今から30年前、私が中学生のときの話です。
祖父が地域の拝み屋をやってたんです。
といってもそれは40代くらいまでの話で、
当時は70歳を過ぎてまして、とうに拝み屋は引退してたんですよ。
父が町役場に採用になった頃に、世間体を考えてか辞めたようなんです。
ただの田舎のじいさんとしか見えませんでしたね、外見も話しぶりも。
それでも、年に何回か拝み屋としての依頼がくることもありましたが、

ほとんど断ってたんです。「力も落ちたし、

もうそんな時代じゃないから」と言って。


でも、どうしても引き受けざるを得なかった頼みもありまして、

そういうときには自分が手伝わされたりしたんです。

これはそんな中の一つです。・・・轢き逃げ事件があったんですよ。

被害に遭ったのは小学4年生でした。

学校で具合が悪くなり、昼過ぎに早退したんです。
今だったら、親に連絡して学校に迎えにきてもらうんでしょうが、
どうやら連絡がつかなかったらしく、
どうせ一本道の県道だからということで一人で帰されたんですね。
 

いやほんと田舎でしたから、そんな時間帯だと通る車も

ほとんどなかったんです。それどころか信号だって、

学校からその生徒の家までに、一つもないというようなところでした。

道の脇を歩いているところを車にひっかけられ、
ガードレールを超えて3mほど下の農業用水路に落ちたんです。
即死ではなく、しばらく息があったということでした。
ただ声は出せなかったらしく、人通りもないとなって発見が遅れました。
夕刻、学校から生徒の家に連絡が入り、
まだ帰宅していないということがわかって騒ぎになりました。
死体が発見されたのが翌朝のことです。

もちろん警察の捜査がありテレビでも報道されたんですが、

3週間ほどたっても犯人が見つからなかったんです。で、被害者の

子どもの両親がそろって、夜に祖父のところへ訪ねてきたんです。

せまい町で、私もその人たちのことは知ってましたから、
家にみえられたときは、私にも、「ははあ、あの件で犯人を見つけてほしくて
きたんだろう」と察しがつきましたね。
そして2日後くらいの日曜日です。祖父が自分に「手伝えよ」と言ったんで、
この事件のことで何かをするんだとわかりました。
祖父と二人で早朝から出かけたのが、事故のあった現場でした。
 

県道のガードレール脇に、まだ新しい花束やジュースの缶などが

供えられていて、その子とは面識はありませんでしたが、

中学生の私としても痛ましく感じたことを思い出します。
祖父は県道から近くの農道へ入ったところに軽トラを止め、

荷台から子ども用のドジョウ捕りの網とバケツを持ち出しました。それから、

子どもが落ちていたという用水路のほうにまわって下りていったんです。

祖父は自分に網を持たせて、その子どもが落ちていたあたりの水を
浚わせられました。・・・そりゃあ気持ちが悪かったですが、
犯人を捕まえるためにいいことをしてるんだという気もあったんです。

私が網で40cmくらいの底の泥ごと持ち上げると、
水棲の昆虫やドジョウが何匹も動いてました。
祖父は「こりゃあわからんな。まあ数があればいいだろう」そう言って、
泥の中から大きめの昆虫やドジョウをつかみ取ってバケツに入れたんです。
何回か同じことをくり返しました。
「もうこれはこんくらいでいいか。・・・次はちょっと難しいぞ」
軽トラへと戻ると、今度は見たことのない道具を取り出したんです。

祖父に聞いたところ「無双網」という鳥を捕るための

仕掛けということでした。「こんなんで捕れるのか?」と聞いたら、

「昔、何度かやったが難しい」という返事でした。

生肉を餌にして網を張り、遠く離れたところでヒモを持って待っていると、

3時間で4羽のカラスが捕れました。その度に、祖父はもがいている

カラスのそばに寄って、何やら口の中で呪文を唱えましたが、

「ダメだな」と言って初めの3羽は逃がしてやりました。
「今日つかまえないと、明日にはカラスが覚えてしまってできなくなる、

なんとかかかってくれい」祖父はそう言って、

ややあせった顔をしていましたが、4羽目のことです。

呪文を唱えると、網の中で暴れていたカラスが硬直し、
目の玉がぐるぐる回転し始めたんです。
「・・・イダイ、イダイ、カアチャン、イデデデデ・・・」

人の・・・子どもの声が嘴の中から出てきました。

「よし、これだ」祖父が言いました。


それから家に戻り、祖父は夕飯も食わずずっと納屋にこもってなにやら
作っていましたが、夜になって「できたぞ」と言って私を呼びにきました。
納屋に入ると、高さ40cmほどの竹人形が裸電球の下にありました。
祖父が削った竹ひごを粗く編んだものでした。
表面には黒い羽根が一面に貼りつけられていました。
昼間のカラスのものだと思いました。「さわってもいいか」と聞くと、
「まだ魂を入れてないからいいが、壊さんでくれよ」と答えたので、
持ち上げると軽く、羽根のすき間から中に白い濡れた和紙があるのが
わかりました。「この中の物はなに?」
「それはドジョウやらヤゴやらだよ。・・・あの子の無念を食らったもんだ」
私は黙って、立った状態で人形を下に置きました。

祖父が奥から炉を出してきて香をくべ、目を閉じて呪を唱え始めました。
何度も聞いたことがありますが、お経などとはまったく調子の違うものです。
今にして思えば、神社の祝詞とも違っていましたね。
これが10分ほど続くと、竹人形はひとりでにうつ伏せに倒れ、
それから猫がのびをするような動作をして四つん這いになりました。

祖父が目を開けて「いきなっせ」と言うと、竹人形は短い手足で

進んでいきました。祖父が目配せをしたので納屋の戸を開けると、

竹人形は一気に闇の中へと飛び出したんです・・・
 

あとは、つけたりのようなもので、4日後、

轢き逃げの犯人が半狂乱になって警察へ出頭しました。

だいぶ離れた市に住む会社員で、
営業車にほとんど傷がなかったため疑いもかけられていませんでした。
亡くなった子どもが夜に枕元にきて、
「痛い痛いお母さん」と言い続けたと犯人は警察で言いました。
これは新聞にも載ったんですよ。
・・・祖父の話はこの他にもありますので、機会がありましたらまた。
 

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