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今回はこういうお題でいきます。ただこれ、いろいろと
誤解されている部分があるんですよね。まず「臨死」という
言葉がきわめてありまいであり、正式な医学用語ではありません。
ですから、本の著者などによって、微妙に違う意味で
使われていることがあるんですね。

文字どおりに考えれば、「臨死」とは、死に臨んでの体験であり、
英語では「Near Death Experience」と言います。ここで、
ひとつ言えるのは、臨死は、「完全な死」ではないことです。
死の定義は、時代や地域、文化によってさまざまですが、
死は不可逆的なものであると考えられますよね。

つまり、生き返ってきた場合、それは死ではなかったということ
ではないでしょうか。日本での医学的な死の定義は、
・自発呼吸の停止・心拍の停止・瞳孔の散大 だったんですが、
臓器移植のための脳死ということが出てきてから、
変化が生じてきました。



ただ、ここではこの問題はそれ以上ふれないことにしたいと
思います。さて、延命医療・救急医療の発達により、心肺停止から
蘇生する人の数は、過去にくらべて大きく増えてきています。
ですから、心肺停止だけでは死とはいえず、そこから
生きながらえた場合、それが臨死体験ということになります。

つまり、臨死体験とは、死にきわめて近い状態にあったが、
そこで死ななかった人の体験ということなんですね。現在の
日本では、死亡判定をうけた後、24時間安置する決まりに
なっています。万が一の蘇生を避けるためですが、大昔なら
ともかく、この期間に生き返った人はいません。

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ですから、死から返ってきた人の話というのはないんです。
さて、心肺停止した状態から蘇生した人の10~15%程度は
臨死体験を経験していると言われます。また、その体験には
共通点がいくつもあります。

外国では、・自分が自分の体の上に浮いているのを見る。
・静かで安らいだ気持ちになる。・トンネルのような筒状の中
を通る。・すでに亡くなっている知り合いや親族に出会う。
・強い光に出会う。・自分の過去の人生が走馬灯のように見える。

などです。また、日本の場合は、・大きな川に出会う。
・花畑のようなところに自分はいる。・亡くなった知り合いに、
「こっちに来るな」と言われて目が覚める。
だいたいこんなパターンで、外国と共通する部分もありますが、
川(三途の川)は仏教国に多いようです。

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この現象については、まず脳生理学から説明する立場があります。
死の苦痛、特に脳に酸素が送られなくなった苦痛を和らげるために
エンドルフィンなどの、鎮痛作用と快感作用をもつ脳内麻薬物質が
出るというわけです。実験でマウスの血中酸素濃度を下げていくと、
それに比してエンドルフィンが分泌されるという結果が出ています。

また、やはり呼吸が止まり、血中の二酸化炭素濃度が増えることで、
やはり幻覚が起きるのだという説もあります。ただ、この2つの
説はどちらも批判がありますが、実験で確かめられたものでは
ありません。ですから、現代科学では、このあたりのことは
ふれられない場合が多いんですね。



さて、臨死体験についてはスピリチュアル的な解釈ももちろん   
あります。死によって、われわれの魂が死後生に向かう
過程だというわけです。自分の体が空中に浮いている、いわゆる
体外離脱状態のときに、本来見えないはずのものが見えた
という体験談もあります。

で、それをもって、魂はある、死後生はある、霊界はあるとする
スピリチュアル研究者もいるんですが、ことはそう単純でも
ないんですね。ここで出てくるのが超ESP仮説と呼ばれるもので、
これは、「死後生や霊魂の存在の証拠とされる心霊現象も、
ESPや超能力によるものだと見なすことで、

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霊魂を想定しなくても説明可能になる」という考え方です。
このあたりはオカルトファンの方ならご存知でしょう。
死に際して、それまで隠されて表面に出てこなかった能力が
発揮されるようになり、本来見えない位置にあるはずの
ものが見えてしまう・・・



さてさて、ここまで読まれて、みなさんはどう思われたでしょうか。
「臨死体験」なるものがあるとして、それは科学的に説明
できるものなのか。それとも、魂や死後生のある証拠になるのか。
自分としては、どちらも怪しいと考えています。

理由は上で書いたように、臨死体験は完全に亡くなった人の
体験ではなく、あくまでも死に近づいた人のものであること。
きちんとした定量的な実験などはなされていないことです。
そもそも、そういう実験自体、倫理的に不可能ですよね。
脳科学がなかなか進展しないのは、人体実験が不可能だという

面がひじょうに大きいんです。では、ここまでをまとめると、
・臨死体験は、完全に死んだ人の体験ではないこと。
・臨死体験についてのきちんとした実験や分析はなされていない。
・臨死体験の内容は、その人が育った文化の影響を受けること。