んじゅ
 
今回はこういうお題でいきます。みなさんは死後の世界を信じておられますでしょうか。信頼のおけるアンケートによれば、日本人の場合、死後の世界を信じる人が三分の一、信じない人が三分の一、わからないと答える人が三分の一という結果になっています。意見が拮抗してるんですね。
 
そして、信じると答えた人の中でさらに意見が分かれます。天国・地獄派と輪廻派です。キリスト教やイスラム教は天国・地獄派です。最後の審判で眠っていたすべての死者が復活させられ、どちらかにふり分けられる。それに対し仏教はちょっと複雑です。
 
仏教の多くの宗派では輪廻を認めていますが、輪廻し続けるのはよくない状態であるとされ、最終的にはそれを乗り越えて仏となることが最も大切です。仏教でいう生まれ変わりは、極楽道、天道、人間道、畜生道、修羅道、地獄道の六道(りくどう)を、生前の行いによって行ったり来たりするというもので、
 
っきお
 
たとえば少しよい生き方をした人は人間道から天道へ生まれ変わります。天道は、人間界よりもはるかに苦痛のない世界で、天人の寿命は何百年もあるとされますが、やはり死にますし、完全な世界ではないんです。三島由紀夫の小説に『豊穣の海』があり、その最終章が「天人五衰」でした。
 
これは寿命の長い天人もいつかは死が訪れ、そのときには5つの兆候が表れることを意味しています。天人であっても苦からは逃れることができないということです。最近はこの他にスピリチュアル的な死後観も流行していますね。輪廻転生をくり返すことで霊性を高めていき、最後には高次の霊になると説かれます。
 
神智学協会における霊性進化論が有名です。さて、この他にもヒンドゥー教、神道などさまざまな宗教があり、死後の世界観もまちまちなんですが、それについての本格的な宗教間での論争は行われなくなりました。お互いに他の宗教の存在を認めて棲み分けが行われているようです。
 
タイトルなし
 
しかし、自分の信じる宗教が正しいと考えるならば、もっと論争があってもしかるべきという気がしますね。ただ、いくら論争しても結論は出ないだろうと思います。天国や地獄あるいは輪廻があるとする決定的な証拠は出てこないからです。
 
ときには「前世の記憶を持った少年」などが現れることもありますが、調査をしても万人を納得させるような結果にはならないんです。自分としては、もし死後の世界があるとしても、生きている人間にはわからないようになっていると思います。
 
もしわかるのなら、おそらく宗教が存在する意味がなくなってしまうでしょう。よく神は人間の中にいると言われます。神は人間が持つ不安の裏返しであるということです。人間は自ら神をつくり出し、死や生きることへの不安をやわらげようとしている。
 
どの宗教でも、信仰心を高めることが大切だと言われますね。強く信じた者には救いが訪れる。それはいいと思うんですが、終末論や現世利益を主張する宗教には気をつけたほうがいいでしょう。たとえば、「この宗教を信じている者だけが世界の終わりで救われる」または「この宗教を信じていれば自然にトラブルが解決して いい暮らしができる」
 
っぉいじゅ
 
こういうのはほとんど信者を獲得するための手段です。今はあまり見なくなりましたが、昔は仏教でも地獄の絵を見せたりして、「わが宗派を信じない者はこうなる」などと言っていました。「嘘も方便」という言葉がありますが、これは法華経の中に出てくるもので、火宅のたとえが有名です。(壇一男の『火宅の人』のタイトルもここからきている)
 
火がついて燃えている家の中で、子どもがそれに気がつかず夢中になって遊んでいる。そこで「出てきたらいいものをやる」といって家から誘い出す話が載っていますね。これは、「わが宗派こそ真実なのだから、嘘をついてでも信者を獲得しなければならない」ということですね。
 
かつてオウム真理教は、信者獲得のために数々の違法な手段に手を染めていました。殺人でさえもポア(急速に生まれ変わりをさせるというチベット密教的な)考えで肯定されていたんです。
 
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さてさて、現在はほとんどの国で信教の自由を認めています。ですから、詐欺的なものでなければ何を信じてもかまわないんですが、あまり固定した死後の世界観を持たないほうがいいかもしれません。
 
信仰心は大切ですが、狂信はよくないんですね。お釈迦様は死後の世界については教えでふれてはいません。考えてもわからないことは考えても仕方がないということです。では、今回はこのへんで。