あ、竹田って言います。これ、俺が葉山の実家にいたときに
体験した話なんです。18歳のときに逗子に引っ越したんで、
その前、俺が中2のときの話。もう40年ちかくも前のことです。
葉山は鎌倉に近いので、今でこそすっかり観光地になってますが、
当時は何もない田舎で俺の家は海岸から2km足らず。だからよく
海で遊んでました。それでね、俺には弟がいました。
当時で俺と4つ違いの小学校5年生。それと家にはオウムがいて、
大きな鳥籠で勝ってました。なんでそんなものがって思うかも
しれませんが、親父はふつうの勤め人でしたけど、親父の弟、
俺には叔父にあたる人が日本とオーストラリアを往復するフェリーの
船員で、向こうで手に入れたのを親父にくれたらしいんです。
 
けっこう大きな鳥で、俺が生まれたときにはすでに家にいました。
オウムの類って寿命が長いんです。犬猫よりはるかに長い。
餌は雑食ですが、家ではヒマワリの種なんかのナッツ類をペット屋から
買ってきて与えてました。俺もよく餌はやってましたよ。え、
人間のものまね?オウムも若いうちはよくやるんですけど、
年をとると飽きるのかやらなくなるんです。そのオウム、チコちゃんって
名前だったんですが、もうすっかりだんまりでしたね。
ときどき思い出したように「コンニチワ」くらいは言いましたけど。
でね、このオウム、これからする話と関係があるんです。
ある夏休みの一日。その日の午後は家に誰もいなくて、
親父は勤めに出てたし、母親は町会の寄り合いに出てたんです。
 
だからすっかり暇をもてあましてて、弟と港に釣りをしに行ったんです。
桟橋から釣るんです。いや、危ないことはなかったです。桟橋には
鉄柵があるし、海に落ちるなんてまず考えられない。小学校では禁止
されてたみたいですが、中学校では何も言われてなかったです。でね、
さっき海まで2kmくらいって言ったけど、一本道の長い農道をずっと
通っていくんです。で、堤防代わりに少し高くなった国道を渡ると、
松林の中を下の浜に下る道があってすぐ桟橋にいきあたります。
いつも遊んでる勝手知った場所なんで、危ないことは何もないと
思ってました。そうですね、2時間くらいいましたかね。
弟とケンカしちゃったんです。ふだんは兄弟仲はいいほうだった
と思います。けど、そんときは・・・弟が4匹くらいかな、
 
釣り上げてたんですが、それに対して俺はミドリフグ一匹だけ、
ぷーっとふくれるのは面白いんだけど、毒があって食べられない。
だから桟橋に叩きつけて・・・そのあと弟に竿を取り換えようって言って、
弟が拒否したんでそれでケンカになっちゃったんです。叩いたりは
しませんでしたよ。けど、俺はそのまま弟をおいて自転車で帰っちゃった
んです。日がかげって暗くなってきてたし、
弟に釣りで勝てないのがしゃくだったし。
今思えば、そんなことしなきゃよかったと思いますよ。いつものように
2人で店でアイスでも買って帰ればよかった。こんな後悔しても、
もうどうしようもないですけど。それで俺は一人で家に帰って、
ちょっとテレビつけたけど、つまんないんですぐやめて、
 
縁側に寝っ転がって漫画本読んでたんです。2階には自分の部屋が
ありましたが、当時はエアコンもなかったし暑くていられない。
まだ母親は帰ってこないし、気温も30度以上ある。うとうとっと
しかけました。それで漫画をわきに置いて、二つ折りした座布団を枕に、
本格的に昼寝しようとしたんです。そしたらちょうどそのとき、
ブーンという羽音が聞こえました。あれなんていうのかなあ、
ゴミムシみたいな、それより少し小さい虫です。
けっこう派手な金属色をしてた気がします、キラキラ光ってたのを
覚えてますから。うるさいなと思ってたら、その虫は俺の顔の真上にきて、
しばらくとどまってブブブブっていってたんです。俺が手を振ったら、
虫にあたって虫は畳の上に落ち、でも死ななかったみたいで
また飛び上がって・・・チコちゃんの籠に自分から飛び込んだんです。
 
チコちゃんって、さっき言ったオウムね。あれあれと思ってたら、
チコちゃんはパクッとくちばしでくわえて、そのまましばらく
じっとしてましたが、ごっくんと食べちゃったんです。ふだんは鳥の餌
ばっかりですから、死んだりしたら親父に怒られる、まずいなと思ってたら、
チコちゃんは足は止まり木のままで、頭をあっちに向けこっちに向け、
せわしなく動きはじめたんです。苦しんでいる様子でした。ああ、やっぱり・・・
と思ってたら、いきなりチコちゃんの動きが止まり、鳥籠の中からじっと
俺を見すえるようにして、口が動き始めたんです。「僕、死んだよ。
痛かったよ。苦しかったよ」って。いつものチコちゃんの声でした。
でもとっさに変だなと思いました。オウムがしゃべると言っても、
人間が教えるとかして、どこかで聞いたことのある言葉だけです。
 
死んだとか苦しいとか、教えた家族はいないはずだし、
聞いたこともないはず。それなのに・・・、このとき、すごく悪い予感が
したんです。家族になにかあったんだろうか。でも「僕」なんていうのは
弟だけだし。親父はまだ会社だから、母親に連絡しようか。
でも集会所の番号もわからない。それで、弟を迎えに行くことにしたんです。
しばらく行くと、救急車のサイレンがかすかに聞こえてきて、
ますます悪い予感が強くなりました。舗装されてない道を全速力でこいでいくと、
だんだん音は大きくなって国道が見えてきましたが、たくさん車がとまってて、
中には救急車もパトカーもありました。国道に人だかりがあって、
その中に見知った顔がありました。いつもアイスを買いに行く雑貨屋の人です。
「子どもが事故にあったみたいだ」とその人は言い、側溝を指さすと
 
子ども用の自転車が落ちてました。弟のものです。
「今さっき引き上げられたばかりだよ。しばらく側溝の中にいたんだねえ。
かわいそうに」側溝は道路から2mほど下。幅は1mくらいで、水は足首ほど。
けど側溝自体はコンクリでできていて、そのふちにべっとりと血がついてました。
頭をぶつけたんだろうと思いました。雑貨屋の人が「見つけたのは俺だよ。
うつぶせに側溝に落ちて、後頭部がぱっくり割れてそこに虫が集まってた。
そのわきに自転車。しばらく見つからなかったみたいだけど、
もう引き上げられて救急車に乗せられたよ」 「・・・・それ、弟だと思います」
ふるえる声で俺は言ったんです。事故にあったのはやっぱり弟で、
即死だったそうです。轢いたのは中型トラックで、すぐに自首して出ましたが、
逃げたのではなく人と接触したのに気がつかなかったと最後まで言ってました。
 
過積載で長い材木を積んでて、それに引っかけられた弟の自転車がふらつき、
道路わきまでいって側溝に落ちたのだろうということになったんです。
あのころは過積載はふつうでしたから。あれから、俺は就職のために
引っ越したものの、両親は引退してまだあの家にいます。それと、
チコちやんもまだ生きてるんです。ときおり、実家に戻って一人に
なったとき、チコちゃんに「お前、あのとき何であんなこと言ったんだ?」
と尋ねてみることがあるんです。もちろん首をかしげるばかりで、
何も答えちゃくれませんけどね。
 
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