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今回はこういうお題でいきます。うーん、結界の概念は古代からあったと思いますが、よく言われるようになったのは平安時代ころからでしょうか。結界という言葉は仏教、神道、陰陽道でも使われ、日本人にはなじみ深いですが、では、具体的に結界とは何か?と問われると答えるのが難しいんですね。
 
まず、結界とは内と外を分けるためのものと考えられます。もちろん内側のほうが特別な領域であり、多くの場合、特殊なエネルギーで満たされていると解釈できます。また、聖と俗、清浄と不浄を分ける境目でもあります。境目を区切るためには、仏教では幕の他に、壇、お札をはりめぐらすなどの手段が使われます。
 
結婚式で紅白幕、葬式で鯨幕を使うのも結界の一種と言えるでしょう。あとは盛り塩など。神道では注連縄、神籬(ひもろぎ)などを使います。陰陽道では呪符、たれ幕なんかが一般的ですね。仏教では『牡丹灯籠』の話が有名です。簡単にあら筋を紹介すると、
 
仏教の壇
 
タイトルなし
 
浪人の萩原新三郎は、ふとしたことから旗本飯島平左衛門の娘、お露と知り合います。お互いに一目惚れした二人は恋仲となり、お露は夜ごと牡丹灯籠を下げて新三郎のもとを訪れて密会を重ねます。しかし、お露の正体は亡霊でした。 日ごとやつれてゆく新三郎に旅の修験者が真言とお札を授け、
 
家中の戸にこれを貼って期限の日までこもり、「夜が明けるまで決して出てはならない」と告げます。 言われたとおりに新三郎が閉じこもっていると、毎晩お露は家の周りを回りながら、中に入れず恨めしげに呼びかけてきます。 最終日、新三郎は、朝になったとだまされ、自らお札をはがして外へ出ます。 すると・・・
 
まあ、こんな話です。日本の江戸時代以前の怪談は、『四谷怪談』のように、悪逆なしうちをした者が恨みを持って成仏できなかった死者に祟られる形が多いんですが、新三郎の場合は特に悪いことをしたわけではないのにとり殺されてしまいます。これはもともと『牡丹灯籠』の話が中国から来たものであることが大きいようです。
 
盛り塩
 
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中国では、若くして死んだ娘が男に恋をして、この世によみがえり男をとり殺してしまうという形は珍しくないんです。また『耳なし芳一』の話では、平家の怨霊にとり憑かれた芳一の体に、お坊さんが一面にお経を書きますが、耳だけ書き忘れていたために引きちぎられてしまいます。
 
これなど、芳一の体をお札代わりに使っていたと考えることもできるでしょう。余談ですが、芳一の体に書かれたのは般若心経です。昔は、結界をはるなどのことは真言宗の僧侶が得意とすると考えられていたんです。神道では、高い木や岩などは神が降りてくるとされ、注連縄を張ってそれを神聖化しました。
 
鳥居というのも、もとは木の間に張った注連縄だったと考える研究者もいます。さて、では結界にはどんな働きがあるのか?不浄なものがそこから中に入れないようにする役目ですね。死穢(しえ)という言葉があるとおり、死者は穢れたものであり、そこでストップされてしまうんです。
 
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現代の創作では、結界がバリアのように描かれることが多いんですが、本来の意味とはちょっと違うのかなと思います。神道では、いちばん優先されるのがお祓いです。そこで祝詞などを唱えてまず本人を清める。それでもダメな場合に結界が使われます。お札は基本的にはそれをはる神職の神社の御祭神の場合が多いでしょう。
 
陰陽道では物忌み片違えが結界の一種と言えるでしょう。その日は日が悪いので、一日中家にとじこもったり、ある場所に行くのに、最初は見当違いの方角に出発するなどのことです。陰陽道の場合、結界は深く占いと結びついています。それから本人の身代わりを立てるという描写も、陰陽道の話でよく出てきます。
 
人形(ひとがた)と呼ばれる紙人形です。あとは民間信仰ですね。みなさんは「道切り」というのをご存じでしょうか。疫病が流行った場合など、その村に通じる街道に縄を張って行います。これによって、そこから疫病神が入ってこないようにします。道祖神もそうです。
 
道切り
 
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昔はまともな医療はなく、たいした治療手段もないため、疫病はたいへん怖れられていました。そこで、家の戸口に疫病除けの札を貼ったりしてたんです。疫病除けにはだるまや金魚など、赤い色のものの絵が効果があるとされました。
 
今でも、葬式があった家の戸口には忌中の札を貼りますが、その名残りと考えられます。おそらく盛り塩もそうでしょう。あと、結界は心理的なものとしても使われるようになり、「心に結界をはる」などといった言い方をしますよね。
 
さてさて、結界について見てきましたが、こんなところでいいでしょうか。基本的に結界とは、疫病や死霊など、人間の力では祓うことができないものに使われることが多かったんです。生活上のトラブルには結界は役に立たず、自分で解決に努力するしかないでしょうね。では、今回はこのへんで。