みなさんは、いわゆる幽霊というのはあると思われますか。こう言うと、

「100話も200話も怪談を書いてるくせに、いまさら何だよ」
と返されそうですが、自分が書いている怪談のほとんどは創作です。
ただ、最近、このブログが仲間内で知れわたって、「こういう話がある」
「こういう体験をした人がいる」と、わざわざ知らせてくれる人が多くなりました。
これは大変にありがたいと思っています。そうして聞かせていただく話の中には、
霊の存在を肯定しないと、どうやっても説明がつかないものもあるんですね。
で、今回、自分がお世話になっている雑誌の編集部から、
Sさんという方を紹介していただきました。Sさんは50代で不動産会社勤務、
スーツを着てこられましたが、かなり痩せておられるのがわかりました。
大阪市内のホテルの最上階にあるバーでこの話をうかがったんです。

あいさつが済むと、Sさんは声をひそめ、「恥ずかしい話なんですが、
どこかで言っておいたほうがいいと思いましてね。じつは私、
人を殺したことがあるんです。それも子どもを」 「・・・」 「若い頃、

まだ10代のときの話なんです。高校を卒業して、今いるところとは違う
不動産会社に勤めて2年目。こういう業界だから。先輩方はみな厳しくて、
何をやっても怒られましてね。落ち込むことが多かったんです。そのときも、
嫌なことがあって、外回りの途中で児童公園によって、
ベンチで缶コーヒーを飲んでたんです。時間は4時頃だったと思います」
「で?」 「そしたら、小学校低学年に見える男の子が、一人で
自転車でやってきて、片側がコンクリの壁になってる遊具があったんですが、
そこに向かって、持ってきたサッカーボールを蹴る遊びを始めたんです」 「はい」 

「それがポンポンうるさくて神経に触って、立って公園を出ようとしたんです。
ちょうどそのとき、その子が蹴ったボールの方向がそれて、
私の腕にあたり、持ってた缶コーヒーを落としちゃったんです」
「で?」 「イライラしてましたから、足元に落ちたボールを拾って、
ここはボール遊び禁止だって怒鳴って、強く投げ返したんです」 「はい」
「そしたらその子は、おどおどした様子でボールを拾うと、こちらを見もせずに、
 走って柵の入り口に置いてた自転車に飛び乗り、全力でこいで路地に出ました」
「はい」 「そしてそっから2つ目の、停まれの標識のある交差点を

飛び出したとき、運悪く軽自動車が来まして」 「・・・で?」
「今でもあのときの急ブレーキの音は耳に焼きついています。
それと、小さな自転車が跳ね飛ばされるクシャッという音も」

「・・・」 「どうなったか見にはいきませんでした。別の入り口から出て、
大急ぎでその場を離れたんです」 「で?」
「ときかく急ぎ足で反対の方向に歩いて、そのうちに背中のほうで
救急車の音が聞こえてきて」 「その子は亡くなったんですか?」
「ええ、翌日のテレビで知りました。頭を強く打って病院で死亡。
7歳だったそうです」 「・・・でも、Sさんが殺したってわけじゃないですよね」
「・・・いや、殺したのと同んなじです。その子が死ぬときに、
 軽自動車の運転者より、私のことを強くうらんだでしょうから」
「・・・」 「私は何もしませんでした。本当はその子の両親のところへ行って、
 公園であったことを話せばよかったんでしょうが」
「うーん、でも、それをやっても子どもが返ってくるわけではないし、

誰も幸せにはならないんじゃないでしょうか」 
「・・・それで、私はノイローゼ気味になって、会社を辞めちゃったんです。
もちろん、ノイローゼになった理由は、医者にも話してません。
家族にもです。これはつらかったです。ことあるごとに、あのときの子どもの
おびえた様子が浮かんできまして」 「それは無理ないかもしれませんね」
「で、郷里に戻って2年ほど引き込もってたんですが、少しずつ、
少しずつですが、そのときの記憶が薄らいできて。
ほんとは忘れちゃいけないんでしょうけど」 「で?」
「いつまでもブラブラしてもいられませんので、親戚に紹介してもらって、
今いる不動産会社に勤めたんです。それからは無我夢中で働きました。
仕事をするときだけが、生きてるって感じがして」

「はい」 「結婚とか考えたことはなかったんですが、30歳を超えた頃に、
周囲の勧めがあって、見合いで結婚したんです。
お金がなかったんで披露宴はやりませんでしたが、
式だけは、郷里の大きな神社であげたんですよ」 「はい」
「ただね、事故で亡くなった子のことを思うと、
自分が幸せになっていいものだろうかって、考えるときもあったんです」
「そうでしょうねえ。あ、その子の墓参りなんかにはいったことがあるんですか」
「いえ、・・・やはりいって謝ったほうがよかったんでしょうね。
そう思ったこともありました。でも、踏ん切りがつかないまま、
ずるずるとここまで来てしまって」 「いやまあ、無理ないと思いますよ」
「家内とはケンカをすることもなく上手くいってます。

ただ、さっき言ったように、このことは話してはいません。
それと、私たち夫婦には子どもができませんでした。
不妊治療などもしたんですが、今ではもうあきらめてます」
「はい」 「それでね、3ヶ月ほど前、たまたま結婚式をあげた神社の近くに
行ったので、一人で参拝したんです。お参りをおえて、
戻ろうとしたときに、社務所から出てきた宮司さんがこっちを見て、
あっ、と驚いたような顔をしたんですよ。それで、顔は忘れてたんですが、
ああ、私の結婚式のときに仲立ちを務めてくれ一人だろうと思って、
会釈したんです」 「はい」 「そしたら、神主さんは立ったまま
私のほうをまじまじと見ていたんですが、意を決したように近づいてこられて、
時間があるなら社務所に寄ってほしい、話したいことがあるって言われまして」

「で?」 「ここからは、宮司さんのおっしゃったことをそのまま話します」
「はい」 「あなたはだいぶ以前に、当社で結婚式をあげられた方でしょう。
あの結婚式のときのことはよく覚えています。どうしてかというと、
あなたと式の打ち合わせをしているときから、ずっと、あなたの後ろに
血まみれの男の子がいたからですよ、って」 「う」
「普通は、そういうものが憑いていても、神域に入って祝詞を聞けば自然に
消えるものなんですが、その子は消えなかった。あなたにそれを告げようか
どうか迷ったんだが、めでたい席が壊れてもいけないと思って、
言わずじまいになってしまった。今にして思えば。あのときにきちんと、
正式なお祓いをしておけばよかったです、って」 「で?」
「これをお聞きして、自分の顔から血の気が引いていくのがわかりました。

で、その宮司さんには、今ここでしている話を聞いていただいたんです」
「それで?」 「今からでも、その子の御霊会をしたらどうだろう、
っておっしゃっていただきました」 「その宮司さんには、
今でもその子の姿が見えたってわけですか?」
「はい。私もそう聞きましたら、宮司さんは、あのときの結婚式の間中、
その子は血に染まった指先で、ずっとあなたの背中をつついていた。
それが、今はだいぶ薄くなり、表情がぼんやりしている、って」
「その子の念が消えかけてるってことですか?」
「おそらくそうだと思います。長年のうらみがとけてきているのでしょう。
というのは私、2ヶ月ほど前から、背中の腰のあたりに張りを感じていまして。
病院にいって検査したら、膵臓癌でした」 「う」

「健康診断は毎年受けてたんですけどね。腹膜や小腸にも転移してるようで、
手術はできないということでした。余命宣告もされましたよ、半年ないです」
「うう」 「それでね、決心がつきました。遅れに遅れてしまいましたが、
あの子のご両親のところに行って、公園であったことを
きちんと話そうと考えています。ええ、健在なのは調べてあります。
それで、ごいっしょに御霊会をさせていただければと」
「・・・このお話、仮名でブログに書かせていただいてよろしいでしょうか」
「ええ、かまいません。いまさら隠す意味もありませんから」
Sさんは、ここまで話すと「今日はごちそうになって申しわけなかったですね」
と帰っていかれたんです。オーダーされた年代物のスコッチは、

まったく減ってはいませんでした。