田舎暮らしを始めたんです。まだ2年目で、一冬を過ごしてやっと慣れてきた
ところです。場所は、言わないほうがよいのでしょうね。中部のほうです。

主人が定年退職したしまして、その前から、まだ体が効くうちに農業でも

やりたいな、などと話し合っていたのですが、2年後、やっと決心がつきまして、
こちらに引っ越してきたのです。お金の面は心配していませんでした。

貯金と、主人の退職金がありましたし、向こうの家土地を売却したのが
大きかったです。独立している子どもたちには、
私たち2人の生命保険を残します。そう言ったら、反対はありませんでしたよ。

改築した古民家を、畑ともどもひじょうに安い値段で買ったのです。
ただ、畑のほうは自分たちのところで食べるだけを作るつもりで、
もちろんどこかに出荷しようなどという計画はありませんでした。

なんといっても素人ですから、無理をしないということを心がけまして。
あ、はい。田舎暮らしにはさまざまな問題点があると言われますね。
せっかく計画を立て、越していっても1年足らずで戻ってくる人も多いと。
私たちが参考にした本にはこのような問題点が指摘されていました。
1、仕事が見つけにくい 2、公共交通機関が少ない 
3、病院、商店などの必要な施設が少ない、遠い。
4、近所付き合いが濃厚で複雑なため、プライバシーの干渉が激しい
5、地域によっては部外者の受け入れに消極的な場合がある
このうち、1は問題になりません。もともと仕事をする気はありませんでした。
2は主人も私も運転ができますし、軽自動車と軽トラックを

中古で買いました。3は山奥暮らしではないので、

スーパーは10分もかからないところにあります。

大きな総合病院は遠いですけど、今のところ2人とも体はいたって丈夫で。
4と5は、これは問題ないと思っていました。私たちが住んでいる郊外の一角は、
市の計画で、すべて田舎暮らしの希望者に分譲されたものです。
ですからご近所さんは地元の人ではなく、私たちと同じような方々なんです。
ですからすぐに親しくなりましたし、いろいろと悩みも相談できるんですよ。
小規模の自治会のようなものも作りましたし、食事会なども企画しまして。
それで、古民家はそれそれ離れて建っているんですけど、
最も近いお隣さんが家の畑をはさんだ裏手で、ご主人がアメリカ人の方なんです。
横須賀の米軍基地で長いこと勤務されて、その間に日本人の奥さんをもらわれ、
退官後にこちらに越してこられたんですね。たいへん大柄な方で、

日本語もペラペラです。奥さんはかなり歳が離れていますが、

対象的に小柄なおとなしい方で。

え、ちっとも不可思議な話にならない? これは申しわけございません。
田舎暮らしは1年目の冬を越すまでが勝負とよく言われますが、
こちらの冬はけして厳しくはなく、雪も少なめで大きな問題は

ありませんでした。それで唯一、

悩まされたのが幽霊なんです。幽霊と言ってはいけない

のかもしれませんね。・・・座敷わらしというのが適切でしょうか。

ええ、古民家に入りましてから、主人と最初に徹底的な清掃をしました。
そのときからもうおったようです。私が各部屋に雑巾をかけておりますと、
隣の部屋でザッ、ザッとホウキを使う音がしまして。
でも、主人は庭のほうに出ているはずで、不思議に思ってのぞいてみたら、
小さな黒い影のようなものがおったんです。背丈は

小学校1年生くらいでしたが、ひじょうに存在が薄かったと申しますか、

よく見ないとわからないような人がたの影。
 

それが部屋の中をくるくると回っていたのですが、私が入っていきますと
フッと消えました。それからちょくちょく見るようになったのです。

私だけでしたら気のせいと思うかもしれませんが、

主人も同じように見ているのです。最初は人のいない部屋だけでしたが、

だんだんに、囲炉裏を切った居間にも

出てくるようになりまして。といっても正面から見ることはありません。

目の端にちらっとうつるのですよ。それと、声も聞こえ始めました。
子どもの笑い声でしたが、それだけでは男とも女ともわかりませんで。

そうですねえ、怖いという感じは、私も主人もあまり持たなかったんですが、
やはり家の中にそういう存在がいるのがいいものかどうか、
どうしても考えてしまうでしょう。座敷わらしに関する本も読みまして、
家に幸運をもたらす存在であるなどと
書かれてましたが、本当にそれかどうかはわからないですよね。

 

まあ実害はありませんでしたので、放置していたんですが、時期がたつにつれて、
最初はごく薄い影だったものが、少しずつ濃くなってくるような気がして。

それとですね、人数も増えてる感じがしたんです。
ええ、先ほど話した笑い声が何種類か聞こえたんです。
それで、とりあえず隣家のご主人に相談してみました。ええ、アメリカ人の方です。
私の家とは畑をはさんで向かい合っておりますし、民家の造作も

よく似ていたんです。だから、もしやそちらでも、このようなことが

起きているのではないかと思って。ただ、やはり外国の方ですから、

幽霊などというものは信じないかとも考えていたんです。そしたら

「ああ、ゴーストですか? うちにもいマスよ」そう軽くおっしゃられまして。
お話を聞いてみると、やはり薄い影のような子どもたちという点は

同じだったんです。「でもねえ、ワタシはなんとなく原因ワカリマシタ。

ご主人、お暇でしたら連れて来てクダサイ」そういうことでしたので、

改めて主人といっしょに訪問しました。そうしたら、畑の一隅にまばらな
林がありまして、その中にみなで入っていきました。アメリカ人の隣人は、

その最奥にある苔むして傾いた石碑を指さして、「これ何かワカリマスカ?」
と聞いてきました。字が彫られてるようでしたが、私も主人も読めなかったんです。
すると、「これ、江戸時代の飢饉の碑ね。この下の人たちの一部、
まだ行くべきところに行ってないみたいデス」そうおっしゃられたんです。
「とくに子どもたちネ。ゴーストになってうちにもよく来マスヨ」

これを聞いて。ああうちだけじゃないんだ、と思いました。どうやって
対処しているのか尋ねましたら、「ああ、よろしデス。うちに来てクダサイ。

もうすぐ晩ごはんデスカラ、見てもらいマス」って。

ということで、主人といっしょにおじゃまさせてもらったんです。

そうしましたら、石碑のある畑に面した和室にテーブルが用意されており、そこに
お皿が5、6枚出ていて、アメリカ風のパンケーキがそれぞれのっかって
いたんです。バターとはちみつがかかった、
日本でいうホットケーキに近いものでした。「子どものゴーストが
何が好きなのか、いろいろためしマシタ。お米のご飯、アンコ餅などネ。でも、
これが一番ウケがよかったデス。ほら」アメリカ人が指差すと、
テーブルの各皿の前にぼうっと小さな影が浮かんできました。

「これでネ、みんな前よりずっと薄くなってきました。もうすぐ天国に行くネ」
アメリカ人はそう言い、テーブルに向かって、「みなそろったネ、では いきマス。
Our Father in heaven, hallowed be your name. Your kingdom come,
your will be done, on earth, as it is in heaven・・・」

これは後で教えてもらったんですけど、アメリカの食前の祈りということでした。
そしたら、この詠唱に合わせてテーブルの前の影がゆらゆらと揺れて・・・
もちろんパンケーキがなくなるということはありませんでしたが、
時間がたつにつれて影はいっそう薄くなった気がしました。
正直、スゴイと思ったんです。アメリカ人のご主人は、「これね、

別にプロテスタントが偉いわけではないデス。日本のお経?も同じでしょ。
要は彼らを怖がらないこと。何か好きなものを食べさせてあげることデス」
こうおっしゃったんです。私も主人も深く感銘を受けまして家に戻りました。

それで「安易にお坊さんなんか呼ばなくてよかったね。私たちにもできることが
あるんだ」こう話し合いまして、やはり石碑に近い部屋に食卓をしつらえ、

パンケーキを真似するのもなんですので、いろいろ工夫しました。

そしたら、お客さんたちは今川焼きを好むようでした。

まあ日本版パンケーキですよね。やわらかいのがいいんでしょうか。中は練乳の
餡が一番でしたね。それからお祈りのほうは、お経というのもつけ焼き刃ですし、

心を込めて「苦しかったでしょう、辛かったでしょう。たくさんおあがりなさい」
と言うことにしたんですよ。そうしましたら、だんだんに影が薄くなってきて、
今では気配しか感じられません。それももうすぐなくなりそうです。
・・・というような話なんです。ねえ、こんなこと、都会ではなかなか

経験できないです。というか、移ってきた私たちだから、その存在が

感じ取れたのかも。だってその古民家にも、もともと住んでいた

人たちがいたはずでしょう。その人たちには日常となってしまって、かえって

わからなかったのかもしれません。それにしても、アメリカの方に

教えられるとは思いませんでした。ちょっと恥ずかしいですよね。