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今回はこういうお題でいきます。この名前、ご存知の方はよほどの
日本史通かなと思います。はっきりしませんが、これは江戸幕府によって
つけられた名前のようで、「忠」の字が入っているところが残酷です。
もとは、クリストヴァン・フェレイラと言いました。
こっちはおそらく、知っている人が多いでしょう。
遠藤周作氏の小説『沈黙』に登場しますが、実在の人物です。
ポルトガル出身のカトリック宣教師でイエズス会士。1609年来日。
1633年、53歳のときに長崎において捕縛され、そこで拷問を受けて
棄教します。その後は、転びバテレン、背教者などとも呼ばれました。
余談ですが、「転びキリシタン」という言葉がどこからきたかというと、
キリシタンに対する拷問に「俵責め」というのがあり、
米俵の中に体を入れ首だけを出させた上で、棒で叩いたり、
何人もを積み重ねたりして苦しめるものです。
ただ、米俵ですから、苦しければ自分の意志で出ることができます。
この拷問の最中、まわりの役人は「転べ!転べ!」と言ってはやし立て、
苦痛のあまり転げ出たものは棄教をしたとみなされました。
一般的に、日本のキリシタンに対する拷問は、自ら棄教を認めれば
中断される形になっている場合が多かったんですね。
さて、ここでいったん話を変えて、「天正遣欧少年使節」について。
1582年(天正10年)、九州のキリシタン大名らが、
その名代として少年たちをローマに派遣した使節団のことです。
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4名。
「天正遣欧少年使節」
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彼らはポルトガル、スペインを経由してローマにたどり着き、
教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられています。
彼らは1590年、長崎に帰国しましたが、そのときに,
グーテンベルク発明の活版印刷機を持ち帰ったことは有名です。
彼らの年齢は、はっきりしませんが、13~14歳で、
中浦ジュリアンが最年長だったと言われます。この後、
千々石ミゲルは棄教、伊東マンショは長崎で布教中に死去、
原マルティノは日本を追放されてマカオで死去、中浦ジュリアンは
正式な司祭となり、1633年、長崎で殉教しています。
中浦ジュリアン像
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さて、この中浦ジュリアンですが、フェレイラと同じときに捕縛され、
穴吊りという拷問を受けています。これは、足を縛った逆さ吊りで
体を穴の中に入れるという過酷なもので、
全身の血が頭に溜まって苦しむものの、すぐには死なないよう、
両耳の後ろに穴を空けて血が流れ出るようにしていました。
「穴吊り」
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このとき吊るされたのは、ジュリアンと3名の外国人宣教師。
フェレイラは吊るされて5時間後に棄教を表明。中浦ジュリアンは
4日間耐えて死亡しましたが、最期のときに、「私はこの目で
ローマを見た中浦ジュリアン神父である」と言い放ったと伝えられています。
2007年、ローマ教皇ベネディクト16世は、
中浦ジュリアンを福者に列することを発表し、翌年、列福式が行われました。
福者というのは、神に祝福された人という意味で、カトリックでは
聖者(聖人)につぐ序列にあたり、今後、聖人に昇格する可能性もあります。
さて、棄教した転びバテレンがどうなるかというと、まず絵踏みをさせられ、
誓詞に血判を押させられます。この誓詞には、
「デウスやマリアに誓って確かに棄教しました」こう、英文で奇妙な文言が
書かれていたようです。そして、その身柄は幕府に厳しく管理されます。
フェレイラも、70歳で亡くなるまでずっと幕府の監視下にありました。
「踏絵」
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フェレイラは同時期に処刑された中国人の妻と同居するように幕府に
命じられ、通訳などを務めていましたが、キリスト教弾圧にも協力し、
キリシタンの墓の破壊を提案したり、反キリスト教文書である『顕疑録』
を著したとされています。フェレイラの棄教とその後の行動は、
イエズス会とヨーロッパのカトリック界に大きな衝撃を与えました。
さてさて、中浦ジュリアンと、沢野忠庵ことクリストヴァン・フェレイラ。
対照的な晩節になってしまったわけですが、ほとんど無宗教の
自分としては、ここでその是非を問うつもりはありません。
まとめとして、遠藤周作氏の『沈黙』から言葉を借りましょう。
「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は
考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に
植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。
我々はこの沼地にキリスト教という苗を植えてしまった。」
これは「キリスト教」のところを他の言葉に変えても通用しそうです。
日本は歴史的に、大陸からさまざまな文化を受容してきましたが、
けっして中国的な思考には染まっていません。
海外から取り入れられたものは、だんだんに、
あまりにも日本的な内容へと変質させられていくんですね。
現在、日本のキリスト教徒は1万人もいないと言われますが、
変質を許さない原理的なものは、なかなか日本では広まりません。
グローバリゼーションには、元来 不向きな国なんだと思います。
では、今回はこのへんで。