないし、小さい子のお守りをさせられるしで、
夏休み中なんかは、朝から捕虫網を持って駆け出してったもんですよ。
今とは違って虫もたくさんいたし、空き地に行けば子どもが集まってて、

鬼ごっこしたり、野球したりしてたもんです。それに、

暑くてどうにもならないときは、渓流を遡ってって泳いだりもしました。

もっともこれは、学校では危険だからと禁じられてましたが、
言うことなんか誰も聞きやしなかったです。
 

宿題ですか、当時もありました。ありましたけど、そんな大変だったって

記憶もないです。今のことはわかりませんが、比べれば当時のほうがずっと

量は少なかったと思いますよ。ああでも、読書感想文は大変でした。

ふだん本なんて読んでなかったですから。それでね、この話、読書感想文とも

ちょっと関係があるんです。夏休みも半ばを過ぎた頃でしたね。

「ちょっと〇〇、おいで!」朝、起きがけに母親が私を玄関に呼んだんです。

行ってみると、隣の家のご夫婦がそろってて、後ろに大型トラックがありました。

「△△さん、引っ越すんでごあいさつに来てくださったんだよ。それで、

お前に△△さんの息子さんが昔読んでた本をくださるって」そのときは、本なんて

別にいらないと思ったんですが、母親に言われて「ありがとうございます」

って頭を下げました。でね、小さな本棚にびっしり、30冊くらいあったかな。


子ども向けの世界文学全集が家に来たんです。うちは、私の下には小2の弟と、
まだ幼児の妹がいましたが、なんとか読めるのは私だけでした。
でね、読んでみるとこれがけっこう面白かったんです。

「宝島」とか「十五少年漂流記」とか、そういうのはね。「小公女」とか

「家なき子」みたいなのはダメでしたけど。ただ、昼はやっぱり

外で遊ぶことが多かったですから、読むのはもっぱら夕食後でした。
蚊帳を吊った寝床で読んでて、夢中になっていつまでも電気を消さないで

怒られたりしたこともありました。ああ、すみません、ちっとも怖い話に

ならないで。で、夏休みも、残すところあと数日ってなったときに、

読書感想文を書こうと思って、「巌窟王」ってのを読んでたんです。
ああそう、モンテ・クリスト伯爵が出てくるやつですね。

今考えれば、原作はかなり辛辣な復讐譚なんですが、それを子ども向けに
書き直した内容で、なかなか面白かったんです。それで、読んでいくと、
ページの間に黄ばんだ紙がはさまってました。かすれた鉛筆の字で
何か書いてあり、地図じゃないかと思いました。米田口ってあって、

それ、近くにある山の登山口のことだとわかったんです。ま、山って

いっても高さは数百mで、子どもでも2時間かからず登れるようなの

なんですけどね。その登山口からずっと、山道をなぞるようにして

線が引かれてて、それが頂上から少し下のところで、右に折れてたんです。

で、紙の上で2cmくらいですか。ぐりぐりと鉛筆で書いた丸があって、
「ひみつのどうくつ」ってあったんです。「おっ」と思いました。この本、

隣からもらったんだから、この地図も隣の息子さんが書いたんだろう。
 

それにしても、「ひみつのどうくつ」ってのは、なんとも子ども心を

くすぐる言葉じゃないですか。これ、今もあるんだろうか?

何年くらい前に書かれたんだろう? でもね、私は隣の息子さんという人に
会ったことがないんです。ええ、ご夫婦とは何度も会ってましたけど。
ですから、きっともうとっくに大人になって、別のところに住んでるんだろう
と考えました。それと同時に、この場所に行ってみよう、って強い気持ちが
わきあがってきましてね。もうないのかもしれない、でも、

秘密の洞窟には宝物があるかもしれないし。胸をわくわくさせながら、
その夜は寝たんです。翌日、朝から、親には虫捕ってくるって言って、
捕虫網を持って山に向かったんです。米田口の場所はわかってまして、
そこまで1時間くらい。汗だくだくになりながら、山に入っていったんです。

ええ、夏ですからね。草木が生い茂ってましたが、道はついてました。
かなり早足で登ったので、2時間かからず頂上に着きました。でね、

かなり注意して見てたんですが、右手に脇道なんてなかったんです。

おかしいなあ、昔あった道がふさがれちゃったのか? そう考えながら

降りていくと、ある場所で、なんか藪が薄いように思えるところがありました。

これ、昔の道の跡なんじゃないか、そう思って、木の枝を両手でかき分けると、
下に道の跡が見えました。で、体をこじ入れて無理やり入っていったんです。

体が小さい子どもだからできたんでしょうね。でね、木の枝の下を這うようにして

進んでくと、山の斜面が灰色の岩に変わって、洞窟らしきものがあったんです。

といっても、狸の穴みたいな大きさで、大人はとうてい入れない。
しかも穴には落葉や苔みたいなのがたくさん詰まってて、

まずそれを手で掻き出しました。頭を突っ込んで中を覗きましたが、
真っ暗で、湿った臭いがしました。両手を伸ばして肩まで入ってみましたが、

それ以上はつっかえそうだ・・・そのときです。伸ばしてた手をぐんと

引かれた感じがして、「ああー」と声を上げながら下に落ちていきました。

長い時間かかった気もしましたが、どんと尻から落ちて、息がつまりました。

なんとか立ち上がると、上のほうに明るい穴が見え、私が落ちてきたもの

だってわかりました。たいした高さじゃなかったんですが、穴の中は

つるっとした岩盤で、足がかりも手がかりもなく、登りようが

ありませんでした。ああ、困ったと思いました。声を出して叫んでも、

まず誰にも聞こえないだろう。それは子どもでもわかったんですが、

やっぱり叫んでしまったんです。「助けてくれ~」って。
 

そしたら、後ろから「・・・やあ」って声をかけられ、驚いて

跳び上がってしまいました。振り向くと、ランニングシャツに半ズボンの、

その頃の私と同じくらいに見える男の子が立ってました。「あ、あ、びっくりした」

そりゃそうですよね。そんなとこに人がいるなんて思ってもみませんでしたから。

でも、すぐ聞いたんです。「どっから入ったん? 他に入り口がある?」って。

その子はぼんやりした様子でしたが、「入り口・・・ないよ、そこだけ」と

間のびした声で答えて。「じゃあ君も落ちたの? 出られないと大変だよ」と言うと、

その子は「いやあ、でも、ここにいればずっと休みだよ」 「そんな食べるものも

ないし、家の人が心配するだろ」そのとき、いい考えが浮かんだんです。

「そうだ、肩車すればあの穴に手が届く。まず一人が上がって、それから
上から引っぱり上げるか、それがダメなら大人の人を呼んでくればいい」

するとその子は、「僕は出ないよ。ここにいる。君が出たいなら肩車するよ」
そう言いました。その子はガリガリに痩せてたので、大丈夫かと思いましたが、
出たい一心で、「じゃあ頼むよ」肩車してもらったんです。穴の縁に手をかけて、
ぐんと体を引っぱり上げました。で、地面に立つと、今度は落ちないように穴を
のぞき込んだんですが、その子の姿は見えませんでした。「おーい、おーい」
呼んでも返事はなし。それで、走って山を駆け下り、怒られると思いましたが、
近くの農協倉庫の大人の人に知らせました。「子どもが穴に落ちてる」って。
・・・農協の作業員の人たちといっしょに山に登って案内し、

なんとか穴の前に連れて行っても、中に呼びかけても返事はないし、私が嘘を

ついてるって疑われてしまいました。でも、私が泣きながら言いはったので、

消防署員を呼んでくれて、穴の中をサーチライトで照らしました。

ええ、中の岩盤に、もたれるようにして座った白骨が見えたんです。
そこから作業は困難を極めました。穴は大人が入れる大きさじゃないし、
探しても他に入口はなかったしで、結局、電気ドリルを使って穴を広げ、

消防署員が中に入って遺骨を回収しました。それ、子どもの骨で、

12年前、ちょうど私が生まれた年に行方不明になってた隣家の息子さん

だったんです。大規模な捜索隊が出てたんですが、ずっと見つからない

ままの。警察にも、私の両親にも、何でそんなとこに行ったか聞かれて、

「ひみつのどうくつ」の地図を見せたんです。どっちもすごく驚いてました。ただ、

穴の中で子どもに会って話をしたことは、どうやっても信じてもらえません

でしたね。まあ、今となっては私も信じられないくらいですから。引っ越していた

隣のご夫婦が戻ってこられて、ずいぶん感謝されましたよ。

 

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