森有礼暗殺と八咫鏡 | 怖い話します(選集)

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これは複雑な話なので、上手く説明できるといいんですが。
まず、森有礼(もりありのり)について。日本の初代文部大臣です。
開明的な考えの持ち主でしたが、一方で急進的でもあり、
廃刀令、日本の公用語の英語化、妾制度の廃止などを主張しました。
このことから、さまざまな誤解を受け、後の暗殺につながっていきます。

森有礼


暗殺があったのは、明治22年(1889) 、2月11日の大日本帝国憲法発布の日、
元長州藩士、国粋主義者の西野文太郎が、式典の出席準備をしていた森を訪ね、
出刃包丁でその腹部を刺し、森は出血多量で翌日に死亡します。43歳。
西野は、その場で森の護衛に仕込み杖で首を落とされ、即死しています。
これは、森が廃刀令を訴えたことを考えれば、なかなか皮肉ですね。

さて、暗殺の原因はいろいろあるんですが、最も大きいと思われるのは、
「森有礼が伊勢神宮に参拝したときに不敬を働いた」という噂が新聞に書かれ、
それが全国的に広まって、西野の憤慨を誘ったことにあります。
ここから書く内容は、自分が以前に調べたものですが、誤りもあるかもしれません。

まず、森は伊勢神宮参拝以前から、神道関係者によく思われてはいませんでした。
それは、森がキリスト教徒であり、文部大臣だったことから、
日本の学校で、キリスト教を教えようとしているという噂が広まっていたことです。
しかし実際は、森はキリスト教徒ではありませんでしたし、
学校教育にキリスト教を取り入れる計画もなかったんです。

あと、著名な神社は独自に暦を発行し、それが大きな収入源になっていたんですが、
森は、暦の発行は大学に移すべきだと考えていました。
こちらは確かにそのとおりで、森有礼の存在に対し、神道関係者は大きな危機感を
持っていました。このままでは、おマンマの食いあげになるかもということです。

これらのことを背景に、森の伊勢神宮の視察・参拝が行われたんですが、
ここで、伊勢神宮の神官が、計略に森を陥れようとしたという説があります。
森は、伊勢神宮外宮の前で下車し、大勢の取り巻きをその場に残して、
案内の神官と戸張の幕の前まで進みましたが、神官は突然腰をかがめ、
「これ以上進むな」と、森の行く手を遮ったんですね。

当時の秘書官によれば、実際にあったのはこれだけのようです。
しかも、森が留められた場所は、身分の高い参拝者ならまず入ることができた
ところです。ですから、秘書官は暗殺事件の後に「神官の策略で、
森が不敬を行ったようにされてしまった」と証言しているんです。

で、このことから「森は、拝殿に靴をはいたまま上がり込んで、
ステッキで御簾を持ち上げて中をのぞき込んだ」という噂が流されました。
これはおそらく、神社側が新聞にリークしたりして意図的に広めたものです。
しかし、森は、拝殿に入ってないんですから、靴のままなのは当然で、
ステッキで簾を持ち上げていないことは秘書官が証言しています。

前述したとおり、この噂を真に受けた西野文太郎が、
単独で森の暗殺に動いたわけですね。さて、こっからはオカルトの話になりますので、
ご注意ください。森の不敬の噂には、後代になってさらに尾ひれがつき、
「森は、門外不出、天皇を含め、誰も見たことがない神器、八咫鏡(やたのかがみ)
の箱を開けて中を見た」という話に変化していきます。

そして、鏡の裏面には、ヘブライ語で、「エヘイエ アシェル エヘイエ」と、
刻み込まれており、これは『旧約聖書』に書かれている、
キリスト教の神ヤハウエが、自身のことを説明した「私は在って有る者である」
という意味だったとされます。これ、オカルト界では、「日ユ同祖論」
(日本人のルーツはユダヤの失われた部族の一つである)と言われるものです。

八咫鏡裏面のヘブライ語とされる図像


しかし・・・森が、参拝したのは伊勢神宮の外宮だけです。
八咫鏡が安置されているのは内宮のはずで、森はそこまで行っていません。
さらに、もし森が八咫鏡を見たのだとしても、古代ヘブライ語を解することが
できるはずがないです。当時のヨーロッパ人の神父でもできないでしょう。

伊勢神宮に見られるユダヤの星、しかしこれは近代に寄進されたもの
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さてさて、ということで、オカルト話はともかく、
森有礼は、あまりに急進的でした。彼の目には、当時の日本が、
欧米社会に比べて、ひどく遅れたものに見えていたのは間違いありません。
そして、旧弊を排除しようと焦って、急ぎすぎました。
そうした場合、排除される側は死にものぐるいの抵抗をします。

森にはこんな話も伝わっています。四国の金刀比羅宮を視察した際、
昼食に牛肉を取り寄せて食べたことです。これが神域において
不浄であるとされたんですが、森の考えは、西洋人に対して小さい日本人の
体位向上に、肉食はどうしても必要だというものでした。

現代の日本では肉食は一般的で、日本人の体格もよくなりましたが、
いくら合理的な考え方であっても、性急に事を運ぶのはよくないという
歴史上の教訓が、ここにはあるのかもしれません。八咫鏡については、
考古学をまじえて、いつか機会があれば書きたいと思っています。
これ、学問的にもすごく興味深いものなんです。では、このへんで。