玄奘三蔵の冒険 | 怖い話します(選集)

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今回はこういうお題でいきます。世界史のカテゴリに入る内容です。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は、日本において、古代中国人の中では
かなり有名な人物です。これは、孫悟空の出てくる『西遊記』が、
アニメやTVドラマになって知られている面が大きいでしょう。

玄奘三蔵
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ただし、『西遊記』は16世紀の明の時代に書かれた荒唐無稽な伝奇小説で、
実際の玄奘は7世紀、唐の時代の人ですから、900年ほどの隔たりがあります。
あと、日本では「三蔵法師」と言われることが多いですが、
三蔵というのは尊称で、そう呼ばれる僧侶は中国に何人もいます。

三蔵の称号は、「経・律(戒律)・論(理論研究)」の3つともに優れた僧侶に
対して与えれます。また玄奘は、帰国後に『大唐西域記』を書いており、
これが『西遊記』の元になったとも言われます。ですが『大唐西域記』は
一般的な旅行記ではなく、唐の太宗皇帝の命におうじて、
西域の国々の地理的な情報をまとめたものです。

タクラマカン砂漠
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さて、玄奘の生涯を書いていくと長くなるので端折ります。11歳で
僧になった玄奘は中国各地で修行する過程で、僧侶たちが勝手な自説を
吹聴していることを苦々しく思い、インドにある原典に回帰する必要性を痛感しました。
そこで、27歳のときに、国禁を犯して密かに出国します。役人たちの目を
逃れながら越えた灼熱のタクラマカン砂漠の旅は、かなり苦しいものだったようです。

『大唐西域記』には、「幻覚が起こり、あちこちに怪しい化け物の姿が見えた」
といった記述があります。このことが後の『西遊記』で、金角・銀角や
牛魔王などの妖怪になったのかもしれません。ここで玄奘は、一度だけ
中国に戻ろうという気持ちを起こしました。その戒めに、玄奘は「不東」の
文字を書き、これは「東せず(東に向かわない)」ということです。

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寝るときも足を東に向けませんでした。そして、現在の新疆ウイグル自治区にあった
高昌という国に入ります。ここはオアシスのほとりにある小さな都市国家で、
高昌の王は知識に優れた玄奘を歓待し、いつまでも国から出そうと
しませんでした。これは、王がインドへの旅は危険だと考えたためです。

困った玄奘は、断食をして出発することを願いました。そこで高昌の王は、
周辺の各国に使いを出し、玄奘が通ることを知らせました。
周辺地域には30ほどの小国があり、それらの国は玄奘を歓待し、しばらく滞在
しなくてはなりませんでした。インドまでの旅に3年あまりかかっていますが、
玄奘の足を止めたのは妖怪ではなく、それらの国の王たちだったんですね。

この旅の途中のことが、『今昔物語』の「震旦の部」に出てきます。
玄奘が道をたどっていると、苦しげなうめき声が道端から聞こえてきた。
見ると、全身を瘡がおおい、膿みただれた女が倒れ伏せていた。玄奘が
駆け寄ってどうしたのか尋ねると、病気のために親に捨てられたと言います。 

『西遊記』の牛魔王         
キャプチャ

また、この病気が治るためには、全身の膿を口で吸わなくてはならないとも。
玄奘がためらわずそれを行うと、病人の体はだんだんに光り輝いていき、
観自在菩薩の姿となり、玄奘に一巻の経典を授けました。それが
「般若心経」だった、ということになっています。ま、よくありがちな内容です。
日本の仏寺で最も多く唱えられているのが、この般若心経でしょう。

「色即是空 空即是色」の一節が有名ですが、これは「唯識論」の真髄を
表したもので、道元、法然、親鸞らも学んで、「鎌倉新仏教」の
基礎となりました。上記の逸話はもちろん事実ではないでしょうが、
玄奘の偉業が、日本の仏教界に与えた影響はとても大きいんですね。
ちなみに、「耳なし芳一」の話で、芳一の全身に書かれたのも般若心経です。

般若心経
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この後、玄奘はヒンズークシ山脈を越えてインドに入り、現地で
長い修業をした末、16年後に中国に戻ります。唐の太宗は
玄奘が国禁を破ったことを許し、年下の玄奘を師父と呼びました。
玄奘が持ち帰った経典は657部、その中にはもちろん般若心経も
含まれます。玄奘はその後の生涯を翻訳に費やし、63歳で亡くなりました。

さて、ここからは2つエピソードを紹介して終わります。
玄奘の遺骨の一部が、日本に存在するんですね。これには驚きの
経緯があります。玄奘の遺骨は長安の仏塔に葬られたんですが、
黄巣の乱の時に破壊され、行方知れずになりました。
それから およそ1300年後の昭和17年、日中戦争の最中です。

唐太宗


南京市を占領した旧日本軍は、郊外に稲荷神社を立てるため土台を
掘っていました。すると大きな石棺が出てきて、そこには、「宋の
天聖5年(1027)、三蔵法師の頂骨が、演化大師可政によって長安から
南京にもたらされた」と書かれていたんです。おそらく盗掘を避けるため、
残っていた玄奘の頭蓋骨が、副葬品とともに南京に移されたんでしょう。

あまりのことに、戦いを中断して南京政府と旧日本軍の協議が行われ、
遺骨の一部は日本に分骨され、現在、慈恩寺、芝の増上寺、
奈良の薬師寺などにあるようです。これ、考古学的には玄奘の本物の
遺骨か明言はできませんが、自分は信憑性は高いと考えます。中国に
稲荷神社をつくるときに見つかった、というところが面白いと思いませんか。

夏目雅子さん
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さてさて、最後に、ドラマで三蔵法師を演じた俳優として夏目雅子さんが
有名ですね。夏目さんは急性白血病で、27歳で亡くなっていますが、
この原因は、ドラマ『西遊記』でシルクロードロケを行ったときに、中国政府が
くり返し行った核実験の残存放射能を浴びたためである、と言われました。
(最初の出典は、産経新聞社「正論」2009 中国が憎くても嘘はダメですよ)

でもこれ、完全な都市伝説なんです。ドラマのパート1では中国ロケはなく、
パート2での中国ロケには、夏目さんは多忙のために参加して
なかったんですね。ただ、夏目さんは法師役のために坊主のかつらを
つねにつけており、それがその後の運命を暗示していた、
なんて話もあります。では、今回はこのへんで。

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