今回はこういうお題でいきます。カテゴリは医学のとこに入れときますか。さて、日本は高齢化が進み、死亡予備軍といえる年代の方が増えてきました。そのため、ここで死生観について考えておくのも悪くないのではないかと思いました。
 
では、死生観とは何かというと、ネットでは「死生観とは、生きることと死ぬことに対する考え方、または判断や行動の基盤となる生死に関する考えのこと」と出てきます。まあこのとおりですね。まずこの定義の前半部分、生きることと死ぬことについての考えですが、
 
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これは人それぞれ、バラバラという現状です。日本の伝統的な考え方、三途の川を渡って地獄や極楽に行くと思ってる人は少数ではないでしょうか。「世界価値観調査」の「死後の世界はあるか」というアンケートによれば、日本で「死後の世界の存在を信じている」という人の割合は32.2%で、
 
対象国の中では下から2番目(最下位は中国)。3割程度の人しか死後の世界は信じていないようです。ちなみに信じない人は34.7%でしかなく、「分からない」と答えた人が32.6%に達しています。他の設問のパターン同様に、「分からない」の値は日本が一番高いものとなっています。
 
日本では答えが確定していない、根拠がない設問には、とりあえず「分からない」と答えておく態度が浸透しているのかもしれません。また最近は、スピリチュアルな死後の世界についての考えを持つ人も増えてきています。さて、アンケートの1位がトルコ、2位がイラン、3位がエジプトです。
 
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どの国も90%前後と、きわめて高い数字を示しています。これらの3国はイスラム教国です。キリスト教諸国は平均50%くらいでしょうか。うーん、この結果は、日本人は初詣やお盆の墓参りには行っても、そこまで熱心に宗教を信じている人は多くないことに原因が求められるのではないでしょうか。
 
まわりに同じ宗教を信じている人が多くいれば、自然と死生について語る機会も多くなると考えられますが、日本にはそういうコミュニティは少ないですよね。死はよくないものとしてタブー化され隠されるようになり、日常生活から切り離されてなるべく目にふれないようにされてきたんですね。
 
死後の世界の存在を信じたいが、まわりの人は誰もそんなことを言わないので確信がない。そんなケースが多いんだと思います。この原因は、明治になって日本政府が国家神道を定め、仏教の庇護をやめたことが大きいでしょう。まあ、この問題にはここでは深くはふれません。
 
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さて、死生観の定義の後半部分、死における判断や行動ですが、まずみなさんは尊厳死を望みますか? それとも? 尊厳死とは、延命治療を行わず、人間としての尊厳を守りながら最期を迎えることです。「日本尊厳死協会」は、「不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のこと」としています。
 
日本人の寿命は男女とも世界トップクラスですが、健康寿命と寿命との差は大きく、人工呼吸器など延命治療によるところが大きいんです。もちろん、どちらを選んでもいいわけですが、尊厳死を望む場合は何らかの形で意思表示しておかなくてはなりません。
 
生命の危機におよんで、意識を保っていられるとはかぎりません。それと、最期をどこで迎えるかも重要です。今は病院で死を迎える人がほとんどですが、その前は家庭で亡くなる人が多かったんですね。ですから孫などが人の自然な死を目にすることができました。これを従来の形に戻そうという動きが進んで、在宅医療が見直されています。
 
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ただ最近は一人暮らしの人が多く、在宅死が難しい場合もあります。あとは終活と呼ばれる事柄ですね。いつ急に何があるかわからないので、混乱をさけるため、遺言を作って財産分与などについて書き残しておくのがよいと思われます。あと自分が両親を亡くしたとき遺品の整理に苦労したので、今から断捨離を進めておくのもいいでしょう。
 
自分の周囲を見渡せば、ほとんど使ってないものや着ていない衣料があるはずです。さてさて、ということで、日本人の死生観について見てきました。死生観は個人の環境や価値観によって異なりますので、正解はないと思います。
 
また、必ず持たなければいけないものでもありません。しかし、「最期をどのように迎えたいか」を考えておくと、やり残したことがはっきりするほか、自分が希望する最期を家族に伝えておくことができます。みなさんも今から自分なりの考えをまとめておくとよいのではないでしょうか。では、今回はこのへんで。
 
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