動物の怪談 | 怖い話します(選集)

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えー今日は怪談論ということにさせていただきます。前に「植物怪談」という

項を書きましたが、「動物怪談」というのもありますよね。これ、
自分の話にもいくつかはあるんですが、けっして多いほうではありません。

特に意識してるわけではないんですが、やっぱり類型的な話になってしまう
おそれが強いものだと思いますね。

人間に身近な動物としては、犬猫なんでしょうが、
猫は祟り方面の話が多い気がします。化け猫騒動の話もありますし、
うっかり車ではねてしまった猫、子どもを川に捨ててしまった親猫が

祟るなどというのは定番ですよね。これに対し、犬のほうは祟り
というよりは心温まる霊の話になってる場合が多いと思います。


実家で長年飼っていた犬が死んだが、離れたところに住んでいる自分に
知らせをしにきたとか、死んだ犬の霊が、家に憑いている悪いものを
とっていってくれたとか。もちろん例外はありますが、
全体の傾向としてそういう感じなんですね。
これは、犬猫両者の性格からきているのでしょう。



ただ、じゃあ犬猫のような動物に、人間と同じような霊魂があるかというと、
これはなかなか難しい話です。犬猫は自分を人間と思い込んでる場合もあるし
霊魂はある。猿の仲間は知能が高いので霊魂はあるだろう。
じゃあ虫に霊魂はあるんだろうか? はは馬鹿だな、

一寸の虫にも五分の魂って言葉があるじゃないか。
じゃあバクテリアは一分の魂か? 植物はどうだろう?
さすがに植物に霊魂はないんじゃないか。でも、きれいな音楽を聞かせ続けた
植物はよく育つなんて話もありますよね。

こう考えていくと、どこで線引きをすればいいかわからなくなってしまいます。
まあ「すべて命のあるものは霊魂を持つ」としてしまえば簡単です。
神道の考え方はそうです。基本的には人間の霊も植物の霊も変わらない。
むしろ樹齢の長い大木は強い神性を持つ、などと言われたりしますよね。



さらには、無機物である岩なども霊性を持っていたりします。
しかしこれ、他の宗教だとなかなか難しい面があります。
特にキリスト教の場合、「犬は天国に入れるかどうか」について、
歴史的な論争があります。昔は、意識を持つものには魂はある。

しかし、犬猫などの動物は意識があるように見える場合もあるが、
命じられたことを行うだけで実際は歯車や滑車で動く機械と同じようなものだ。
魂を持たないのだから、天国の門をくぐることはできないなどと言われていました。
これ、哲学者のルネ・デカルトなども同じ見解で本を書いています。

まあキリスト教の場合、出発点に「神が自分の姿に似せて人間をつくった」
という人間を特別視する考え方があり、教義もまた、

人間の救いを中心に説かれているためなのだろうと思います。ただしこれ、
聖書にはこの問題をはっきり取り上げている記述はありませんので、


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絶対に動物は天国にいけないということでもないんでしょう。
ますますペットと人間の絆が深まっている現代において、
触れないでおいたほうがよい話題として扱われている気がしますね。
仏教の場合、お釈迦様は「殺生を禁ずる」としていますが、

魂の問題については特に触れていません。畜生道に堕ちるなどという言い方は、
後代になって、インド思想に根強い輪廻の考え方が取り入れられたものです。

ただ、禅の公案に面白い話がありまして、「狗子仏性 くしぶっしょう」
と言います。ごく短いものですので、引用してみます。

一人の僧が趙州和尚に問うた。「犬にも仏性があるでしょうか?」
趙州和尚は答えた。「無」
 
 これだけです。

公案というのは、ごぞんじのように日本では臨済宗において、

座禅をするときに考えるためのお題で、「狗子仏性」は最初に出される
課題である場合が多いようです。仏性とは、「仏の性質、本性」のこと。

これ、仏教には「一切衆生悉有仏性 (すべての衆生はことごとく仏性を持つ)」

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という言葉もあり、なかなか答えを出すのは難しそうです。
自分もあまり詳しいわけではないんですが、
禅の場合、公案に出てくる「無」について深く考察することが大切であり、
弟子は得た解答(見解 けんげ)を持って師の部屋に入室して問答します。
そこでの答えは、結局は「以心伝心、不立文字(心と心で通じ合い、

文字に書き起こすことのできないもの)」であって、
弟子の考えの軌跡が師に伝わればよく、
必ずこうだ、という正解があるわけではないのですね。ですから、
この公案が、犬に仏性はないと決めつけているわけではありません。

さてさて、現代日本の怪談は、現代日本人が読むためのものです。
犬猫動物に霊魂があっても、植物の霊が出てきても、それほど
違和感を感じないのは、やはり神道的な考え方が文化の底流にあるから
ではないでしょうか。そういう点で、いろいろバラエティーに富んだ話を
読み楽しむことができるのは、幸運でもあると思うのです。

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