百鬼夜行と水銀中毒 | 怖い話します(選集)

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今回はこういうお題でいきます。妖怪談義ですね。
ただし、この内容は、どちらかというと歴史面白話のような
もので、実際の史実かは疑わしいです。
その点をご承知の上、お読みくださるようにお願いします。

さて、どこから説明していきましょう。まず、百鬼夜行からかな。
この言葉、「ひゃっきやこう」と読まれることが多いですが、
平安時代の頃は「ひゃっきやぎょう」ではなかったかと思います。
深夜に徘徊、行進する鬼や妖怪の群れのことですね。
この場合の百は「たくさん」という意味です。

賀茂忠行
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夜に外出して百鬼夜行に出会うと、必ず死んでしまうと言われました。
街灯もない平安時代の頃ですから、夜に出歩かなければ
いいじゃないか、と思われるかもしれませんが、当時は
通い婚でしたので、「妻問 つまどい」をするには、
夜半に牛車を歩ませなくてはならなかったんです。

『今昔物語』には、百鬼夜行に出会った話がいくつか出ています。
有名なのは、陰陽師、安倍晴明の幼少時の逸話ですね。
安倍晴明がまだ弟子入りしたばかりの頃、夜、師の賀茂忠行に
随伴して歩いていると、たくさんの鬼どもがそろって大路を
歩いてくるのが見えた。

安倍晴明
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いち早くそれに気づいた晴明は、牛車の中で寝入っていた忠行を起こし、
事態を報告。急を知った忠行は術により鬼どもを退けた。
このことで忠行は晴明の見鬼の才を知り、陰陽道のすべてを教え、
晴明もそれを瓶に水を移すように吸収した・・・こんな話です。

現代でも、いわゆる「見える人」というのが怪談には出てきますが、
それを「見鬼の才」と言い、陰陽師の重要な資質だったんです。
平安時代は、「方違え」 「物忌み」などの呪術的行為がたいへんに
流行し、百鬼夜行も、それが起きる日は決まっているとされました。

聖武天皇
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「子子午午巳巳戌戌未未辰辰」と言いまして、1・2月は子の日、
3・4月は午の日、5・6月は巳の日、7・8月が戌の日、
9・10月が未の日、11・12月が辰の日ということで、
貴族は外出を避けていたんです。また、もし百鬼夜行に
遭ってしまったらどうするか。

「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、
ワレシコニケリ」という呪文を唱えると、害を避けることができると
言われていたようです。この呪文の意味については今回はふれません。
あるいは、お経の中で特に「尊勝陀羅尼経」を唱える。覚えていない
場合は、着物の背に、書いたものを縫いつけておくだけでも効果がある。

水俣病の男児
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さて、ここで話を変えて、水銀中毒ですが、水銀は常温で凝固しない
唯一の金属です。昔の体温計には水銀が使われていましたが、
金属毒性が強いんですね。古代の中国では、水銀は不老長生の
妙薬とされてきましたが、その服用によって命を縮めた
可能性があり、かの秦の始皇帝もその一人です。

近代の日本でも、有機水銀中毒による水俣病事件が起きています。
で、これが百鬼夜行とどう関係があるかというと、
「奈良の大仏」なんです。正式名は、東大寺盧舎那仏像。
聖武天皇の国家鎮護の発願で、745年に制作が開始、
752年に開眼供養会が行われています。

東大寺盧舎那仏
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現在の奈良の大仏は、青黒い渋い色合いですが、できた当時は
塗金されていました。この塗金に使われたのが、水銀アマルガム法。
金と水銀を1:5の比率で混合してアマルガムとし、
これを塗って加熱し、塗金を完了するのに5年かかっています。
また、この工程で砒素も使われました。

これほど大量の水銀が一度に使われたのは、世界でも類例がありません。
加熱時に発生する水銀の蒸気はきわめて有毒なんですが、すでに
東大寺大仏殿ができてから塗金が行われ、換気が十分では
なかったんですね。その仕事をしていた職人、
数百人の間に不思議な病気が流行りだしたんです。

金アマルガム法による塗金
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水銀中毒の急性症状としては、急性症状としては流涎(よだれ)、
おう吐、腹痛、下痢、頭痛・・・ 慢性症状が運動失調、歩行異常、
四肢反射の異常、抹消知覚障害、感覚鈍麻など。
病気になった職人のために、これを専門に治療する救護院が設けられ
ましたが、当時の医療では治らなかったでしょう。

さて、ここで水銀中毒と百鬼夜行の関係ですが、多くの方はすでに
お気づきと思います。これらの職人や庶民にも水銀中毒者が続出し、
手足が不自由になり、忌避されて山などに籠もる。
そういった人々が、夜になって食料を求めて出歩いたのが
百鬼夜行の始まりであるという説があるんですね。

大仏の造立法
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これ、みなさんはどう思われますでしょうか。今に残る百鬼夜行図を
見れば、妖怪の多くは付喪神(つくもがみ 古くなった器物、道具)
であり、必ずしもこの説が正しいとは言い難い気もするんですが、
自分なんかは、面白い着眼点だなあと思っています。

さてさて、ということで、鎮護国家のために造立した奈良の大仏ですが、
たくさんの水銀中毒者を出したのは残念なことです。
歴史には、こういう秘話がいろいろあって興味が尽きません。
では、今回はこのへんで。