あの僕、武田と言いまして、都立高校の2年生です。サッカー部に入ってて、
まだ受験勉強はやってません。父親は工作機械の会社で部品開発をしてて、
母親は近所のスーパーでパートっていう まあどこにでもあるような家庭です。
住んでるのは、団地とマンションの中間くらいの11階建ての建物で、
このあたりでは一番高いです。賃貸じゃありません。あ、うちはそこの
7階で。それでね、10年前くらいから入居してたんですが、
そのときはできたばかりでした。で、屋上へ出るドアにはいつも
鍵がかかってて、立ち入り禁止だったんです。それが、去年ですね。
そこの自治会で、屋上スペースを遊ばせておくのはもったいないからって、
屋上緑化にすることになったんです。うちは都内で、まず雪は降りませんし。
今、そういうとこが増えているみたいです。ほら、ヒートアイランド現象とか、
 
二酸化炭素削減とかいろいろ言われてるでしょう。
まず、ソーラーパネルを設置して、残りのスペースを芝生にし、
あと丈夫な植物を植える。ガザニアって言ったかな。それで、
植物の中にベンチを置いて、自由に休めるようにする。もちろん、
屋上の周囲は危険防止のために高いフェンスで囲む。万が一自殺
とかあっちゃたいへんでしょ。これらのことは、ビルのオーナー
じゃなく、自治会組織で決まったんです。だから工事費用は
各家庭で分担して出すんですが、ソーラーパネルの分だけ
電気代が安くなるだろうっていう話でした。たいした額じゃなかった
みたいですよ。それ専門の会社があるみたいで、頼んだのはそこです。
たしか工藤緑化事業って言ったかな。それでね5月ころから
 
工事が始まって、9月には終わるってことでした。
工事期間はずっと屋上は立ち入り禁止だったけど、クレーンと
エレベーターでよく資材が運び込まれてました。でね、屋上といっても
そこまで高さがないから、下の道路から工事の様子が少し見えるんです。
屋上の上に一段高い部分を築いて、そこに鉄筋を組んでソーラーパネルを
設置する。あと、フェンス部分も見えましたが、緑化がどうなってるかは
わかりませんでした。終わったのが10月の前だったはずです。
完成式は日曜日だったので、僕と家族も立ち合いましたよ。
フェンスは2m以上あって、危険な感じはしませんでした。
ソーラーパネルを取り巻くように芝が植えられてて、高麗芝って
種類だそうです。それと、いくつもの大きめのプランターに草花が
 
植えられてました。名前は聞いたけど、覚えてません。でね、
そんな感じだから走り回って遊ぶことはできないけど、いかにも
居心地がいい空間って感じでしたよ。それからしばらくは特に
何事もなかったですね。最初は何度か行ってみました。
プランターの植物はつぼみのようなのが大きくふくらんでいて、
これから秋冬に向かうのに大丈夫なんだろうかと思いました。
椿みたいに冬に花が咲く種類なんだろうかって。
立ち寄ったのは最初だけですね。
僕はサッカー部なんで、練習が終わって帰ってくると
もう暗くなっちゃってるんですよ。それで、言い忘れてましたが、
僕には3つ下の弟がいるんです。今中3だから受験勉強の最中です。
 
僕と違って勉強はよくできて、都立じゃなく私立の高校を
目指してたんです。工事が終わって1か月後くらいかな。
この弟の様子がなんだか変で。はじめはケガでした。晩飯のときかな。
弟の左手首の内側に長い傷跡があることに気がついたんですよ。
「あ、〇〇、その腕どうしたん?」って聞きました。
母親も心配そうしてましたが、本人はいたって平気そうで
「あれ、これいつ ついたんだろ。何かに引っかけたのかな」 
「あんた痛くないの?」 「いや、ぜんぜん」こんな感じだったんです。
でも、ちらっと見ただけだけど、傷はかなり深そうでした。
それから弟の様子がなんとなくおかしくなったんです。いや、
どこがどうとは言えませんけど、全体的に元気がなく、
 
何か話しかけられたときの受け答えも必要最小限って感じで。
弟はアニメとかが好きなんですけど、僕がその話題を出しても
ぜんぜんのってこないんです。それであれは、秋が押し詰まった
11月初めでした。僕はその夜たまたまサッカーの海外試合を
見て夜更かししてたんです。午前2時を回ってたと思います。
ガタガタンと誰かが廊下を歩くような音がして、
でも、こっちの廊下には僕と弟の部屋があるきりで、
こんな時間に両親が起きてるはずがない。そう思って
部屋の外に出てみたんです。・・・・あちこちけつまずき
ながら歩いてたのは弟でした。え、こいつパジャマのまま
何やってんだ?トイレか?でも、弟はふらふらしていて
 
様子がただごとじゃなかったんです。こいつ夢遊病なのか?
そうも思いましたが、生まれたときからそんなことは
なかったはずです。思わず「どうした!」と声をかけました。
それで弟は我に返ったように「あ、あうあ」みたいなことを
 
言ってましたが、そのとき弟の右手にカッターナイフが
握られていたのが目に入りました。でもまあ、そのときは
寝ぼけたんだろうくらいに思ったんです。それから12月に入り、
サッカーの試合予定が全部終了して練習休みの日が多くなりました。
それで、屋上の植物のことを思い出したんです。どうなっただろう。
あの植物、どんくらいのびてるんだろうって。日曜の午後3時
くらいです。まだ屋上はドアが開いているはず、そう思って
エレベーターで出かけました。その日は朝から曇りで、
屋上全体に影を落として暗く、ああ、このぶんじゃソーラー発電は
無理なんじゃないかと思いました。植物は、ベースになってる
芝の生育はまずまず。ほら、僕はサッカーやってるんで、
 
芝の状態はけっこう詳しいんです。で、プランターの植物は
かなり伸びて、太さも親指くらいになってました。
長さとかは正確にわからないです。というのは奇妙に曲がり
くねっているためで、茎には痛そうな棘がびっしり生えていて
 
触れませんでした。「この季節でも伸びるんだなあ」そう思ったとき。
ソーラーパネルの陰で何かかバザッと揺れるような音がしました。
「鳥か何かかな」見に行って腰を抜かしましたよ。
人が鉄骨から首を吊ってたんです。足は床面から30cmくらいの
高さでブラブラ揺れてました。それと、もう寒いのにランニングシャツで、
だらんとした両方の腕から血がポタポタしたたってプランターの
植物の中に流れ落ちてたんです。いえ、弟じゃありません。
同じくらいの年頃でしたが、別の階の住人の子どもでした。
友達じゃないけど顔は何度か見たことがあります。それからは、
あわてて管理人室に知らせ、警察と救急車がきてたいへんな騒ぎでした。
僕は第一発見者ということで夜まで事情聴取され、
 
それは翌日も続来ましたが、結局自殺ということになりました。
その子も弟と同じ中学3年生で、受験を苦にしたんじゃないか
と言われてましたね。このことがあって屋上に出るのが怖くなりました。
でも、もう一回だけ行ったんです、あの晩に。もうすぐクリスマス
ってときです。やっぱり夜中の2時過ぎ、そんときは寝ていて、
嫌な夢を見て起きちゃったんです。そしてトイレに行きたくなって
玄関側に出ようと思いました。そしたら弟の部屋のドアが開いてて、
電灯がついてたんです。ベッドにもどこにも弟の姿はありませんでした。
「あれ、あいつも便所か?」でもトイレにはいません。そのとき、
頭に屋上のことが浮かんだんです。「まさか・・・」両親はとっくに
寝ています。どうしようか迷いましたが、そっと抜け出して
 
エレベーターで上に上りました。11階のホールから屋上への
階段を上ると、こんな時間なのにドアが開いてたんです。
午後5時以降ドアは閉めるはずだったのに。
屋上は明るかったです。常夜灯というのか、投光器のようなのが
床にいくつか設置されてました。それで、見ちゃったんです。
首吊りですよ。一人じゃなく10人近く。みな弟くらいの年で、
男の子も女の子もいました。ソーラーの鉄筋やフェンスに
タオルや電気コードのようなのをかけて首を吊ってる。
ポタポタという音がしました。でね、プランターの植物、
それが蛇が鎌首をもたげるようにウネウネと動いてたんです。
ウネウネ、ウネウネ。それと、これは見間違いかもしれませんが、
 
頭上すぐ近くに何か大きな丸いものが浮かんでました。
それは青や緑に光ったり消えたりして・・・・。僕は絶叫した
と思います。それからのことはよく覚えてません。ふと気がついたら
病院にいました。僕のベットをのぞき込んでる家族の顔の中には
弟のもありました。「あ・・・あ、お前屋上に行かなかったのか?」
弟はふるふると首を振り、僕は「屋上で首吊った子たちは?」
父親が首を振り「お前 何を言ってるんだ。
お前は朝になってしばらくして、屋上に倒れてるのが見つかったんだ。
だいぶ探したんだぞ。この寒いのによく凍死しなかったな」 
「屋上で首を吊った子どもが・・・」 「夢か何かだろう」
こんなやりとりになったんです。このあと、僕は低体温症ということで
 
4日入院して退院しました。ええ、誰も死んだ子どもはいませんでした。
だから事件にもなっていない。あれはすべて僕が見た夢か
幻覚だったんだろうか・・・。そうは思ってません。というのは、
弟の目ですが、暗いとこでは青や緑に光るんです。
あのとき屋上の空で見たものと同じ色に。・・・あれから一度も
屋上へは行ってません。工藤緑化事業が来て、冬前の植物の
メンテナンスというのがあったようですが。ですから、
あの植物がどうなったか、ここで話すことはできないんです。
 
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