
阿武山 地震観測所も見えます
今回はこういうお題でいきます。かなり地味な内容になるので、
スルーされたほうがいいかもしれません。さて、
阿武山古墳は「あぶやまこふん」と読み、大阪市高槻市と
茨木市にかけて存在します。阿武山の中腹にあり、阿武山自体は
標高300mもない街中の低山です。
この古墳、じつは様々な事情から、十分調査されないまま
埋め戻されてるんですね。ですから、調査報告書なども出されては
おらず、詳細ははっきりしません。ある意味、不幸な経歴を
たどったと言っていいかもしれません。

まず不幸な事情の一つめは、見つかった時期です。
1934年(昭和9年)と、日本が第2次世界大戦へと突き進んで
いく時代だったんです。発掘された棺は乾漆棺(夾紵棺)と言い、
麻布を漆で何重にも貼り固めたもの。日本での初めての発見でした。
中には、肉や毛髪、衣装も残存した状態のミイラ化した遺骸が
ほぼ完全に残っており、60歳前後の男性と推定されました。
(当時の知見なので、ほんとうにそうかはわかりません)
また、ガラス玉を編んで作った玉枕のほか、遺体が錦を
まとっていたこと、上半身にかけて金の糸がたくさん
散らばっていたことが確認されました。
被葬者の状態

これは冠の一部と見られています。発掘されるや、遺跡は
「貴人の墓」と呼ばれ、2万人もの見物客が押し寄せたといいます。
これもマズかったですね。昭和9年ですから、国家神道において
天皇家は神の血筋と考えられていました。
遺跡の被葬者は明らかに きわめて高位の人物であり、
天皇家に連なる血筋である可能性も高いため、調査は冒涜であり、
見物人が詰めかけるなどトンデモないとなったんです。
内務省から警察隊が派遣され、見物人は排除されました。
これが埋め戻された理由のひとつ。
色鮮やかな金糸

もう一つは、発掘の主体です。地図を見ればおわかりのように、
遺跡は京都大学の地震観測施設に近く、その建設中に偶然に
発見されたんです。そのため、京都大学理学部が発掘の主導権を
握りました。ですが、あくまで理系学部で、歴史の知識は乏しく、
また、遺跡発掘のノウハウも持ってはいませんでした。
ですから、大阪府と、当時日本一の実績と言ってよい京大の
考古学研究室が、理学部に対して発掘権の移譲を求めたんですが、
頑として譲ろうとしなかったんですね。対立が深まり、
また上記したような事情もあったため、結局、そのまま
埋め戻されることになり、以後、再発掘は行われていません。
復元された冠と玉枕

で、この遺跡、定説とまでは言えませんが、藤原鎌足のものでは
ないかという意見が出されています。藤原鎌足はご存知でしょう。
旧名は中臣鎌足。藤原氏繁栄の礎を築いた人物です。
614年に生まれ、669年に亡くなっています。55歳没。
蘇我氏の専横を憎んでおり、ひそかに打倒の意志を固めていましたが、
中大兄皇子、石川麻呂らと協力し、飛鳥板蓋宮にて蘇我入鹿を暗殺。
入鹿の父、蝦夷は自決しています(乙巳の変)。この功績から、
中大兄皇子のもとで政治に深く関わるようになり、『日本書紀』
によれば、死の直前、天智天皇から藤原の姓と大織冠を賜ります。
藤原鎌足

この阿武山古墳が鎌足の墓ではないかと見られた理由は複数あり、
まずは生前のゆかりの地であったこと。『多武峯略記』などに、
「鎌足は最初は摂津国安威(大阪府茨木市)に葬られたが、
後に大和国の多武峯に改葬された」という記述があること。
改葬であったとすれば、副葬品が見られなかったのは納得できます。
で、上半身に散らばっていた金糸は冠の刺繍糸で、天智天皇に賜った
大織冠である・・・ただまあ、現在の調査が入ってないので真相は
はっきりしません。1982年、地震観測所内部から、埋め戻す前の
エックス線写真の原板が発見され、それによれば、被葬者は腰椎などを
骨折する大ケガをし、寝たきり状態のまま合併症で死亡したことが
乙巳の変 宙を飛ぶ入鹿の首

推定されたんです。『日本書紀』等には、鎌足は669年10月に
山科の御猟場に狩りに行っていて、おそらくこのときに落馬して
ケガを負った。あるいは8月に鎌足の家に雷が落ちており、
そのときのものかも。天智天皇が見舞いに行くと、病床の鎌足は、
「生則無務於軍國 生きては軍国に務無し」と言ったとされます。
このあたりのことをみると、自分はやはり、阿武山古墳は
鎌足の墓である可能性が高いだろうと考えます、もし鎌足の遺骸と
大織冠の発見であったとすれば、歴史的なトピックと言って
いいと思いますね。再発掘の計画はないんでしょうか。

さてさて、上記の1982年のとき、遣体から採取された頭髪も
見つかったんですが、分析の結果、微量の砒素が検出され、
鎌足毒殺説が急浮上しました。ただ、当時、砒素は万病に効く
薬と考えられており、治療薬として服用していたのかもしれません。
ということで、阿武山古墳発掘の顛末を見てきました。
歴史のロマンですよねえ。もしかしたら、みなさんの身近な
地域にも、重要な遺跡が誰の目にもふれず、地下で千年以上の眠りに
ついているかもしれません。では、今回はこのへんで。