今回はこのお題でいきます。よく「気合をかける」とか「気合を入れる」
と言われますよね。このときの「気合」って何でしょうか?
ネット辞書を見ますと「 1、精神を集中させて事に当たるときの気持ちの勢い。
また、そのときの掛け声。2、 呼吸。いき。」と出てきます。
では、気合術とは何なのか?

ここでひとまず「気合術」を定義しておくと、「相手に直接ふれることなく、
声や動作を用いて、行動を自由に制御する方法」こんな感じですかね。
では、こういうことは実際にできるんでしょうか?
youtubeには、中国の気功師が、声をかけただけで遠くにいる人を転倒させる
ような動画が出てきていますが、自分から見ればかなり怪しいものなので、
今回、中国関係のものはのぞいて考えてみます。



さて、自分は小学校では道場、中高では部活動で柔道をやっていて、
団体戦ですが、国体に出たこともあります。
柔道だと、声を出して試合することはあんまりないですね。
ただ、小学校のときの道場の師範には、技をかけるときに「ヤー」などと
声を出しながら行うと、そうしないときよりも力が入るというのは教わりました。

これは科学的にも実証されていて、特に重量挙げなどの力を使う種目では、
大声を出しながらバーベルを挙げた場合と、そうでない場合では、
はっきりと数値に違いが表れています。ある研究では、出す声が「うー」
のときが一番 成績がよかったそうです。

ただし、柔道の場合、技をかけるときは相手の道着をつかんでいるので、
上に書いた気合術の定義からは外れています。あと、道場の先生には、
組みながら相手の呼吸をはかって、相手が息を吐いたときに技をかけるとよい
とも教わりましたが、それは、どうやっても自分にはできなかったですね。

気合を入れる松本薫選手


さて、自分が通っていた中学校の道場はひじょうに古い建物で、
平屋建ての右側が柔道場、左側が剣道場になっており、間に壁がなかったんです。
で、柔道部はたんたんと練習してるんですが、剣道部はつねに、
「きえ~~~」とか「あぎょ~~」とか叫びながら稽古していて、
それがうるさくて、練習の後に頭が痛くなることがありました。

これ、剣道部のやつらは防具の面をつけてるので、それが耳栓になって、
横で聞いている柔道部よりうるさく感じないんですよね。
剣道のこの叫び声を「気勢」と言うんだそうです。なぜ声を上げるかというと、
大きな声を出すと、自分の体内でこの声が反響し、特に頭蓋骨内で、
脳が活性化され、集中力が高まるということらしいですね。
 

ここまで、重量挙げと柔剣道を例にして、「声を上げる効果」について

見てきましたが、あくまで自分の力を十分に発揮するためのもので、

相手に対する効果というわけではありません。もちろん、多少は

威嚇する効果もあったでしょうが、それは相手もやってるので同じです。

では、相手を支配する気合術というのはないんでしょうか?

さて、松山主水(もんど)という人物をご存知でしょうか。
あまり知られていないと思いますが、江戸時代初期の剣豪の一人です。
江戸初期は、たくさんの浪人があふれ、その中で、剣技によって身を立て、
名を高めて仕官をめざそうと、全国を武者修行にまわる者がいました。
有名な、二刀流の宮本武蔵もその中の一人です。



松山主水は、めでたく熊本細川藩の江戸屋敷に採用され、
藩主の細川忠利に重用されて、千石という知行を得ます。
主水の剣の流派は「二階堂剣法」といい、
源義経から伝わるものとされ、その奥義は「平兵法」と呼ばれました。
あれ、義経が元祖なのに、平というのは変ですよね。

これは、初伝を「一文字」、中伝を「八文字」、奥伝を「十文字」とし、
これら「一」「八」「十」の各文字を組み合わせると「平」の字になることから
きているようです。また、主水は「心の一方」あるいは「すくみの術」という
技も使い、これが今回のテーマである気合術と関係がありそうなんです。

江戸時代には参勤交代の制度ができましたが、百を超える藩の行列が
江戸城を目指して、たいへんに混み合いました。
そこで幕府の下士が交通整理にあたりましたが、
主水が細川藩の行列の先頭に立ち、列の前に来るものに対して、短く声を発し、
手のひらを下向きに前に突き出すと、みな身がすくんで動けなくなったり、
ひっくり返ったりしたと書き残されています。このため、細川藩の行列だけは、
いくら混雑してても、すいすいと進むことができました。

どうやら、「心の一方」は、瞬間催眠術のようなものだったんですね。
主水の働きを目撃した諸大名家の人々は、「主水はまるで魔法使いのようだ。
細川家はとんだ重宝な術者を持ったものだ」と噂し合ったそうです。
また、主水は気合術だけでなく、体術にも優れ、七尺(2、2m)の塀や、

二十二尺(6、6m)の堀を、助走なしで

跳びこえることができたということです。

 

さて、これほどの力を持った主水ですが、病気で高熱を発して

寝込んでいるところを、恨みを持った刺客に襲われます。

布団の上から刺されたものの、刺客に、「心の一方」をかけて

動けなくしてから斬り殺し、その後、自分も息絶えたと言われます。

(動けないところを、主水の小姓が斬ったという説もあり)

 

さてさて、最後に、細川藩といえば、晩年の宮本武蔵が客分として

招かれていましたが、主水と武蔵には、接点はなかったようです。

ただし、主水の一番弟子であった吉之丞という人物が、

細川家に仕官を求めた宮本武蔵に試合を挑んだところ、武蔵は恐れて

逃げたという逸話が残っていますが、どこまで本当かはわかりません。


宮本武蔵


ということで、主水の話が真実ならば、気合術のようなものはあったことに
なりますが、残念なことに現代には伝わっていないようです。
これについては、機会があればさらに調べてみたいと思います。
では、今回はこのへんで。