あ、どうも。ここで話せばいいんですよね。じやあ。僕、ある大阪の大学の

文学部・歴史科なんですが、民俗学研究のサークルに入ってるんです。で、

そこの顧問の准教授の先生が熱心な人で、僕らをばんばんフィールドワークに

出すんです。民俗学は厳密な考証は必要ない。その代わり資料収集が大事だ

といって。実際、民俗学の祖とされる柳田国男も、本を書くだけでなく、

ずいぶん自分の足で歩き回って民話や伝承を採集してるんです。

でね、夏休み前にも課題が出されたんです。ある特定地域の

宗教的な概要を調査するようにって。どういうことかというと、

その地域にお寺がどのくらい、神社がどのくらい、

民間信仰の祠がどのくらいあって、どう分布してるか。住民の信仰の

パーセンテージはどのくらいか、なんてことを自分の足で歩き回って

 

調べてこい、ってことです。担当する地域は奈良県の山奥の村。

なんで奈良県かというと、僕がその地近くの出身だからです。だから郷里への

帰省がてら、のんびり調査ができるなって思ってたんです。それが・・・

鉄道が通ってなくて、バスでしか行けない集落でした。人口は300人

以下。もう過疎も過疎で若い人や子どもの姿はほとんど見ませんでした。

年寄りばっかり。しかも閉鎖的な感じでみんな口が重いんですよ。これには

けっこうまいりました。でも、自分の足で一つ一つ神社やお寺を回って、

お寺だったら宗派は何かとか、神社なら御祭神は何かを調べて地図に

場所の印をつけていったんです。それは数が少ないのですぐできましたが、

お寺とも神社の管轄ともわからない民間信仰の社や祠がすごく多かった

んです。20いくつもありましたが、いくつか調べ落としてるかも

 

しれません。それでね、その祠とかの正面の向きも調べたんです。

祠はなにかを封じるために作られてる場合が多いし、その正面の

方角に封じる対象があることが多いんです。そしたらね、その祠たちは

ぐるっと10kmの範囲を取り囲むように地図に印がついたんです。

とても偶然とは思えませんでした。祠の数がここまで多いのも異常だし、

それらが意図的に中央のある一点を向いて建てられているのも変。

でもね、その中心点にはなんにもないんです。ただ、民家が数件ある

だけだったんです。これはおかしい、と思いました。必ず何かがあるはず。

ってことで、がぜん興味がわいてきまして、翌日、そこの集落に出向いて

調査することにしたんです。僕は車を持ってませんから、バスで行き

ました。さすがに都会とは違って、バスの本数が少なかったんです。

 

1時間に1本どころか、1日に2本、朝と夕方だけなんです。だから

夕方4時半の便をのがすと、もう泊まるとこもないんですよ。

もしもそれより遅くなったら、どこか集落の家に泊めてもらわないと

いけない、そう考えてたんです。それでね、朝8時のバスで出たんですが、

その集落に行って拍子抜けしました。何もないんです。結界みたいに

祠がその集落を取り囲んでるのに、そこにはお寺すらないんです。

それでもあれこれ探したんです。古い石碑なんかも。ところがそんなの

すらもない。それでね、円の中心にあったのは普通の民家、わらぶき屋根

ではありませんが、かなり古い作りで、いかにも昔の農家って感じだった

んです。これは明日も調べにこなくちゃいけないか。そう考えてちょっと

 

がっくりしました。ここまでのバスは近くの市から1時間以上かかって、

しかも古いせいかエアコンの効きが悪かったんです。そしたら、その家の

老夫婦が「なに、うちに泊まっていけばいい」っていってくれたんです。

老夫婦はどちらも70代で、「明日、娘夫婦が来るんだ。今腹が大きくて、

こっちで子どもを産みたいといってて」こんな話だったんです。「え、

じゃあ僕が泊まるのはご迷惑じゃないですか」 「いやいや、うちは

昔はこの集落の集会所だったこともあって、布団はたくさんあるんだ。

にぎやかなほうが楽しいからね。それに、娘が子どもを産む予定日は、

もう一か月も後のことだし」こんなふうに言われたんです。で、

お世話になることにしたんですが、まさかあんなことが起きるとは・・・

その日は集落の名物というどぶろくをたらふくごちそうになり、かなり

 

酔っぱらって、その日は早く寝たんです。ですが・・・

夜中にトイレにいきたくなって起きちゃったんです。やはり飲みすぎか、

そう考えながらトイレに立ちました。トイレは屋敷内でしたが、かなり     

長い廊下を歩いたはずれにあったんです。で、トイレ・・厠っていったほうが

いいかな。そこの窓はガラスではなく、20cmほどの木枠に格子が入った

ものだったんです。で、そっから庭の方がほうが見えたんですが、何だか

赤い光が点滅してたんです。ちょうどパトランプみたいでしたが、あれより

もっと赤黒い。なんだろうと思って近ずいてみると、庭の隅のほうに屋根の

ついたお堂のようなものがあり、その上部から光は出てたんです。え、

なんだこれ?と思いました。もしかして、あの祠たちはこいつを封じて

たんじゃないか・・・その夜はどうにもならず、明日明るくなったら 

 

調べてみようと考えて寝床に戻ったんです。いや、

時計を見なかったから何時かはわからないです。3時か4時くらいかなあ。

それで、翌日朝食のときに家のご主人に見たもののことを聞いたんです。

すると「ああ、あれはここらへんの守り神といわれてて、別に隠すような

もんじゃない。飯がすんだら見に行ってみようか」と言われました。

でね、それは高さ1m半くらいのごく粗末な囲いで、中には1mくらいの

仏像ともなんともつかないような石の像があったんです。それは2本の

×型に組んだ農機具が鎌を胸のあたりで縄で縛りつけられていたんです。

鎌の刃は研いだばかりらしく、ギラギラ光ってました。「これはな、

びょうじん様といって、ここらの家で順繰りに祀ってある神さんさ。

鎌は魔除けだよ。過疎のせいでそれもどうなることやら」ご主人は

 

そういってました。赤い光を発するようなものはどこにもなかったです。

僕は、あの祠たちはこれを封印してるのかなと思いましたが、それにしては

ちゃちいものだったんで、その説にも自信はなかったんです。その日は、

午前中ずっと集落で聞き取りをしてましたが、このあたりは京の都にも

そこそこ近く、平安時代にさかのぼる昔、盗賊が隠れ住んでいたという伝説が

残ってたんです。でも、あまりに昔だし、本当かなと思いました。でね、僕が

午前中のフィールドワークをすませてその家に戻ってくると、庭先に黒塗りの

高級外車が停まってたんです。ははあ、これは娘さんがきたんだな」

と思いましたが、いやに立派な車でした。母屋に入ると、30代くらいの

男性がお茶を飲んでたんです。僕があいさつすると、男性のほうが「君が

大学の学生さんだね」といってきました。僕が、「そうです。課題で

このあたりの調査をしてるんです」と答えたとき、身重の女性が入って

 

きたんです。子どもはいないようでした。これが奥さんだろうと思いました。

頭を下げると、男性が「こんな田舎で出産だなんて心配だろうと思うが、

じつは山間を抜ければ○○市まで20分少しで出られる。それに、この集落には

ベテランの産婆さんもいるしね。僕もその人に取り上げてもらったんだよ」

こう言ったんです。そんなものかと思いました。でね、昼はそうめんを

ごちそうになり、さて、もうひと調べしようかと立ち上がったとき、

突然奥さんが大きなお腹をおさえてもがき苦しみ始めたんです。ご主人も

家の老夫婦も蒼白な顔になり「早く○○の婆を呼べ!」といって、庭で枝を

切っていた使用人が走って出ていき、すぐに小柄な女性を連れてきたんです。

その姿を見て、僕は愕然としました。顔にお面をつけていたんです。それも

あの庭にあったひょうじん様にそっくりのお面だったんです。「鎌を

お借りしてくる!」そういってご主人が飛び出し、2本の鎌をつかんで

 

戻ってきました。それをお面の女性に渡すと、女性は鎌を両手で1本ずつ

持ち、苦しんでいる女性の腹部をはだけると、ふくらんだお腹に向かって、

鎌を振り下ろし、斬りつけるしぐさをしたんです。もちろん本当に

斬ったわけじゃなく真似だけでしたが、その動作は素早く、力がこもって

たんです。斬りつけながら、その人は何かを唱えてたんですが、お経のような

そうでないような聞き取れないものでした。そうしてるうち、奥さんの苦しみは

だんだんにひいていき、やがて静かな寝息をたてるようになったんです。「ああ、

よかった。早産だったらどうしようかと思った」そういってご主人はお面の人から

ひょいとその不気味なお面を取り上げると、自分の顔につけたんです。それまで

お面をかぶっていたのは、しわの深い婆さんでした。ご主人はお面をつけたまま、

僕に向かって「これは大事なひょうじん様の子だからな。大和の国を滅ぼすために

産まれてくるんだ。まあ見ていろ。俺たちを監視していたあの祠もみんな

つぶしてやる」こう言ったんですよ。この言葉ってどういう意味なんでしょうか。

あ、急にどうしたんですか?みなさん、あわてて走り出して。

 

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