今晩は。団体職員をしている沢木ともうします。さっそく話を聞いて
いただきたいと思いますが、これ、僕の夢の話なんです、
つい一昨日見た。夢って、どんなに怖くて奇妙でも怪談には
ならないって言いますよね。だから、ここを紹介されたときも、
ほんとうに来て話をしてもいいかどうか迷ったんです。
ただ・・・あまりに不思議な夢で、その夢の中で1ヶ月近くが
経過してるんです。それも時間が飛んでるとかじゃなく、
一晩の夢なのに、実際にひと月が過ぎたように思えました。
それと、ものすごくリアルだったことです。見ている間はまったく
夢だとは思えませんでした。あと、昨日の夜のことです。
夢の内容とリンクするような出来事があったんです。

え、いいから話しなさいって? わかりました、じゃあ。
一昨日の夜です。仕事から戻って夕食を食べ、TVを見てたんです。
妻はそのとき家のパソコンでネットをやってました。あ、家族は
僕と妻の2人だけです。結婚4年目で、妻も働いてて、
まだ子どもはいません。そろそろ作ろうかって話し合ってたところで。
で、妻が急に声を上げたんです、「当たってる~」って。
妻はネットの懸賞に応募するのが趣味なんです。でも、そういうのって、
1度でも応募すると当たり外れに関係なく、ずっと宣伝のメールが
来るんですよね。「今度は何 当たったの?」と聞いたら、
うれしそうな声で「ペアで温泉の一泊旅行!」 「お!」と思いました。
そんな高額賞品はさすがに当たったことがなかったからです。

「どこの温泉?」 「えーとね、奈良県の山のほうみたい」
うち、住所が大阪なんです、だから奈良県なら近場と言えます。
「期日はいつ?」 「来月、ゴールデンウイークの期間中ならいつでも
いいって」 「ふーん」 「ねえ、せっかくだから行きましょうよ」
僕の仕事はその期間まるまる休めますし、たまった年次休暇を
加えることもできます。ですから、乗り気になりました。
「何ていう温泉なの?」 「あかし旅館って書いてる。宿の画像も
出てるけど、素敵、ほら」パソコンを覗いてみると、いかにも山の温泉
という素朴な建物で、周囲は火山地形。ほら、何とか地獄というのが
全国にありますよね、草木が生えず湯花で白くなった。
「へええ、奈良にこんな温泉あったっけ。お湯がよさそうだな」

「たぶん源泉かけ流しね。あ、公共交通機関はなくて、自家用車で
おいでくださいって書いてるけど大丈夫?」 「奈良までならせいぜい
3時間だろ、問題ないよ」こんな会話をしたんです。で、その日は
12時過ぎに寝たんですが、翌朝、同じベッドに寝てた妻が
起きなかったんです。息をしてませんでした。救急車を呼んだんですが、
病院ですぐ死亡が確認されたんです。突然死症候群と言われました。
寝ている間に心臓に血栓ができ、それが脳に流れていって・・・
もう茫然自失でした。妻がいない生活なんて考えられませんでしたから。
それでも、親族や社の上司、同僚の力を借りて、通夜、葬式、火葬を
済ませました。それで最初に言ったとおり、これ全部夢なんですけど、
何日も時間が経過してるとしか思えなかったです。

ええ、葬式などでの出来事も詳細に覚えてますよ。それで、妻の死から
1週間が過ぎ、どうにか仕事に復帰したんです。みなから口々に
なぐさめられました。それでね、温泉の話なんかすっかり頭から
消えてたんですが、家のパソコンをチェックしてると、
そのあかし温泉から連絡のメールが来てたんです。宿泊予定の
日時をお知らせ下さいって。温泉なんかに行く気にはならなかったし、
ペアご招待なのが妻がいなくなちゃったしで、宿に直接断りの
電話を入れたんです。ええ、電話番号は書いてありました。
そしたら宿の人が出たので、かいつまんで事情を話すと、
「それはご愁傷さまでした。ですが、ペアではなく、貴方様お一人でも
かまいませんよ。どうでしょう、来月までまだ日時がありますし、

ゴールデンウイーク中を一人で過ごされるのもお寂しいでしょう。
お来しいただければ、精一杯のもてなしをさせていただきます」って。
これを聞いて、確かにそうだなあとも思ったんです。社にいるから
どうにか気がまぎれてるけど、一人になると妻のことを思い出す
だろうなあって考えました。1泊のことだし、気分転換にもなるかと思い、
申し出を受けることにしたんです。で、翌月、約束した期日に
車で奈良に向かいました。「わかりにくい場所ですが、住所を
ナビにいれていただければ大丈夫です」こう言われていたので、
そのとおりにすると、車は市街地から山間部に入り、どこをどう通ったか
よくわからないながら、山の中の荒涼とした地形の中に建つ一軒宿の
前に出たんです。古びた木造りの玄関を入ると、

女将さんはじめ、従業員総出で出迎えられました。妻が亡くなった
話が伝わっていて、ていねいにお悔やみの言葉もいただいたんです。
ゴールデンウイーク期間中なのに、駐車場には僕の車しかなく、
他の宿泊客はいないみたいでした。その夜は内風呂に入りましたが、
硫黄泉で湯質はすばらしいと思いました。宿の人の話では、
もちろん循環などではなく、加温、加水もしていないということで。
それと、料理もよかったです。山菜と川魚を中心にした素朴な
ものでしたけど、美味しかったです。でも、宿がよければそれだけに、
妻と来たかったなあという思いもこみ上げてきて・・・
で、翌朝です。もう一度内風呂に入ろうとしたら、女将さんから
露天風呂を勧められたんです、宿から歩いて5分くらいのところにある。

「そこは源泉に近くてちょっと熱いかもしれませんが、湯質は内風呂と
また違うんです。あ、それと、その奥にももう一つ露天がありますが、
そっちには行かないでください。火山性ガスが出てて危険なので」
こう言われました。散歩がてらぶらぶら歩いていくと、小屋のような
脱衣所があり、かなり広い岩風呂が湯気を立てていました。
地元の人らしい年配の方が一人入ってました。僕が入ると、
その人が「どっから来たね?」と聞いてきて、会話がはずみました。
そのとき、奥にあるもう一つの露天風呂の話も出たんです。
「なんでもガスで危険だそうで」 「ガス? そんなことはねえよ。
あそこもいい風呂だし、俺はときどき入ってる。事故が起きたなんて
こともない。ただ・・・宿のやつらがそう言ったのは、

あそこは死人も入りにくるからだろうな」 「え、死人!」
「そう、今年出た死人。入りに来た人の近親者だ。まあ、
このことを知ってるやつは少ないし、宿のほうでも噂が広まると
困るからだろうな」これ、どう思いますか。その人には妻が亡くなった
話はしていません。興味を惹かれたというか、もしかしたら妻と
会えるかもなんて考えてしまったんです。それで、行ってみることに
しました。いや、入ろうとは考えませんでしたよ。危険な感じが
あればすぐ引き返せるように、ただちょっと遠くから見るだけ。
で、小径をさらに上っていくと、周囲からの湯気が霧のように
濃くなり、前と同じような脱衣小屋が見えてきました。
その脇の湯船は、最初の露天風呂の倍も広い。

ああ、こんないい風呂なのに使わないのはもったいないな。
そう思いました。戻ろうとしたとき、湯船の湯気が風に流され、
中に立っている人の姿が見えました。女性で、もちろん裸です。
あ、いけないと、早々に退散しようとしたんですが・・・その後姿、
妻にそっくりだったんです。でもまさか、そんなはずは。
動けずにいると、その女性は腰から下が湯に浸かったまま、ゆっくりと
こちらを振り向き・・・やはり妻だと思いました。「ああ、〇〇か!」
思わずそう呼びかけていました。でも、風がやんでまた湯気が
立ち込め、何も見えなくなったんです。立ち尽くしていると、
しばらくして湯気が消えたときには、人の姿はどこにもありませんでした。
そこでね、起こされたんですよ。起こしたのは妻です。

ベッドの上で顔を見たときは驚きましたよ。「お前、生きてたのか!?」
「何、寝ぼけてるのよ。あたり前でしょ。今日早出って言ってたじゃない。
遅くなるわよ」・・・何もかも夢だったんです。期日は妻が死ぬ
前日に戻っていました。このときの安堵感、どう説明してもみなさんには
伝わらないでしょうね。思わず妻を抱きしめてしまいましたよ。
でね、会社から戻ったその晩のことです。
パソコンを見てた妻が「あ、ダメだ、外れちゃった」って言いました。
「何が?」 「温泉のペア招待券に応募してたの。まあでも、
競争率高いだろうし」 はい、もうおわかりだと思います。
あのあかし旅館です。画像を見ると、夢のとおりそのまんまでした。それで、
「外れてよかったんだよ」と言ったら、妻はきょとんとしてましたね。

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