白い石の話 | 怖い話します2
    うちの親父が先年亡くなりましてね。齢(よわい)93ですよ。
    とすれば、わたしの歳も推して知るべしで、今年63になります。
    無職です。60で退職して、その後は親父の介護を女房と2人でずっと。だから、
    こう言っちゃあ何だが、親父が死んでね、何か解放されたような気分になりまして。
    女房も同じでしょう。ま、それでね、わたしもこの後どれだけ
    生きられるかわかりませんが、親父ほど長生きしなくてもいいような気がしますよ。
    子供らに迷惑をかけたくないし、女房より後に逝くのも嫌だしね。
    親父は、長い間趣味として骨董集めをやっていたんです。
    いえ、高いものはありません。どれも近くの神社の境内の骨董市で
    買ってきたもので。だから売っても二束三文だとは思ってました。
    本職の古物商を呼んでためしに値をつけてもらったら、やはり予想どおりで。
     
    でね、その古物商に「お気に召さないでしょう。これら、骨董市から買ってきた
    のなら、市に戻せばいいのじゃないですかね。こういうものは買う人次第の
    ところがありますから、私がつけた値よりは高く売れるかもしれませんよ」
    こんなアドバイスを受けたんです。それでね、時間だけはたっぷり
    あるもんですから、主催者にお願いして、毎月市の日に、ゴザを敷いて
    売りに出てたんです。値段は適当というか、どうせ価値がわかりませんので、
    相場よりだいぶ安いんだと思います。けっこう売れましたから。
    そうして、だんだんに親父の骨董は少なくなっていきまして。
    それで、3ヶ月前のことです。その日曜も骨董市に出ていまして、
    日が暮れてきたんで帰ろうと、品物を片付けていました。
    そしたら、わたしより10ほど歳上に見える品のいいジイさんが来まして、

    「この石ちょっと見せてくれるかね」って言ったんです。「ああ、どうぞ」
    それは骨董とはまた違うもので、天然石ですから、美術品てことでしょう。
    ちょっと見栄えのいい木製の台座もついてました。
    なんていう種類かはわかりませんが、20cm四方ほどで、
    白く透きとおるロウソクみたいな質感のものでした。
    老人は手にとってしばらく眺めてから、「ふうん、これねえ上下逆さまだよ」
    「どういうことです?」 「この台座を向いてるほうが本当は上だよ」
    「ああ、でも、そうすると安定しないんじゃないかな」
    老人の言うとおりに、石を逆さに置いてみましたが、やはりグラグラしたし、
    しかも趣もあんまりよくなかったんです。「やっぱり前のほうがいいでしょう」
    「観賞用としてはそうかもしれんが、顔があるのはこっちだな」
    「え? 顔?」このときはもちろん、本物の顔のことだとは思わなかったんです。

    本来鑑賞すべき向きとか、そういう意味だと理解したんですが、老人は、
    「これね、こっち側を、そうだなあ、和服の端布がいいかな、絹の。
    それで磨いてごらんよ」こう続けました。
    「磨く? はあ、石を磨いてる趣味の方もおりますね」
    「うんまあ、光らせるというわけではないが、磨いてれば何か出てきそうだ。
    端布は近くの和裁屋で売ってるだろうから、ぜひやってみてごらん」
    「何が出てくるんですか?」 「まあ磨いてのお楽しみだろう」
    こう言って、老人から石を磨く方法を習いました。世間一般に行われている
    石磨きとは違って、グラインダーなどの機械はおろか、磨き粉のようなのも
    一切っ使っちゃならないそうで、ただひたすら絹の端布でこする。
    その間、無念無想になるのが醍醐味だと言ってましたよ。
     
    「高く売れるようになりますかねえ」わたしがそう言うと、
    老人は懐から名刺を出し、手渡してよこしました。それには「古美術商」の
    肩書がありまして。「まあね、何か出たら、もし手に負えないことがあったら、
    連絡して」「え、手に負えないことって?」 「まあまあ」
    こんなやりとりをして老人は帰って行きましたよ。「ふーん、石を磨く・・・ね」
    老後の、時間はあるが金はないわたしにはうってつけの趣味だと思いまして、
    老人から教えてもらった和裁屋で、絹の端布を買って帰ったんです。
    翌日の午後からですね。その石を磨き始めました。
    下になっていた面を上に向け、ひたすら端布でこする。
    力を入れてもどうにかなるわけでもないので、ゆっくりと優しく。
    女房が「何をやってるのか」と聞いてきたので、

    老人から言われたとおり答えたら、「高く売れるといいねえ」と笑いまして。
    で、その午後中磨き続けましたが、目に見える変化はありませんでした。
    ただ、やってる間はすごく落ち着いた気分でしたね。
    それが、1日1時間半ほど毎日磨いてましたら、少しずつ変化が現れはじめました。
    まず光沢が出てきて、白さの透明感が増したような気がしたんです。
    それと老人が言っていたように、中に何かがあるように思えてきました。
    でね、10日ほど磨いてますと、形が浮き出てきたんです。これは立体感が
    あるものじゃありません。わたしは平らにこすってるだけですから。何と言えば
    いいですかね。横向きから45度ほど前に向いた女の顔・・・それを水の中を通して
    見ているような。日本髪で昔の人のような感じがしました。もちろん本当の
    人の顔の大きさはありません。実際の半分よりやや大きいくらいでしたか。

    でね、それが見えてきてから、面白くなって午後のずっとを磨きにかけてたんです。
    女房に見せましたら、「顔かねえ? そう言われればそんなような気もするけど、
    これは動物の顔じゃないかしら」 「そんなはずはない。
    これが額でここが鼻で・・・」とうとう、朝起きたらすぐに石を手にとって
    磨き始めるという、何かの中毒者みたいなことになってしまったんです。
    ええ、女の顔はだんだんはっきりしてきまして。歳は20代後半
    くらいですかねえ、なんとなく憂い顔に見えるところがよかったんです。
    和裁屋にはその後2度行って、端布を買い足してきました。
    飯もあまり食わなくなって、少し痩せましたから女房も心配し始めてね。
    「あんたが夢中になってることをとやかく言うのもあれだけど、私には虎とか
    ああいう動物に見えるよ。もう売っちまったほうがいいんじゃないかい」

    でもね、その頃には売るという考えはすっかりなくなっていたんですが・・・
    ある日です。縁側でそのときも石を磨いてたんですが、陽気がいいので
    少し手をとめて うとうとしていました。そしたら外にシロがきまして。
    ええ、このシロというのは猫です。家で飼ってるわけではなく野良猫なんですが、
    人に慣れてまして、ときおり姿を現したときに餌をやったりしてたんです。
    縁側にひょいと跳び上がり、わたしの手の中にある石に近づいて、
    顔の出ている部分をぺろりと舐めたんですよ。
    その途端、「ヒンギャー」という声を上げて垂直にジャンプし、
    下に転げ落ちて一目散に逃げていったんです。わたしはそれで一瞬でうたた寝
    から覚めまして、見ると床板が血だらけになっていたんです。シロの血ですよ。
    その中にまだピクピクと動く肉塊・・・
     
    シロの舌でした。唖然としながら石のほうを見ますと、白い中に赤い、
    血の色の筋が2ヶ所入ったようになり、それは内部にあるもののようで、
    いくらこすってもとれなかったんですよ。いいえ、すぐ前まではありませんでした。
    でね、その筋が入ったのが、石の中にある女の顔の口唇の部分です。ちょうど
    紅をさしたようで、女の表情が妖艶とも酷薄とも見えるように変わったんです。
    ぞくぞくっとしました。それで夢中になっていたのが一気に冷めてしまって、
    同時にね、あの老人が言っていた「手に負えなくなったら連絡して」
    という言葉を思い出したんです。名刺はとってありましたし、
    電話したらすぐに老人が出ましたので、事情を話しますと、
    「ははあ、やはりそういうものでしたか。今から引取りに伺いましょう」
    でね、夕方になって老人はひじょうに古い車を自分で運転してやってきまして。

    そこ頃にはシロの血はぬぐってありまして、縁先で石を見せると老人は唸り、
    「これはまた、怖いねえ。怖いものを出した。この素性のものとまでは
    思わなかった。でもねえ、あなたのような人が磨いたから、
    これで済んだんだろう。若い人だったらとり込まれていたろうに」
    こう言って値をつけたんですが、それが100万の桁にのぼるもので。ええ、
    恐ろしいので買っていただきましたよ。その後はとくに変わったことはなしです。
    憑き物が落ちたというか、あの夢中で磨いていた時間は何だったのだろうかって。
    老人にはあれから会っていませんし、連絡もありませんよ。
    あとですね、この2日後に、散歩に出ようと家の前の道を歩いていたら、
    シロが側溝の中で死んでいました。保健所には連絡せずわたしが庭に埋めましたが、
    いや、気の毒なことをしましたよ。まあ、こんな話なんです。
     
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