フリーで雑誌の編集をやってる元木と言います。よろしくお願い
します。え、仕事のほうですか? ええ、ネット時代になって、
雑誌が売れなくなって久しいんですけど、僕がやってるのは
業界誌なんで。独身ですからね、一人で食ってく分には
まあなんとか。それで、今から話をするのは、去年の5月の
連休時のことです。大学時代に仲がよかった津村ってやつと
釣り旅行に行ったんです。津村の仕事は都庁関係の公務員で、
連休はまるまる休みなんですよね。それで、こっちから
誘ったんです。大学時代は同期で、釣り同好会に所属して
ましたから。ただね、津村のやつ、その年の1月に結婚してて、
まあ、新婚ホヤホヤってわけでもないけど、

誘うのにちょっと躊躇する気もあったんです。でも、それを
言ったら、「新婚たって、四六時中顔を合わせてるわけだし、
まだ子どももいないし、ひさびさに釣りに行くほうがいいよ。
女房はその間、実家に帰れるから」こんなこと言ってました。
行ったのは海じゃなく、渓流釣りです。場所は奥多摩秩父山地。
あのあたりは谷間ごとに川の支流が流れてて、そのうちの
一本に入り、釣りながら水源近くまで登っていくんです。
体力が必要ですけど、僕は編集が仕事で、ずっと座ってることが
多いんで、リフレッシュと体力維持をかねて、年に4、5回は
山に入ってるんです。2泊3日の予定で、ふもとの民宿を予約して
ました。これも、大学時代はテント泊が普通だったんですけど、

今はさすがにね。あ、すいません、なかなか話が始まらなくて。
2日目のことでした。前夜、けっこう2人で飲んだんですけど、
朝早く起きて沢を登ってったんです。1日目、あんまり釣果が
よくなかったんで、場所を変えて、初めて入るとこでした。
いや、GPSを使ってるんで、携帯の地図ソフトと照らし合わせれば
迷うことはありません。そのときはかなり釣れたんです。
尺もののイワナが何本も。あ、けど、ほとんどリリースするんですよ。
自分で食べられない魚はそうするのが、大学の釣り同好会のポリシー
だったんです。午前中いっぱい釣って、さらに奥に向かったころ、
前方の林の中で、何かギラギラ光るものがあったんです。
「あれ、何だろ」  「さあ、車とか入れない場所だし、何だろうな」

気になったんで、入って見に行きました。道はないんだけど、
下は丈の低い草地で。そしたらね、鏡だったんですよ。
いや、昔の金属の鏡じゃなく、普通のガラスの四角い鏡です。
大きさはちょうど家の洗面所にあるくらいの。それがヒモで太い木
から吊り下げられてる。高さはちょうど顔が映るくらい。
それと、鏡の上のとこに縄が巻いてありました。うーん、そのときは
注連縄だとは思わなかったですね。たるみなくキチキチに巻いてたし、
あの白い紙みたいなのも下がってないし。「変だなあこれ、
何に使ったんだろ」  「いや、わからんけど、触らないほうが
いんじゃないか」  「ほら、鏡の面が雨とかで汚れてない。
ということは、つい最近に吊るしたんだよ」

津村がそう言って、鏡に手をかけて裏返そうとしたんです。
上部はヒモで吊るされてるけど、下は固定されてないんで。
で、すぐ「わあっ!」と言って手を話し、後ろに飛び下がったんです。
「何だ、どした?」  「蛇、蛇!」津村が指差した先には、
1m以上ある大きな青大将が、丸められた状態で幹に釘で
打ちつけられてました。「うわあ・・・」意味わかりますかね。
木に蛇を打ちつけ、それが隠れるように鏡を吊るしたってことです。
そんときは、鏡のヒモがねじれてもとの場所に戻らず、蛇の
横のほうで裏返ってたんですが、その裏面に何か書いてあったんです。
筆で書いた字だと思いましたが、それこそ蛇がのたくってるようで
達筆すぎて2人とも読めなかったんです。

「これ呪いか何かかな」  「もう行こうぜ、かかわるのはよそう」
僕がそう言って、河原のほうに戻りました。そこからやや進んで、
宿の弁当を食べ、釣りを再開したんですが、ぱったりと釣れなくなった
んですよ。場所を変えてもダメでした。宿の晩飯の時間に合わせて
戻り、給仕してくれた おかみさんに鏡の話をしてみました。
そしたら、少し眉をしかめて「蛇ですか、嫌ですねえ。鏡を
吊るすってのは聞いたことがありますよ。この地方の古いおまじないで、
縁切りの願かけをするときにやったって。もちろん昔の銅の手鏡
ですけど。でも、蛇の話はわかりませんねえ。おお、気味悪い。
いや、昔々の話で、今、そんなことをする人はいないですけどね」
こんなことを教えてくれました。その後、2人で持ち込みの

ビールを飲み、あれこれ鏡の話をしたんですけど、結局、何の結論も
出ないままで。翌日、これが最後の日で、2時頃にはふもとに戻って、
車で東京に帰る予定でした。それでですね、僕は別のルートを主張したん
ですが、津村は「あの鏡がどうなってるか確認したい」そう言って
同じとこに入ったんです。いや、その日は一匹も釣れませんでした。
丸坊主。そのときは3日間ともよく晴れてて、コンディションの違い
なんてなかったと思うんですが。津村は鏡のことが気になってるらしく、
どんどん先に進んでって、前日の林まで来ました。けど、光るものは
何も見えませんでしたね。踏み跡がまだ残ってたんで、それを
たどって入ってくと、鏡はあったにはあったんですが、
割れてたんです。粉々ってわけじゃなく、大きくヒビが入った状態で。

自然に割れたのでないのはすぐにわかりました。鏡面に大きく字が
書いてあったんです。書いてから割ったみたいでゆがんでましたけど、
「怨」という字だと思いました。「うわあ」それって、どう考えても
俺らが前日に鏡を見つけてから やったもんですよね。
ヒモがねじれて裏返った状態で放置してきたんで、誰かが触ったって
必ずわかるはずです。もしかしたらそのことで、願かけが破れてしまい、
それで触った人間を恨んでるんじゃないかと思いました。
つまり、「怨」というのは僕らに向けた言葉・・・
そのことを津村に話したんですが、津村はうわの空みたいな感じで、
ずっと割れた鏡に見入ってたんです。その様子がおかしかったんで、
「おい、どうした?」と聞くと、ぽつりと「この鏡、俺の家の

バスルームが見える」って。ありえないですよね。実際、僕が見ても、
ただたくさんヒビが入った中にゆがんだ自分の顔が映ってるだけで。
「何言ってるんだ、見えるわけないだろ」そう声をかけて
肩を揺すったんですが、動こうとせず「ああ、〇〇がいる」と。
〇〇というのは津村の新婚の奥さんの名前です。
「大丈夫かよ、フザケてるのか、しっかりしろよ」なおも言うと、
「あああ、〇〇がカッターで首を切ったあ!」そう大声で叫んで、
荷物を放り出して駆け出していったんです。「あ、待てよ!」
追いかけましたが、ものすごい勢いでどんどん引き離されて、やっと
宿に着くと、駐車場の車がなくなってました。それ、僕が借りた
レンタカーだったんですが、一人で運転してっちゃったんです。

もちろん津村のスマホにかけたんですが、つながってるけど出ようと
しませんでした。困り果てて、ふと思いついて津村の自宅にかけてみました。
番号はわかってたんで。もしかして奥さんは実家で、誰もいないかとも
思ったんですが、その奥さんが出たので事情を話しました。ただただ困惑してる
様子でした。まあ、それはそうですよね。あと、特にケガなどもしていないと。
しかたなく、宿の人に最寄り駅まで送ってもらい、電車で東京に戻ったんです。
津村も自宅に戻ってたんですが・・・ ここからは後日談というか、
その2週間後、津村は離婚したんです。後で聞いたところ、結婚生活が
あまりうまくいってなかったみたいです。離婚も考えてたが、津村は公務員で
職場の上司に仲人をしてもらった手前もあり、ふんぎれなかったって。
あの鏡の話は津村はしようとせず、結局、何もわからないままなんですよ。
 

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