自分の親が、愛情深い人ではなかったということはわかった。
それに対して、子供としての寂しさや怒りも感じるし、人として軽蔑することもあった。
しかし、親がそういう親にしかなりえなかった原因には、親なりの事情があったからだろう。
それを受け入れることこそが、”親を超える”ということなのかもしれない。
自分の親が、愛情深い人ではなかったということはわかった。
それに対して、子供としての寂しさや怒りも感じるし、人として軽蔑することもあった。
しかし、親がそういう親にしかなりえなかった原因には、親なりの事情があったからだろう。
それを受け入れることこそが、”親を超える”ということなのかもしれない。
自分が”ここに、ただ、在る”ということのみで
安心感を得られるために生きているのではなかろうか
そこへ到達する道筋は、人の数だけある
ハウツー本には書かれていない
自分の「経験」の中でなされた「思考」を重ねることでしか、そこへ近づく手段はない
しかしながら、到達する瞬間は「思考」の量によってではなく、質によって、ワープ的に一気に訪れることもある
最も良質な「思考」は、これまでの価値観を「疑う」こと
何を真っ先に疑うべきかと言うと
”親の人生観”
ただし、
「親の言うことなんか信じなくていい」
という親の意見はその限りではない