えー僕ですね、恥ずかしい話ですが、今年の春まで ある新興宗教に

入信してまして。いや、もうやめてます・・・というか、

その教団、壊滅しちゃったんですよ。はい、そのときの事情というか、

いきさつをお話しようと思って来たんです。そこはキリスト教系

だったんですけど、今考えれば、他にもいろんなのが混じってましたね。

インド仏教とか、古神道とか、太陽崇拝みたいなのも。要はデタラメ

だったってことです。どうして入信した当時に、おかしいって

気づかなかったんだろうと思いますよ。あ、僕は幹部とかじゃないけど、
教祖様の運転手をやってたんです。車はベントレーでした。
だからね、いろんな出来事を近くで見聞きすることができたんです。
そんだけ馬鹿だったんでしょうね。でね、教祖様は50歳すぎの男性で、
イギリス人とのハーフで、かなり体格が良かったんです。見た目も若々しいし、

声も堂々としてました。だから信者は多かったんですよ。
ええ、東京を中心に布教活動してたんですが、総数4000人はいました。
ただね、教団の本部がしょぼかったんです。でもこれ、しかたないですよね。
東京の土地はバブル後も目の玉が飛び出るほど高いし、
賃貸だって、ある程度大きい建物だと月、数百万しますから。
だから、近県に土地を買って教会兼教団本部を建てようってことになって。
で、不動産屋を雇っていろいろ探したんですが、
○○県で、かなり敷地の広い物件が見つかったんです。

家屋つきの土地でしたけど。そこは地元で伯爵屋敷って呼ばれてまして、

なんでも大正の末まで、当時の伯爵が住んでたというお屋敷です。

そうですね、部屋数は20以上あったし、
古いわりにしっかりしてて、手入れもよかったんです。

けどね、それをそのまま使うわけにもいかないから、取り壊して更地に

したんです。ええ、教祖様は工事の最中に何度も足を運びましたよ。

だから運転手だった僕もいっしょに行ってるんです。でね、

屋敷のまわりを囲んでた、立派な日本庭園も同時につぶしてしまいました。

で、何回目かに解体作業を見に行ったとき、横手の竹やぶの中で、
小さなお堂が見つかったんです。1m四方よりちょっと大きいくらいの。
うーん、神道のものに見えましたね。まわりが赤く塗られてたんで、
お稲荷さんかもしれません。キツネの像とかはなかったですけど。
工事の現場監督が教祖様のとこにやってきて、

このお堂どうしましょうって聞いて、そしたら教祖様は一言、

「つぶしてしまえばいいよ」って。監督が、「それでも

お祀りしてたものだから、いちおう神主を呼んで・・・」って言ったら、

教祖様はカラカラと笑って、「いまここに私の教会が建つんだぞ。
こんなさびれた社なんぞ、わたしの神のご威光でたちまちに

かき消えてしまうわ」こんなことをおっしゃって、そのまま

お堂は重機でつぶされちゃったんですよ。
そんときは何もなかったけど、僕は内心、まずいんじゃないかな、

とは思ってました。でね、更地にしてすぐ、

教会、本部、宿舎などを建てたんですけど、これがコンクリ造りで、

あちこちに金箔を貼った、見た目はたしかに豪勢だけど、
なんとなく下品な感じのする建物だったんです。
ま、これは新興宗教にはありがちなことかもしれませんけど。
で、4ヶ月近くかかって完成しまして、主だった信者を集めて、

教会建立記念のミサを大々的にやることになったんです。ええ、礼拝堂は

千人以上入れる造りでしたから。当日はオーケストラも呼んだんです。


賛美歌を皆で歌って、それから教祖様の説教が始まったんですけど・・・

教祖様が第一声を発したとき、パーンと音がして高いとこに並んでいる

ステンドグラスの、真ん中のが割れたんです。教祖様は少しも動じず、

「ああ、神がこの快挙を祝福してくださってる。今のは神のみしるしだ」って。
ええ、教祖様はそういうアクシデントをうまく利用されるんです。
で、だんだん説教が進んでいって、信者が陶然としはじめたとき、

大きなシャンデリアがドカーンとばかりに落ちてきまして。ええ、教祖様が

説教してる演壇のすぐ前です。あれ、直撃を食らったら死んでましたよ。

こんときはさすがに、教祖様も目を白黒させてました。
広範囲にガラス片が散乱してて、説教は中止にせざるをえなかったんです。
教祖様は激おこで、内装の工事をした会社に損害賠償させるって言ってました。

で、こんときからですよ。悪いことが次々と起こっていったのは。
教祖様は独身でしたけど、おそばに若い女の信者が2人ついて、
身の回りの世話をしてました。おそらく体の関係もあったと思います。

でね、まずその一人がおかしくなっちゃったんです。日に日に目つきが

キツくなっていって、夜中に四つん這いで宿舎の中を

走り回るようになったんです。でね、女の信者でそれを止めようとしたら、

あたりかまわず噛みついて、ケガ人がたくさん出ました。

夜中に救急車が来てたいへんでしたよ。
はい、その娘はそのまま精神病棟に入院して、今も入ったきりです。
でね、最初のミサがシャンデリアの件でつぶれちゃったでしょう。
仕切り直しで、二度目のミサをやることになりまして。
で、そのときも礼拝堂が満員になるだけの信者が集まってました。

教祖様のありがたい説教がはじまって佳境にはいったとき、
もう一人残ってたおそばつきの女の娘が、

それまでは教祖様の汗を拭いたりしてたんですが、

ふいっと出ていってしまって。しばらくしたら

手にフライパンを持って入ってきたんです。いや、ほとんどの信者は

教祖様の説教に聞きほれてて気がつかなかったじゃないかな。

で、ガーンって金属音がしたんです。そっち見ると、その娘がフライパンを

振りかぶってて、その前に幹部の一人が頭を押さえてうずくまってたんです。

頭が割れて血が盛大に流れてましたね。それからガーン、ガーンって、
その娘は幹部たちの頭を次々に殴っていって、
4人目まできたときにさすがに取り押さえられました。
でね、結局その日もミサは最後までいかなかったんです。

そっからは怒涛のような流れでした。
まず、教会の側壁に大きなひび割れができました。一晩のうちにです。
そのひび割れは高い屋根のほうまで続いてて、集団生活してる

信者が集まって騒いでいる眼の前で、ひび割れがガッと上に伸び、
教会の屋根についてた十字架の下に入って、十字架が地面に落下したんです。

これってさすがに不吉というか、なんかあるんじゃないかって思いますよね。

でね、その夕方です。宿舎には集団生活している男女の信者が

400人くらいいるんですが、そこでひどい食中毒が発生したんです。

信者の食事は全部、本部の給食室で作ってましたけど、

あちこちで嘔吐する人がいるわ、腹を押さえて転げ回ってる人はいるわ。

ええ、救急車が10台以上来ました。これ、集団食中毒ってことで、
テレビでも報道されてしまいましてね・・・

幸い亡くなった人はいなかったけど、教団の信用はガタ落ちですよ。
この事件で東京にいる信者も、目が覚めた人が多かったんでしょう。
どんどん教団に入ってくるお金が目減りしはじめました。
なんでも信者の吐瀉物からは、これまでに検出されたことのない菌が

出たそうです。それでも教祖様は、ミサの3回めをやるって

強がってましたね。ええ、それが最後で次はなかったんです。
やはり教祖様が説教を始めたときですよ。一言二言しゃべったら、
教祖様はふらっと演壇から降りてしまわれ、いきなり 「わしは罰あたりじゃ!」
って大きな声で叫んだんです。そしたら教祖様の額からたらたら赤い血が

流れてきて、見ると額の両端から何かが生えてきたんです。

・・・角でした。鬼みたいな黄色っぽい角がずんずんと生えてきて、

遠くにいる信者からもわかったと思いますよ。角は1mくらいまで

伸びましたんで。でね、角は伸びきるとまた引っ込んでいって、

そのころには教祖様の顔面は血だらけ、角が完全に埋没すると同時に、

教祖様はドターンと後ろに倒れたんです。それでまた

救急車を呼ぶはめになりました。これで教団はもうおしまいですよ。
教祖様は夜中に病院を抜け出して、警察にも連絡して行方を探したんですが、
朝になって、ほらあの、工事のときに取り壊したお堂のあった場所、
その前に土下座するような格好で座り込んだまま死んでたんです。
ええ、跡継ぎなんていなかったし、いてもこれだけ評判が落ちれば、
どうにもならかなったでしょうね。教団はつぶれてしまいました。
僕は運転手の仕事もなくなり、実家に戻ったんです。今は職探ししてます。

いや、もう宗教はこりごりですよ。ええ、ニセモノの宗教はね。