今回はこういうお題でいきます。鬼童丸とは、平安時代を代表する鬼ですが、
その説話はたくさん種類があって、それぞれ内容が異なっています。
で、説話によって、① 鬼童丸はもとは人間の稚児であったが、悪行の末に
鬼になった。 ② もともと鬼である。 ③ 鬼と人間のハーフだったのが、
だんだんに鬼に化していった。

この3つの説話があるようです。全部を紹介すると長くなってしまうので、
この中から、③について主に解説していきたいと思います。
これは鎌倉時代の説話集『古今著聞集』に載っているエピソードです。

また、江戸時代の妖怪絵師鳥山石燕も、このエピソードにもとずいて
鬼童丸という作品を書いています。画集『今昔百鬼拾遺』の中の一枚で、
詞書は「鬼童丸は雪の中に牛の皮をかぶりて、頼光を市原野にうかがふと云ふ」

 

鳥山石燕 「鬼童」



これについては、おいおい説明していきます。ご存知のように源頼光と
家来の四天王は、京都の大江山に棲んで悪事を働く酒呑童子の一味を
討伐したんですが、これはその後、しばらくたってからのエピソードです。

酒呑童子たちは都から若い女を多数さらってきて周囲にはべらせていましたが、
頭目の酒呑童子が頼光によって退治されたことにより、解放されたんですが、
その中に頭がおかしくなってしまった女がおり、またその女は酒呑童子の
子を宿していたため故郷へ帰ることができず、

雲原というところで男の子を産みます。この子は野生の中で育ち、歯は鋭く、
7,8歳になると、石を投げて猪や鹿をとり、その肉を食べていました。
それが成長して鬼の仲間となり、また頼光の鬼退治の話を知って、
頼光を、父酒呑童子の仇としてつけ狙うことになります。

もともと人間としてより、鬼の性質のほうが強かったんでしょう。で、
ここからが『古今著聞集』のエピソード。あるとき、頼光が弟、頼信の家に
行き、厠を借りると中に亀童丸が閉じ込められていました。

 

牛の姿の亀童丸



そこで頼光は「こういうやつはちゃんと鎖で縛っておかないと危ないぞ」と言い、
頼信はそのとおりにしたんですが、夜になると鎖をひきちぎって逃げ出します。
ですがその前に、頼光が「明日、鞍馬山に参詣する」と言ったのを聞いていて、
鞍馬への途中、市原野というところで待ちぶせしようと考えます。

そして鬼童丸はそこで放し飼いになっている最も大きな牛を食い殺し、
その皮を被って待っていました。これが石燕の絵の場面ですね。
しかし頼光はそれをすぐに見破り、家来の坂田公時に弓で射させます。

それをものともせず、鬼童丸は「父の仇!」と頼光に斬りかかりますが、
頼光は一刀のもとに斬り伏せてしまったんですね。酒呑童子退治から
だいぶ時間がたっていて、頼光も老いていたと思われますが、
まだまだ武勇盛んだったんですね。

 

牛鬼



また、このエピソードから、鬼童丸は牛の化け物であるという話になって
いき、妖怪の牛鬼とも関係があるように言われますが、そのあたりは
よくわかりません。

また、別伝承では鬼童丸は平安時代の有名な盗賊、袴垂(はかまだれ
本名は藤原保輔、正五位の貴族であった)と術比べした話もあります。
鬼童丸は山中の洞窟で盗賊の袴垂保輔と出会って妖術合戦をすることになり、
保輔が妖術で山を燃やせば鬼童丸は大水を流し込み、

鬼童丸が巨大な毒蛇を呼び出せば保輔は怪鳥となって鬼童丸に襲いかかった、」
となっています。この話は江戸時代には有名だったようで、
たくさんの絵師が画題にして描いています。

 

袴垂



さてさて、平安時代というと華やかな宮廷の様子が浮かんできますが、
それはあくまでも頼光ら武士によって警護されていた一部の皇族、貴族の
話で、庶民は芥川竜之介の『羅生門』に見るような悲惨な状況だったんですね。

都は荒れ果て、疫病が蔓延し、竜巻などの天変地異が起こり、人さらいや
強盗、殺人も多かったんです。そんな中で生まれたのが『源氏物語』や
『枕草子』であったわけです。ですから、高位の貴族でなければ誰でも
袴垂や鬼童丸になる可能性があったわけです。

 

羅生門



現代でも「親ガチャ」などという言葉がありますが、この時代は、
生まれによってまったく違った人生を歩むことになるケースが多かったんです。
ですから、貴族から見た鬼が、本当に鬼であったのかどうかはわかりません。
では、今回はこのへんで。