今晩は、よろしくお願いします。この春、高校を卒業して大学に入学しました。
といっても、エスカレーター式だったので、受験勉強はなかったんです。
だから、春休みもヒマでやることがなくて。それが、

女子校だったので、彼氏とかいないんですよ。部屋でゴロゴロしてたら、
親が見かねたのか、「旅行にでも行ってきたら」ってお金をくれたんです。
大学の入学祝いのつもりなんだと思います。でも、旅行といっても、
一人でデズニーランドとか行ってもつまらないじゃないですか。
かといって、温泉なんて趣味もないし、ちょっと困りましたが、
あれこれ行き先を考えてみたら、小学校6年生のときに1年間だけ過ごした、
地方都市はどうだろうって思いついたんです。そこは、父の仕事の都合で、
その年だけ一家で引っ越したんです。

私にとっては、初めての転校だったので、緊張して過ごした1年間でした。
だから、あんまり友だちもできなかったし、そのときの同級生で、
今も連絡を取り合ってるような人はいないんです。名前もよく覚えてないです。
かといって、いじめられたってこともなかったし、
いい思い出も、悪い思い出もないような場所だったんですよ。
じゃあ、何でそんなところに旅行に行こうと思ったのかって?
うーん、それは、思いつきとしか言いようがないです。
母に行き先を決めたことを言うと、「ああ、○○市、懐かしいわねえ」
こんな反応が返ってきました。ネットで調べて、
駅前のビジネスホテルに宿泊することに決め、1泊2日で出かけたんです。
その市までは電車で3時間ほどかかるので、朝に出発して、

着いたのがお昼少し前ぐらいでした。駅から下り立って、
ああ、何か見たことがある場所だとはすぐに感じました。
でも、私の頭の中にあったイメージよりも、ずっとせまくて閑散としてたんです。
まあ、過ごしたのは小学校のときだったし、転校した不安感で、
その当時の私には大きく広く感じていたのかもしれません。
あと、過疎化が進んでいるせいもあるんだと思います。駅の隣の旅行案内所で、
レンタサイクルをやっていたので、自転車を借りました。
まず、私の家族が住んでた社宅に行ってみようと思いました。
なんとなくですが、道はわかるような気がしたんです。
駅前の商店街は、のきなみシャッターが下りてて、たまに年寄りが歩いてるだけ。
若い人の姿はほとんど見かけなかったですね。

自転車で10数分、見覚えのあるような、ないような景色の中を川沿いに走ると、
大きな橋に出ました。この橋を渡った先に、確か社宅の団地があったはず・・・
でも、それはどこにも見あたらなかったんです。
たしかにこのあたりだと思った場所には、新しいコンビニが建ってました。
そこに入って飲み物を買い、そのときに社宅の話を出してみましたが、
店員さんはわからないようでした。無理ないかと思いましたが、
だんだんつまらなくなってきて、この旅行は失敗だったかなあと考えながら
橋を渡っていくと、道沿いにバス停があったんです。
「あー、あれ覚えてる」そこの街はかなり雪が降るところで、
小学校の学区の外れに社宅があった私は、冬場にバスを利用してたんです。
はい、そのバス停は木とサッシでできた、人が中に入れるものでした。

やっと懐かしいものを見つけたので、自転車を停め、サッシ戸を開けて

入ってみました。中にはベンチが2つあり、座ってみると、自分でも

びっくりするくらい、小学校6年のときの気分に近づいたんです。ああ、たしかに、
この街で1年間過ごしたんだよなあって。ベンチは柔らかい木でできてて、
シャーペンの先で引っかいたような落書きがたくさんありました。
今も子どもたちが利用してるのかもしれません。それらを見ていると、中に、

「松野由希子 死ね」と書かれたものがあって、それが記憶に引っかかったんです。
「え、松野由希子、覚えてるかも」それと、その字なんですが、
私の字によく似てたんですよ。「えーこれ、子どもの頃に私が書いたんだろうか」
で、松野由希子のことを思い出したんです。クラスは違ってましたが、
たしか委員会がいっしょで、そこの小学校で過ごした中で一番親しかった子です。

「あれー、何で、今のいままで忘れてたんだろう。それに、これ書いたの

私だとして、どうして、死ねなんて・・・」でも、

それ以上のことは思い出せなかったです。
その落書きは、かなり深く彫られていて、その上に重なるようにして、
細い字で別の落書きがあったんですよ。何て書いてるかわからず、
顔を近づけてみると、「この子 殺してあげる」と読めました。
「えっ!」胸がドキッとしました。でも、私の落書きに反応して書いた、ただの
イタズラ書きだろうって考え、それでも気味が悪いので、松野さんについて、
とにかく思い出そうとして・・・「ああ、そうだ、この子の家、写真屋さんだった」
小学校への途中にある小さい街の写真館で、何度か一緒に帰ったときに、
松野さんがバイバイと手をふって写真館に入ってった記憶があるんです。
それで、また自転車に乗って、小学校への道を進んでいきました。

でも、道の両側のどこにも写真館なんてなかったんです。
小学校はありましたが、これも自分の記憶にあるよりずっと小さくて、
子どもたちの歌声がかすかに聞こえてました。「おっかしいなあ」 写真館は、
たしか学校から5分ほどのとこにあったはずで、でも、町並みは古いのに、
どこにも見つからず、このあたりだと思うところには、神社がありました。
けっこう新しい神社です。もしかしたら写真館がつぶれて、その跡にこれが

建ったのかもしれない。自転車を停め、小さな鳥居をくぐってみました。
お社も小さく、使われてる木は白くて、やっぱり新築のものでした。
とりあえずお賽銭を入れて鈴を鳴らし、手を合わせると、急にめまいがして、
地面に手をついてしまいました。心臓がドキドキして立ち上がれず、
そのままでいると、おみくじを売る建物から白い着物の人が出てきました。

 

年寄りだったか若かったかも覚えてません。その人はしゃがみ込んでいる

私の横に立つと「なんでここに来た! すぐに帰りなさい、神様が怒っている!」

って言ったんです。その剣幕に押されて私が立ち上がると、その人は口調を変え、

諭すように、「ここはねえ、あんたのために死んだ子を祀ってる神社だ。
そのあんたがここに来るなんて、とんでもないことだから」その言葉で、
心臓を手でつかまれたような気がして、私は反射的に立ち上がりました。
それで、具合は悪かったんですが、神社を走り出て、自転車に乗って
駅まで逃げたんです。はい、もうその街にいる気にはなれませんでした。
ホテルはあとでキャンセルすることにし、自転車を返して電車に乗って

戻ったんです。体調は相変わらず悪く、電車のトイレの中で何度も吐きました
ぐったりした状態で自分の街に着き、タクシーで病院に行くと、

あれこれ検査をされましたが、特に異常は見つからず、
両親に迎えに来てもらって家に帰ったんです。両親には、
具合が悪くて旅行を中断した、と言い、あの1年間についていろいろ

聞きました。「私があの街にいたとき、殺された女の子っていた?」
「松野由希子さんて覚えてる?」 「小学校に行く途中に、神社ってあった?」
でも、父も母も、どの問いにも「覚えてないなあ」って言うだけでした。
ですから、自分でもあの街であったことが、本当に起きたことなのか

あいまいになって、神社でのことや、もしかしたらバス停の落書きも、
体調が悪くて見た、夢みたいなものなんじゃないかって思えてきたんです。
家について、どうしても気になったので、怖かったけど、
その小学校の卒業アルバムを押し入れから探し出し、

おそるおそる見てみました。でも、自分のクラスはもちろん、
他の3クラスにも、松野由希子って子はいなかったんです。それなのに、
松野さんのことは思い出すんです。図書委員会で、2人で残って遅くまで
図書カードを整理したり、本の破れを修繕したり・・・本の好きな優しい子だった
気がするんですが、ただ、松野さんの顔がどんなだったかは記憶に残ってなくて。
その後、3日ほどたってから、インターネットでも調べてみました。
何かの犯罪の被害にあった、松野由希子って子どもはいません。事故や

自殺まではわかりません。そこでもう、考えるのをやめようと思ったんです。
もしかしたら、小学校に連絡すれば何かわかったかもしれないんですが

・・・最後に、あの街の地図を出して神社を見てみました。

たしかに道ぞいに鳥居のマークはありました。でも、

ホームページなどもなく、神社の名前はわからなかったです。