今回はこういうお題でいきます。キリスト教のお話ですね。パリサイ人(ユダヤ教の
律法を厳格に守るべきという立場の人)の訴えを受けたローマ兵がイエスを
逮捕しようとしたとき、イエスに接吻してこの人物であるという目印を
ローマ兵士たちに与えたとされ、後世、「裏切者」の代名詞となります。

その後のユダは、自分の行いを後悔して、銀貨を神殿に投げ込んで首を吊ったとも
その報奨金で買った土地で孤独にさいなまれ、地面に身を投げ、内臓をすべて
まき散らして死んだともされます。どちらにしても非業の死をとげたわけですね。

そんなことをするなら、はじめからイエスを裏切らなければよかったんじゃないか
とも思うんですが、なぜユダがイエスを裏切ったかについては様々な説があります。

 

ユダ



これは余談ですが、ユダの裏切りを題材とした芸術作品はいろいろあります。
最も有名なのがレオナルド・ダビンチによる絵画「最後の晩餐」でしょう。
イエスに「この中に私を裏切るものがいる」と言われて、驚きあわてる12使徒の
姿が活写されています。

現代の映画では『ゴッドファーザーpart2』で、これから殺す相手に対して
最後の接吻をするシーンが出てきますね。あと『羊たちの沈黙』の続編
『ハンニバル』で、レクター博士を見つけた刑事が、腹を切り割かれて
吊るされ内臓をまき散らすシーンも、おそらくユダのエピソードから影響を
受けたものと自分は考えています。

さて、これも聖書等の記述だけでは答えの出ない話なんですが、できるだけ
多くの説をあげて考察してみたいと思います。

 

ユダの死 



12使徒の中でユダだけがガラリアの出身ではなく、疎外感があったため。
しかし、それだけのことで人を訴えたりするものでしょうか。イエスを
十字架に架けたのは、当時イスラエルを支配したローマであって、ユダが

直接手にかけたわけではないものの、イエスを引き渡せば処刑されることは
目に見えていたはずで、この理由でそこまでするかなあと思います。
刑事もののドラマでいえば、少し動機が弱い気がします。

ユダはイエスを愛していたが、このままでは報われることはないと悟ったため。
この説は文学作品によく登場しますね。ですが、そうかなあと思います。
イエスを裏切った後のユダの行動を考えれば、違うんじゃないでしょうか。
たしかにこうするとテーマが文学的になるでしょうが、こじつけのような気がしますね。

 



ユダは熱心党(ローマ支配からイスラエルを解放しようとする過激な思想の一派)
で、イエスを反乱のリーダーと考えていたが、ただ愛を説くだけのその行動に
失望したため。

うーん、これもどうかなあ。そういう証拠はないですし、ユダもイエスと行動して
いて、数々の奇跡を目にしてイエスの力は知っていたはずです。自分的にはこれも
納得できません。

悪魔にそそのかされ、報奨金に目がくらんだから。
ユダが金に執着する人物であったことは、聖書にいろいろ書かれていますね。
ユダは実務的な人物でイエス一行の会計係を務めていたが、不正を行っていたのが

発覚したとか、高価な香油をイエスの足にぬったマグダラのマリアに対して、
もったいないと非難するとか。たしかに銀貨30枚は大金ですが、ユダの金を
手に入れてからの行動を考えると、やはり自分には納得できません。

 



・神があらかじめユダが裏切るように計画していたから
この説は難しい内容を含んでいますね。神は自分の三位一体の分身であるイエスが
人類の罪を背負って贖罪のために十字架にかけられる。

ここまではいいとして、ユダがイエスを裏切ることや、その後の自殺までも
予定していたのか。そうだとすると、かなり予定説的な結論になってしまいます。
これも神の計画の一部であったとする説です。たしかに、最後の晩餐の
場面で、イエスは「この中に裏切者がいる」とユダを指定し、しかも逮捕の場面では

ユダに「自分がしようとしていることをしなさい」とまで言ってるんですね。
ですから、イエスはこれから起こることを知っていたわけです。
このあたりの記述は、予定説を肯定しているのではないかと思わせます。

 



さてさて、ずらずらと諸説を紹介してきましたが、
これが難しい内容を含んでいるというのは、神は全知全能であるとすれば
未来に起きることも知っていて、未来を自由に決めることもできるのかという
疑問が出てくるからです。だとすれば、ユダの自殺も予定内のことなのか?

このことはキリスト教の根幹にかかわる部分なので、ぜひ積極的な議論が
聞きたいですね。みなさんはどう思われますか。では、今回はこのへんで。