これはもう50年以上も前のことです。私の故郷は、ほんとうに小さな
山あいの村でね。当時で、人口1000人もいたのかなあ。
今は近隣の市と合併して、なくなっちゃいましたけどね。
その村はいくつかの集落に分かれてたんです。平地はかぎられてたので、
それを中心にして、5つか6つくらいに。それぞれの集落からは、
最低1人は村会議員が出てました。あと、お寺も、氏神様の神社も、
集落ごとに一つずつあったんですよ。いや、昔はどうだかわかりませんが、
当時は特に対立してたとか、そんなことはなかったように思いますね。
ああ、集落にある小学校同士の野球大会のときには、
試合の判定を巡って父兄がもめたことがありましたっけ。
まあでも、せいぜいそれくらいで、のどかで平和ないい村だったんですよ。

それが、私が小学6年生のときでしたが、ある事件が起こりまして。
始まりは、オナギ様の夏祭りのときでしたね。
オナギ様というのは、うちの集落の氏神さんのことです。
正式な名前はわからないです。例えば八幡様とか、全国的に名のしれた神社の
系列ではなく、その地域に昔からある神さんだったんでしょう。
集落の裏手にある山の裾に、小さな鳥居がたてられてあって、
それをくぐって石段を上っていくと、オナギ様のお社に出ます。
小さな社殿でしたが、そこは拝殿なんです。はい、本殿、つまり御神体が
収められてある建物はなくて、背後の山そのものが御神体だったんです。
そんな高い山じゃなかったですね。せいぜい800mくらいかなあ。地図には
別の名前で載ってたみたいですが、地元の者は「オナギ様の山」って呼んでました。

その山は、いわゆる禁足地だったんです。「入らずの山」とも言います。
登山道はありましたが、登り口に注連縄がかけられていて、誰も入れないように
なってました。とはいえ、山というのは世話をしないと荒れますから、
集落の若い衆が年に数回山へ入って、下草刈りや枝打ちなんかをやってました。
それで、夏祭りですが、毎年7月下旬にやることになってました。
祭りと言っても派手派手しいことは何もなく、
地域の小学生の子どもらが、お神輿を担いでオナギ様から下りてきて、

集落の中を練り歩き、また社殿に戻る。それだけでした。夜店なんかも、

出たことはなかったですね。で、もちろん私もお神輿を担ぎました。

6年生だから先頭のほうで。で、その年はなんかいろいろとおかしかったんです。
まず、お神輿がくり出す前に神主が祝詞を唱えますよね。

この神主は、つねに神社にいるわけではなく、
山の近くにある家の当主が、昔から代々務めていたんですが、
その祝詞を唱えてる途中に、急に声がかすれて倒れたんです。みな驚いて、
抱き起こしたら、たいしたことはなくて、本人は「ちょっとめまいがした」と
言っていたそうです。そして、お神輿が山を下り、鳥居をくぐった途端に、
それまで晴れてたのが、ぽつぽつと雨が降り出したんです。
中止することはできないので、2時間弱かけて集落を回ったんですが、
その間に、だんだんに降りが激しくなってきて、最後は土砂降りになりました。
まあでもね、晴れてたとは言っても曇り空でしたから、これは偶然なのかも

しれません。真夏ですから、雨にぬれても寒いとかはなかったです。

子どもだったので、私はかえって面白く思ってました。でね、神社に帰り着いて、
 

鳥居をくぐり、石段を駆け上って真ん中らへんまで来たとき、私は先頭だったから

わかるんですが、何か見えない壁のようなものに突き当たったんです。

え、妖怪の塗り壁? いや、それはわかりませんが、空気が岩のように固くなってて、
それに担ぎ棒があたって、お神輿が石段を転げ落ちちゃったんです。
はい、子どもらもろとも。幸い、骨折などの大ケガはなかったんですが、
どこか擦りむいて血が出たり、低学年の子らはみな泣いてました。
その後ね、まわりにいた大人がお神輿をたて直し、社殿まで行くことが

できたんです。ここでね、子どもはともかく、祭りに参加してる大人たちは、
何かおかしいと感じてたはずです。はい、最初から最後まで、神様が怒ってる

としか思えない出来事が続きましたから。で、お祭りが終わって1週間後

くらいです。雷がオナギ様の鳥居に落ちて全焼しちゃったんです。

これも不思議なことで、ふつう雷ってのは、高いところに落ちるはずでしょ。

それが、鳥居は山の登り口にあるわけで、周囲には鳥居よりもっと高い木が

何本も立ってる絶対に何かあるということになって、神主をはじめ、

集落の主だった者が、オナギ様の山に登ったんですよ。そしたら案の定、

荒らされてたんです。誰かが山にしのび込んで、ワナ猟をした形跡が残ってました。

ほら、オナギ様の山は入らずの山だから、獣類がたくさんいるんです。
それをねらって、誰かがトラバサミを仕掛けた。地面にワナの跡が残ってましたし、
近くの木の下に、かすかにですが血の跡も見つかった。
何者かが、獲物を木に吊るして血抜きをし、毛皮を剥いだってことです。
神域の山ですからね、トンデモない罰当たりです。
で、どうしたらいいか相談するために、集落の主だった者が集まりました。

私の父親もその中に参加していまして。父は、集落の郵便局長だったんです。
といっても、簡易郵便局でしたけども。ですから、この話のほとんどは、
後になってから父から聞いたものです。できることは二つでした。
まず一つは、とにかく祭礼を執り行って、オナギ様に謝ること。
これはすぐに、大々的にやったんですが・・・ もう一つは、もちろん、
山に入った不心得者を探し出すこと。え、探し出してどうするかって?
それは、警察に突き出すなんてことはしません。そうじゃなく、
首根っこをつかまえて、オナギ様に謝らせるつもりだったそうです。

あと、もしかしたら、家族がしばらくの間、村八分のような状態に

なったかもしれません。でも、誰がやったかは、ずっとわからなかったんです。

自分で名乗り出るわけはないし、目撃者もいない。

獣の毛皮は、遠く離れた町で売ってしまえばそれまでですし。
ですから集落の者は、いくら祭礼を行ったとしても、犯人がわかるまで、
オナギ様のお怒りはとけないんじゃないかと思ってたんですね。
それから一ヶ月ほどは、何事もなく過ぎました。秋になり、9月に入って、
そろそろ稲刈りを始めようかというときに、不思議なことが起きたんです。
はい、当時はどこの家でも田んぼにはカカシを立ててたんですが、

それが一夜のうちにみな消えてしまったんです。朝、田んぼに出てみると、

前日まであったはずのカカシがなくなってる。しかも、自分の家のだけじゃない。

集落全体のカカシが一本残らず消えたんです。みな、困惑しました。

また集まって話し合いが持たれましたが、おそらく夏に山を穢した

出来事と関係があるんだろう、くらいしかわかりませんでした。


それから、夜のうちにカカシを見たという者がぽつぽつ出てきたんです。
暗くなったので雨戸を閉めようとしたときに、庭先にカカシが立ってて、

驚いたものの、近づいてみたらいなくなっていたとか、夜に酔っ払って道を

歩いてた者が、一本足のカカシが田んぼの畦をぴょんぴょんはね跳んで

いくのを見たとか。じつはこれ、私も見たんです。はい、私の家は古いつくりで、

便所が母屋から離れてたんです。そのため、ちょっとの間ですが外を通ります。

それである晩、10時頃でしたか、寝る前に便所に行こうとして外に出たら、

ひょいと軒から、ボロボロの着物が垂れ下がってきて、その後、破れ笠をかぶった

カカシが顔を出して。腰を抜かして座り込み、大声で叫んで親を呼びました。母親が

来たんでわけを話し、父親が屋根を見たんですが何もなかったんです。

でも、私はたしかにカカシの顔を見ましたし、一連の出来事がありましたから、

 

親も私の話を信じてくれました。で、この田んぼからいなくなったカカシが、

夜にうろついてるって話は1ヶ月ほど続き、唐突に終わったんです。

集落のある一家の、父親、母親、婆様、子ども3人、

全員が自分の家の田んぼの泥の中に膝までつかって立ってるのが、

朝に見つかったんです。みな、顔に墨でへのへのもへじが描かれ、

正気をなくしてうわ言を言ってました。はい、若い衆が田んぼから運んで、

村の集会所に寝かせてたら、昼頃には正気に戻りました。そこのあるじは、

だいぶ前に他の集落から移ってきた者で、オナギ様の山でワナ猟をやったのは

自分だって白状しましたよ。で、その一家に謝らせるための祭事を開いたんです。

まあ、こんな話です。カカシは冬前に、オナギ様の社殿の前に山と積まれているのが

見つかりました。それで怒りをお収められたか、

おかしなことはなくなり、雷で焼けた鳥居を再建しました。

あと、私の集落ではこれ以降、カカシは使わなくなったんです。