今回はこういうお題でいきます。これは作劇法なんですが、演劇で
なくても、小説や漫画、映画などでも応用されて使われています。
これ自体はラテン語で、デウスはギリシア神話で神ということです。
デウス・エクス・マキナ全体で「機械仕掛けの神」と訳されるんですが、
必ずしも機械は使われておらず、人力による場合も多かったようです。
ただ、これは直訳なので「急展開で話を終息させること」とでも
訳せばいいのかな、と思います。具体的にどういうこというと、
演劇の筋が輻湊し、登場人物が多くなりすぎて収集がつきそうも
ないとき、
突然に劇の途中で神がするすると上から降りてきて、絶対的な
力で一気に物語を終わらせるんです。まあ、現代の演劇では
まず神は出てきませんが、「じつは夢だった」とか
「強力な爆弾が爆発したり」して、物語が一気に終わって
しまうことを言います。おもに喜劇より悲劇で多く使われた
手法のようですが、当時の観客はいきなり神が舞台に降りてくる
状況をどう思ったんでしょうね。
そうですね、これを現代の話でやれば、なんだこれと
言われてしまいそうな気がします。漫画家の手塚治虫氏は
これを禁忌としていたそうです。
主人公が絶体絶命のピンチに陥ったときにパッと目覚めて
「じつは夢だった」では、金返せと言われてしまいそうです。
でも、これを使った話はけっこうたくさんあり、有名なところでは、
シェークスピアの喜劇「真夏の夜の夢」なんかもそうですね。
この他にもWikiでは、オペラのモーツァルトの『イドメネオ』、
ウェーバー『魔弾の射手』などがそうだと書かれてますね。
日本でも多かれ少なかれこの手法を取り入れているものは
けっこうあります
一例をあげると、冨樫義博氏による漫画『HUNTER×HUNTER』の
キメラアント編なんかがそうだと思います。富樫氏は
もともと話の筋をどんどん複雑にしていくという特徴があり、
また、連載を中断する癖もあって、
登場人物がだんだん増えていくのを見て、自分はやばいなあと
思っていました。そしたらやはり、ハンター協会のネテロ会長が
自分の体に「貧者の薔薇」と呼ばれる爆弾を仕込んで
一気に話を終わらせてしまったんですね。こんなのも形を
変えたデウス・エクス・マキナだと思います。では、この手法が
怪談で使えるかというと、ちょっと難しい気がします。
自分は、怪談の怖さは主人公に対する感情移入がどれだけあるか、
主人公の生き方が怪異を呼び込んでしまう過程にあると思ってるので、
前半を詳しく書きはするんですが、そんなに急速に話を終わらせる
こともしません。
それだと余韻がなくなるんですよね。それに怪談の場合、必ずしも
話が全部解決して終わらなくてもいいんです。謎が残ってもかまわない。
そのほうが得体のしれない不気味な感じがします。
推理小説の大団円ではないので、謎が残っても、伏線が回収
されなくてもいいんですね。そういう意味では、怪談を書く
のは楽かもしれませんね。
さてさて、ということで、デウス・エクス・マキナについて
説明してきました。最近古代ギリシアの演劇についての本を
読み返してるんですが、今でも使える手法がいろいろあって
勉強になってます。現代ギリシアは経済破綻してしまいましたが、
古代の英知はすごいと思います。では、今回はこのへんで。