今晩は、村野ともうします、どうぞよろしくお願いします。まずは、
簡単に自己紹介をさせていただきます。私、仕事は、ある原材料
メーカーに勤めてます。社名は言わなくてもいいですよね。
けっこう大きなところで、みなさんもご存知のはずです。
それで去年の4月、私、総務課の課長補佐に昇進したんです。
いやまあ、まだまだ年功序列が残ってる会社ですので、私がとりわけ
有能というわけではありません。で、中間管理職という立場に
なってみると、社内の派閥から誘われるようになりました。
はい、そんな表立っていがみ合ってるわけじゃないんですけど、
副社長のBと、専務Cの派閥があって、どちらも次期社長の座を
ねらってるんです。現社長は70歳近くなり、そろそろ引退ですから。
これは困りますよね。私は争いごとが苦手で、正直どっちの派にも
加わりたくはなかったんですが、どうもそうはいかないみたいで。
慎重に考えざるをえません。私は結婚が遅れまして、
子どもは2人ともまだ小学生。家のローンも20年近く残ってます。
もしね、どちらかの派閥に入って、その人が社長にならなかった場合、
派閥の面々は粛清されるかもしれません。もちろん解雇には
できないでしょうが、閑職に追いやられたり、さまざまな不利益を
受けるはずです。でね、1ヶ月ほどの間、態度をはっきりさせず
あいまいにしてたんです。でも、とうとう専務Cから料亭に
誘われてしまい・・・ 派閥に入るにしても断るにしても、
いずれかに態度を明らかにしなくてはならなくなったんです。
それと、課長補佐の前は係長で、それほど業務に違いはないと
思ってたんですが、やはりここが人事の分岐点で、上司と部下の間で
板ばさみになることが すごく多くなったんです。毎日へとへとになって
帰宅しました。通勤も1時間以上かかるので、家につけば11時過ぎ、
子どもたちは寝ています。疲れ切ってるので、普段は目が覚めると
朝になってるという感じなんですが、その夜、変な夢を見たんです。
いや、怖い夢ではないです。ふと気がつくと書棚の前に立ってました。
書棚は私の身長よりも高く、下段までびっしり本が詰まってて・・・
そんな本棚が目の前にあって、ひと一人やっと通れる通路でした。
で、あたりを見て驚きました。そういう本棚が見渡すかぎりに続いて
たんです。ここは・・・図書館なのか。でも、それにしても変です。
本棚は安っぽいスチール製で、図書館はそうじゃないですよね。
ああ、ここは書店なんだ・・・それにしても、並んでいる本は
背表紙が黄ばんでて古い感じで。古本屋、古書店だと思いました。
はい、学生時代は大学の近くの古書店でよく本を買ってたんです。
そこに似ているけど、こんなに広くはない。それに、その古書店は
私が4年生のときに廃業しちゃってます。あとですね、気がついたのは
本の背表紙が変だったこと。本は厚いのも薄いのもありましたが、
背表紙はどれも同じで、縦細の白い紙が貼ってあって、そこに
「山田一郎」みたいに個人名が書いてある。それで、1冊抜き出して
見てみようと思ったんですが、棚にガッチガチにはさまってまして、
どうやっても抜けません。夢の中ですが、手が痛くなりました。
しかたなく背表紙だけを見てました。男も女の名前もありましたが、
どれも私の知らない人。で、その名前、あいうえお順になって
たんです。これはもしかして、と思うじゃないですか。
まるで迷路のような せまい通路を歩き回り、私は村野でしょう。
だいぶ奥まったとこに、村野だけが入っている棚を見つけたんです。
私の名前もありました。でも、同姓同名かもしれませんよね。
これもダメだろうか、と考えながら手をかけると、軽く取れたんです。
開けてみると、中はどのページも真っ白・・・がっかりしてると、
そこに赤い字が浮かんできました。まず日付、その夢を見た日の
翌日のです。そしてたった1行、「朝の通勤電車が事故のため
長時間ストップし、会議に遅れる」これ、どういうことなんだろう。
たしかにその次の日、会議はありました。そこで目が覚めたんです。
ベッドに起き上がって考えました。まあ、夢なんだから本気にするのも
馬鹿らしいけど、念のためというか、朝食をとらず家を早く出たんです。
何の問題もなく会社に着きまして、帰宅したらニュースで
私の利用してる私鉄の路線が、ケーブルの断線で2時間停まったと
やってたんです。はい、いつも私が乗る時間帯でした。その後、
しばらく夢は見ず、前にお話した専務Cとの会食の前日です。
そのときは、もし派閥に誘われたら入ろう、と考えてました。
どちらが社長の座につくのかはわかりませんが、人間的に副社長より
その専務のほうが好ましいと思ってたんです。そしてその夜、
また夢の中で古書店にいました。それも自分の本が入った棚の前に。
前のことははっきり覚えてたので、すぐ本を抜き出して開くと、
やはり同じように赤字が浮き出してきて翌日の日付。そして次に
出てきたのが・・・「夜、料亭にて会食中、専務Cが倒れる
脳出血で半身不随、言語障害」目が覚めても心臓がドキドキしてましたよ。
どうしよう、会社でこのことを専務に告げるべきなんだろうか。
でも、しょせん夢の話ですよね。何を馬鹿なと思われて終わりだろうとも。
会社で専務にお会いしたとき、さりげなく体調のことを訪ねて
みましたら、「人間ドックが終わったばかりで、どこも異常なかった」
ということでした。それで、どうなったかというと、その本に書かれてた
とおりだったんです。専務が天ぷらを口に運ぼうとしたとき、
「うをを」と声を上げて箸を落とし、そのまま後ろに倒れて
いびきをかきだしたんです。すぐ店の人を呼んで救急車を手配してもらい、
私が同乗して病院に行きました。緊急手術になり、命は助かったものの、
重い後遺症が残るだろうという医師の話で、業務復帰は絶望的でした。
はい、会社では、うわべは心配そうにしていましたが、副社長派は
大喜びでしたよ。それまで専務派だった人間は戦々恐々。
来春の人事異動でどこに飛ばされるかもわからないですから。
さっそく副社長側に鞍替えして、ゴマをすり始める人間も出てきました。
私はそれを見てて、ああ、いくら将来がかかってるとはいえ醜いと
思ったんです。出世などしなくてもいいから、派閥に深入りするのは
やめよう。そう考えてた矢先、副社長派の会合に誘われました。
むろん断ることはできません。ただ、それは大人数でしたので、
あまり人と話をせず、早く帰ろうと考えてました。で、その会合のとき、
副社長の秘書が私のところにきて、妙な話を始めたんです。
その秘書は30代の男性で、縁なしメガネをかけ、今どき髪を
ポマードでテカテカに光らせた人物。会社生えぬきではなく、副社長が
外部から連れてきたんです。会計士や司法書士など、さまざまな資格を
持ってるという話でした。秘書は、「ねえ村野さん、最近 夢見ますか」と
言い出しまして、真意をはかりかねて黙ってると、続けて、
「古書店に行ってるんですよね。そこで ご自分の本をご覧になってる?
あそこは なまなかに立ち入ることはできない場所です。
あなたのことは副社長も大きな期待を持って見ておられます」
そう言って、副社長のところへあいさつに連れていかれたんです。
それから、またずっと古書店の夢を見ることはなかったんですが、
つい昨日です。ひさびさにあの夢の中にいました。それで、それまで、
書店の中には私一人だけで、他のお客さんを見かけることはなかったのに、
棚の影にふっと人影が見えたんです。「え?」と思ってそちらにいくと、
あの秘書だったんです。秘書は私の顔を見ると「おや」と言い、
ニヤリと笑いながら、手に持った本の背表紙を見せました。
そこには社長の名前があったんです。秘書は社長の本を棚に戻し、
さらに見せつけるように、赤いサインペンを胸ポケットに差しました。
それ以上の会話はなく、目が覚めたんです。それで、今日の午前の
会議の最中、社長が倒れたんです。目をむいたままぴくりとも動かず、
もう生きていなことは ひと目でわかりましたよ。
