自分が中学校のときの話です。クジラ屋が担任だったから2年生だったはず。
ああ、クジラ屋というのは学級担任のアダ名です。太ってはいなかったですよ。
痩せ気味でメガネをかけた社会の教師。授業中に、
捕鯨反対の持論をえんえんとしゃべって以来そういうアダ名になったんです。
保護者や管理職の評判もよくなかったと思います。
・・・で、その頃自分らの中学校では夢の話が流行ってたんです。
夢占いというのともちょっと違いますね。今の都市伝説みたいな感じのやつです。
どんなのかというと、みながある同じ夢を見るんです。
自分らの住んでる町はけっこう歴史が古く、
有名な大きなお寺があってなんとか文化財にもなってるんです。
みな小学校の見学なんかで一度はいったことがあるはずですよ。
欄干があって、階段を登って廊下に出ると横に回って後ろを通ってまた戻ってくる。
ここを木の床を踏んでぐるぐるとただ回っている夢、
これを見たという生徒が何人もいました。
気がつくとなぜかその回廊にいて、右回りに歩いている。
そこから出たいんだけど、階段がなくなってて降りられないし、
断崖絶壁を見下ろしているような気分で降りられない。そんな夢なんです。
しかも夢の中では立ち止まることができないで、ひたすら歩いているという。
でね、この夢は話を聞いた2日か3日後に見ることが多いんですよ。
大概そうでしたね。自分も見たかって?ええ、見ました。
これを最初に言い出したのは誰だったかなあ。覚えてないけど、
始まったのは夏休み後からでした。とにかく、
あっという間に2年生の6クラス全部に広まりましたね。
部活を通じて1年生にも広まってたはずです。
(3年は引退してたんで知らない人も多かったんじゃないかな)
そんなに怖い夢というわけでもないんです。
ただ、どうやってもその回廊から出られないあせりがあるだけで。
その人が、もう大丈夫というように歩み寄ってきて、
手を握ってくれると、そこで目が覚めるんです。
この助け出してくれる人ってのは、まだ生きている家族の場合も
あるみたいだったけど、亡くなった人ってのも多かったんです。
扉から3年前に亡くなったお祖母ちゃんが出てきて手を握ってくれた。
すると目が覚めて朝になっていた、という感じです。
あとは見知らぬ人が出てくる場合。見知らぬ人は昔風の服装をしてて、
おだやかな笑みを浮かべてる。手を握られたときにすごい安心感があって、
「ああ、この人は自分をいつも見守ってくれてるんだ」ってわかるんです。
自分のときがそうでしたから。出てきたのは40代くらいの女の人で、
和服というか野良作業で着るような着物姿でした。
・・・たぶんねえ、先祖の誰かなんじゃないでしょうか。
クラスメートの中には、手を握ってくれた人の顔に見覚えがあったんで、
仏間に飾ってる額を見にいったら、その写真の中に同じ顔の人がいた、
と言ってたやつもいましたし。
もし誰も出てこなかったらどうなるのかって?さあ、どうなんでしょう。
そういうやつはいなかったです。これで病気になったとかもなかったはずです。
だからこの話を聞いたときは、怖いというより自分も早く夢を見ないかな、
中間テストも近いんだし学習に集中しろ」こんな内容のことを力説してました。
それから2日後の社会の時間です。
クジラ屋が教科書を開いてから、ふっと思い出したように、
「お前らが言ってた夢を先生も見たぞ。うん、なかなか怖い夢だった。
たしかに○○寺の回廊を回ってた。そこから出られなくなったな。
少しあせっていると扉が開いて怖い顔をしたじいさんが出てきた。
こっちに手を差し伸べてきたから、それを振り払って、
勇気を出して欄干から飛び降りた。どうだお前らと違って
先生は行動力があるだろう」と、ちょっと自慢気に言いました。
夢のパターンがちょっと違うんで興味を持ったクラスの一人が、
「先生、それからどうなったんですか」と聞くと、
「かなり長い時間宙を泳いでいたような感覚があって、布団の上で目が覚めたな。
その後頭が痛くて昨日は調子悪かったが、もう治った」こんな返答でした。
この後すぐクジラ屋が死んだとかなら怪談らしいんでしょうが、
そんなこともなかったです。ただ、何年か後に「政治活動に専念する」
という理由で自分から学校を辞めたそうです。たぶん居づらくなってたんでしょう。
東南アジアの国に行ったという話を聞きましたが、それから消息不明です。
自分らは、秋から冬に向かうにつれて夢の話をするやつも少なくなり、
2年生が終わる頃には完全に収まっていました。
あれ以後似たような夢をみたことはないです。
ああ、一度同窓会でこの夢の話が出ましたね。
やはりその後に見たというやつはいないみたいです。
しばらくこの話で盛り上がりました。クジラ屋の言ってたように、
人の言ってたことが暗示になって、そういう夢を見たのかもしれないです。